私が京都の本山で修行をしていたとき、女性は山内に随身することができなかったので、近くの家に下宿させてもらいながら通いました。
そのお宅では、「尼僧を志す方のお世話をさせてもらえるのはありがたい。」と心から思って下さっている方々で、本当に大切にしていただきました。
本山のある長岡京市は筍で有名な所で、下宿させていただいていたK家も竹林を持っておられました。筍の最盛期にはお手伝いをする(といっても、素人に筍堀りは無理。せいぜい、掘られた筍を拾い集める程度でしたが・・・)こともあり、掘ったばかりのとびきり美味しい筍を味わう至福の体験もさせてもらいました。
先日、そのK家の御当主が亡くなられ、葬儀に参列させていただきました。長い間、闘病されていたのですが、お顔は穏やかで、心の優しさが最後の姿にも表れているようでした。
多くの人たちが参列し、小学校からの同級生たちに見送られての出棺でした。多くの人に愛されていたことが伝わってくる、良い葬儀だったと思います。
下宿していたときの私の仕事は、毎朝配達される『日本農業新聞』を読み、Kさんが晩酌する時に、そのハイライトをお話することでした。下宿している間に、私はすっかり「農本主義者」になってしまったほどです。
私が加行(この行を終えると、一応、僧侶として一人立ちできる)を終えたとき、一番喜んでくれたのもKさんご夫妻でした。
その後も、毎年筍の季節になると、私の実家に見事な筍を届けて下さっていました。
Kさんを偲んで筍を茹でながら、平成最後の日をゆったりと過ごしています。
◎今日の写真は、此岸から彼岸へと渡ろうとする念仏者の姿を描いた『二河白道図』です。