慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

8月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、8月21日(日)10時より行います。テーマは「そもそもカルトって何ですか?」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加下さい。

雪舟と狩野元信にかこまれて、至福の夕べ Part2

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(狩野元信『浄瓶踢倒図』龍安寺所蔵)

 先々週、京都の本山で開かれた教学講習会に出席した帰り、京都博物館で誰もいない展示室で雪舟と出会うという至福の時を過ごした時のことを書きました。

 実は、その同じ展示室には、狩野元信の『浄瓶踢倒図』 も展示されていたのです。この絵は龍安寺の所蔵品なのですが、京都博物館に預けられているようです。

 この絵のことは絵画史の本などで見た事はあるのですが、原物は初めて。構図も面白いし、描かれている4人の人物の表情が、いつまで眺めていても飽きないほど面白い!

 ある時、懐海禅師という長老の禅僧が、霊祐禅師という僧侶に瓶を示し「これを瓶と呼ぶべからず。では何と呼ぶか」と問いかけます。禅問答ですね。これに対し、霊祐はその瓶を蹴飛ばして歩き去ろうとしている所を描いたのが、この絵です。

 霊祐は目の吊り上がった、結構傲慢そうな顔に描かれています。問いかけた懐海は、若い生意気そうな僧侶をとっちめてやろうとしたのに、軽く躱されてビックリしているようでした。ちょっと下品な表情に描かれていて、とても高僧とは思えません。さらに情けないのは取り巻きの二人の僧侶。慌てぶりが表情にはっきり表れています。

 このお話は禅の世界ではとても有名なお話です。悟りの本質を見抜いた霊祐の秀でた態度を表しているのだそうです。

 しかし、雪舟の『慧可断碑図』を見たときにも感じた違和感。本当にそうなのかしら?別に瓶を蹴飛ばさなくても良いのでは?ニッコリ笑って瓶を受け取り、中にお酒でも入っているのなら、ぐびぐび飲み干して去っていった方がいいのじゃないですか・・・

 瓶を蹴飛ばし、穏やかならざる表情で歩き去る霊祐の姿には"怒り”が感じられます。それは解脱とは遠くかけ離れているのではないでしょうか?

 まぁ、禅の深い世界は私にはとてもうかがい知ることはできませんが、雪舟と元信を独り占めにして過ごした時間は、正に至福の時でした。