慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

戒名を授けさせていただくのは僧侶の喜び

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 今朝、家事をしながらラジオを聴いていたら、葬儀社がスポンサーとなっている番組の質問コーナーが聞こえてきました。

 今日の質問は「結婚して苗字が変わり、今の住所に引っ越してきたら、同姓同名の人が周囲にたくさんいることに気が付きました。私の戒名も、同じ戒名の人がたくさんいることになるのでしょうか?」というものでした。

 答えはごく素直に、「戒名は仏教徒になったときに与えられるもので、宗派によっても違うので、同じ姓名の人でも、同じ戒名になることはありません。」というものでした。

 質問者の方がなぜこのような疑問を持ったのかとても気になるところです。

 ひょっとしたら、自分の同姓同名の方の葬儀に参列して、「戒名は自分の名前に関連して付けられる」とでも聞いたのでしょうか?そして、自分もやがて同じ名前になると思ったのかもしれませんね。

 でも、この方は「戒名」というものに興味を持って下さったわけで、今こそ、仏教と出会う良い機会になるかもしれません。

 私は初七日の法要の後に、いつも、「戒名とは何か」というお話をさせていただきます。そして、それぞれの戒名に使われている文字の意味、経典から引用しているなら、そのことについてもお話します。

 戒名は、仏弟子になったことを示し、新たな名前を授かって、新しい道を歩み始めたことを表しています。

 親から授かった名前は、親の期待を込めたものでしょう。一方、戒名はその人の人柄や人生の歩んできた道を表現し、これから菩薩として歩み始める姿を象徴するものです。

 ですから、生きている間に、信頼できる僧侶とご縁を結び、戒名を授けていただくのが本来のあり方です。

 僧侶にとって、自分の弟子として極楽へ迎え取られる方々に名前を授けさせていただけることは、何とも素晴らしい体験です。その方の人柄、人生体験、家族や友人たちのとかかわり方などをうかがい、経典の中からふさわしい文字を選ぶのは、簡単ではありませんが嬉しい役目です。

 今日のラジオの質問者の方も、仏教や仏事に関する疑問を気軽に質問できる僧侶とご縁を結んでくれるといいですね。

 慈雲寺では、どのようなご相談、ご質問にもできる限りお応えします。難しい問題も、口に出して語ると、自分で光が見えてくることも少なくありません。

阿弥陀さまは誰でも、その身そのままで受け入れ、慈しんで下さっています。

◎今日の写真はインドのニューデリーで見たモザイク装飾です。