慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

「いじめはダメ」だけでは、いじめはなくならない

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 今朝の新聞に元大リーガーの松井秀喜さんや元サッカー日本代表井原正巳さんらいじめ撲滅を訴える動画をYouTubeで発信。松井氏は「人をいじめるのは一番やっちゃいけないこと」、「一方的に弱いものをじめる、そんなダサいことはない」と語りかけているそうです。

 このブログにも何度か書きましたが、私は小学生の時に、かなりひどい暴力を含むいじめにあいました。当時のことは、実はあまりよく覚えていません。自分の心の中に、「忘れたいこと」として封印されているのではないかと思います。

 両親は担任の先生に訴えましたが、先生は「宮田さんが女の子らしく、おとなしくしていれば問題にならない」と一蹴されたそうです。そこで両親は速攻で転校を決意、当時の私の家の経済状態からするとかなりの負担だったはずですが、迅速にことをすすめてくれました。

 転校によって、状況は一転。私は学力の面では追いつくのに結構苦労した以外は、快適が生活に変わりました。この時の親の決断と行動には、今も深く感謝しています。

 しかし、いじめによる「傷」は、完全に癒えることはありません。今でも、時々かさぶたがはがれて、生傷が顔を出してしまうことがあります。

 先日も、母が「あの時はねぇ~~」と、なんだか武勇伝のように話し始めたので、「その話は聞きたくない!」とつい声を荒げてしまいました。自分の中で完全には解決がついていないのでしょう。

 僧侶としては、「被害者」としての自分のことばかりでなく、「加害者」だった少年も、いったい何を抱えてあのような行動に出たのか考えなければなりません。「いじめはダメ」だけでは、加害者側のかかえる闇や病を解決できないと思うからです。

 難しいなぁ・・・

◎今日の写真は北極海に浮かぶ島の夏景色です。氷塊が押し寄せて来て、もう夏も終わりです。