慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

彼岸明けの日に「布施行」について考えてみましょう。Part2

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 前回のエントリーに続き、「布施」について考えてみました。

 

 「布施」は、仏教の修行の基本である六種類の行「六波羅蜜」の一つです。布施は「お恵み」とは根本的に違うと、前回書きました。

 例えば、Aさんが自分のケーキを半分、「これ食べなさい」とBさんにあげたら、これは「お恵み」です。Bさんは当然、「どうもありがとう」とお礼をいうことでしょう。

 これが、Aさんが「ケーキがあるんだけど、一緒に食べてください。」とお願いして、Bさんと二人で、楽しい会話をしながら分け合って食べたとします。Aさんは、ほかの人に分けてあげられるだけのケーキをもっていたことを喜び、Bさんと楽しいひと時が持てたことを嬉しく思います。

 これは「ケーキをあげる」というのとは大分違いますね。Aさんは、Bさんに「付き合ってくれてありがとう。」とお礼を言うかもしれません。

 ケーキは二人で分け合って食べた方が絶対においしいですよ!

 

 「布施」と「お恵み」の違いは、他の人のためになることをさせてもらった喜びを味わい、それによって心が豊かになることを楽しむのです。ですから、布施が「喜捨」、喜んで捨てるといわれるのはこのためです。

 ですから、仏様やお寺へのご供養のための布施は、喜んで捨てられるだけ目いっぱいして下さい。見栄や「他の人がこのぐらいするから」といったような、理由で金額を決めるのではなく、「布施行」として自分の心に正直になさると良いでしょう。

 お布施を「料金」と受け止めていると、「布施行」の喜びは味わえないでしょう。

 

 「布施」は、物や金銭だけではありません。「和顔愛語」は、仏教徒として歩むものの生きがいの一つです。柔らかで、やさしい表情、笑顔を人に向ける。そして優しさと思いやりに満ちた言葉を語る・・・・これも大切は「布施」の修行なのです。

 朝起きたら、鏡に向かってニッコリ笑ってみませんか?今日一日の命をいただいた喜びでニッコリすることからスタートしましょう。笑顔の人には、良いことがたくさんやってきます!

◎今日の写真も前回と同じく、大阪市立陶磁器博物館で見た、鼻煙壺です。これは白玉(ハクギョク)で作られた壺のようです。ヒスイやメノウで作られたものも見たことがあります。