慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

「今だけ、金だけ、自分だけ」・・・さて私は?

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 コロナウイルスの問題の広がりにつれて、病気の問題はもちろんですが、トイレットペーパーやお米の買い占めの狂乱について毎日心が重くなっています。

 トイレットペーパーやティッシュの箱をたくさん抱えてドラッグストアを出てくる人を見ると、この人たちがいったい何に心が踊らされているのかと哀しくなります。これだけ情報があふれているのに、少し考えれば「トイレットペーパーの品不足は流通の問題」とか、「トイレットペーパーは生産も原料もほぼ国産」ということはわかりそうなものです。ましてや中年以上の人は、以前にもデマに踊らさ、トイレットペーパーを求めて狂奔した経験があるはずです。

 私は新型肺炎の問題以前に、漠然とした不安が蓄積され続けていたのではと思います。内閣や役人に対する深い不信感も不安を助長していることでしょう。

 

 現代人の心の闇を表現するのに「今だけ、金だけ、自分だけ」という言葉があります。コロナウィルスは、この「今だけ、金だけ、自分だけ」の心にパニックをもたらすスイッチのように思えてなりません。

 仏教はむやみに信じることを求めていません。現象には必ず原因があると考えます。不安があるなら、その元を断つように努力していくのが仏教徒の考え方です。

 阿弥陀如来は、いつも不安に揺れている私たちを救うために仏になられた方です。阿弥陀仏におまかせして、「今だけ、金だけ、自分だけ」からできるだけ離れることが「狂奔、狂乱」から離れて、落ち着いて「本当に今すべきことは何か」を考えられるようになるでしょう・・・・と、偉そうなことを言っていますが、私も「今だけ、金だけ、自分だけ」に心を絡めとられている凡夫ですね。

 

 漠然とした不安に心がざわめくときは、ご近所のお寺を訪ねて下さい。慈雲寺においでになるのも歓迎です。しかし、自分のお散歩のコース内に「かかりつけのお寺」を見つけるのがベストです。

 慈雲寺では、今月、写経や「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」、お彼岸の合同法要など、全ての行事を中止します。しかし、個人でお参りいただくのはいつでも歓迎です。本堂には写経をしていただく用意もしてあります。

 慈雲寺はどの宗派の方でも、御供養させていただきます。そのほか、さまざまなご相談に応じますので、お気軽にご連絡下さい。電話052-621-4045

◎今日の写真は近江八幡から見た琵琶湖です。

 また、お彼岸の御供養も、お寺でもご自宅でも、個人的にご希望があれば喜んで応じますので、ぜひお声がけくださいませ。