慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

12月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、12月15日(日)10時より行います。テーマは、「『一枚起請文』に学ぶ法然上人の教え」です。どなたでも歓迎いたします。」お気軽にご参加ください。

「学校、無理」。そう思ったら・・・お寺に来ませんか?

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 今朝の中日新聞の朝刊の第一面の見出しは

 

‟「学校、無理」。そう思ったら   

悩みを聞いてもらって■居場所は他にも”

 

 でした。もうすぐ夏休みも終わるので、この時期に子供たちの自殺率が上がることを懸念しての記事でしょう。

 この見出しは、私の心に強く響きました。私も小学校の時に残酷ないじめにあっています。担任の教師は「あなたが、男の子に逆らってなまいきだからよ。」と言っただけでした。いじめのリーダーの親はある宗教の地域の有力者で、担任が「忖度」した可能性が強いと思われます。

 でも、私は不登校にはなりませんでした。両親が早々に転校を決めたからです。その転校は、手続き的にも、経済的にも簡単なことではありませんでしたが、両親の即断には今も感謝しています。

 しかし、いじめによって受けた傷は、私の人生や性格に大きな影響を及ぼしたことは否めません。

 私は受験勉強を含めて、学校教育というものを大事なものだと思っています。自分で行動し、ものを考える基礎力を作る筋トレのようなものだと思うからです。しかし、それだからといって、学校に絶対行かなければいけないとは思っていません。

 「学校、無理」と思ったら、行かなくても良い。別の行き場所も、別の居場所もあるからです。

 私は慈雲寺がそんな場所になれば良いと思っています。時々子供たちが本堂で宿題をして、お茶を飲み、お菓子を食べて帰る様子を見ると、とても嬉しくなります。兄弟がうるさくて、親と喧嘩したから・・・一人になりたい・・・そんな時、慈雲寺に行ってみようと思ってくれる子供(大人もシニアも)は大歓迎です。

 慈雲寺に来たら、別に何をしなければいけないということはありません。私は「指導」も「説教」もするつもりはありません。慈雲寺にある本を読んで、仏さまの前でゴロゴロしても良いし、写経や写仏をしてもいい。

 体が動かしたかったら、掃除や草引きを気が済むだけ手伝ってください。義務はいっさいありません。

 もし、学校へは行きたくないけれど、家に籠るのも嫌というのなら、とりあえず、お寺まできませんか?

 もし、学校には行きたくないけれど、勉強が遅れるのが心配というのなら、英語だけでもお手伝いします。一つの教科だけでも得意になれば、学校も少し違った場所になるはずだからです。

 慈雲寺の本堂はいつでも開いています。やさしいお顔の阿弥陀様や弘法大師さまがおられますから、お顔を眺めながら、ボーっとするのもおすすめです。本堂は風が通って心地良いですよ。

◎今日の写真は慈雲寺の本堂です。小さなお寺ですが、静かで落ち着けますよ。

◎もし、フリースクールなどのように、子供たちの居場所作りに場所が必要でお探しの方がおられましたら、どうぞ慈雲寺にお声がけください。できる限り協力させていただきたいと思います。