慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

蚊とメダカに餌を与えただけの一日

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 お地蔵さまの花替えをしようと夕方、地蔵堂へ行きました。暑さでボーっとしてたせいか(いや、ボーっとしているのは一年中なんですが・・・)、素足、半そで・・と、まったく無防備状態でフラフラ境内を横切ったら、アッと言う間もなく十か所ぐらい刺されてしまいました。

 部屋にもどってぷっくりと膨らんだ噛み跡に薬を塗りながら・・・「う~ん、今日も朝の月参りは別として、蚊とメダカに餌をやっただけの一日だったか」と申し訳なさにうなだれてしまいました。

 その時、先日ある方からいただいたお電話のことを思い出しました。初めてお電話下さった方でしたが、少しお話をしている間に、その方がどんどん「自分のできること」をアッピールしていることに気が付きました。

 「できること」が多いのは、もちろん喜ばしいことです。才能に恵まれていたり、良いご縁に恵まれていたりして、その「できること」が増えていったのでしょう・・・と思って聞き続けていたら、どうもそうではないようです。

 「自分には、こんな才能もあるのに、認めてもらえない」という悔しさ、哀しみを私に訴えていらっしゃるようなのです。

 人は誰でも、強い「承認欲求」を持っているものです。親に褒められたい、友達に認められたい、上司に能力を認めて欲しい・・・などなど、「他人の評価」への‶飢餓”は、私たちの心を苦しめるものの重大な要素の一つです。

 自分のことを知ってもらうのに、「自分のできること」、「自分の才能」を伝えるのは大切なことなのかもしれません。でも・・・・

 阿弥陀さまは、「できることが多い」とか「何かに優れている」ことを救いの条件にはなさっていません。足りない、優れていない、できない凡夫の私をその身そのままで受け入れて下さっているのです。

 う~~ん・・・でも、今日の私はやっぱりダメダメかも。

◎今日の写真は奈良の薬師寺で見た蓮の花です。無心に咲いて、ただ散っていく花です。