2月28日、1月にお亡くなりになった旅行ジャーナリストの兼高かおるさんを偲ぶ会が、東京のホテルニューオータニで開かれました。
私は生前、一度短いインタビューをさせていただいたことがあるだけのご縁でしたが、兼高さんが会長をなさっていた日本旅行作家協会に属しているので、この偲ぶ会にご招待いただきました。
会場には400名を超える人たちが集まり、哀しみの中にも、それぞれの「兼高さんとの思い出」を楽しそうに語り合っていました。正面には美しく歳を重ねられた兼高さんの写真と、地球儀をイメージした献花台が作られていて、参加者はそれぞれバラの花を献花台に捧げていました。
会場には、兼高さんが世界各地を旅している時の写真が飾られ、ゆかりの品も展示されていました。
特に印象的だったのは兼高さんの取材メモ帳です。
手袋をお借りして、ノートを開くと、踊るような字で「その瞬間」を切り取る言葉が並んでいました。
几帳面な印象はあまりなく、次々と膨らむイメージのキーワードになる言葉を急いで書き込んだという感じでした。兼高さんの資料を管理している方にうかがうと、このメモをもとに、旅が終わると詳しく資料を調べたりなさっていたそうです。
兼高さんの知的好奇心がキラキラと輝いてノートに刻まれているような気がしました。
「兼高かおる世界の旅」というTV番組は、女性でもこんな仕事をして世界中を飛び回ることができるのだと私に教えてくれました。私が旅行ライターになったきっかけの一つと言っても良いでしょう。その意味では兼高さんは、私の生涯の恩人の一人です。
このノートの横には、兼高さんのスポンサーだったパンナム航空の航空バックがいくつも飾られていました。パンナムの飛行機に乗る・・・というのも、私のあこがれの一つでした。
私が初めてパンナムの飛行機に乗ったときには、パンナムはすでに業績がかなり悪化している時でした。それでも、ニューヨークでパンナム本社の建物を見上げた時には、感慨深いものがありました。
そのパンナムも今はなく・・・すべては無常なのですね。