今日は京都の本山へ、僧侶の検定講習の講師に行っていました。検定講習というのは、住職になるための最低条件を満たすためのスクーリングのようなものです。この条件を満たすためには、いろいろな機会があります。私は宗門の短大へ一年聴講生でかよって資格をえました。しかし、仕事をしているなどの理由で、学校などに通えないひとのために、年に二回1週間ずつの講習会があるのです。
この講習会で資格をえるには最低でも3~4年かかりますから、なかなかに覚悟のいることなのです。しかし、この検定講習は宗門の人材養成の最前線。そこで講師をさせていただけるのは、私にとっても勉強のし直しのチャンスです。
私は、仏教概論の担当で、仏教についてほとんど知識のない人が、「仏教の目指しているものはなにか」、「仏教はその目指すところに到達するために何をしようとしているのか」などという質問に自分なりの答えを組み立てる手伝いをするものです。
基礎を教えるということは、自分がきちんと足元を固めていなくてはできないことです。自分を振り返って、適任とはとても言えません。しかし、人に教えていると、自分の理解が十分でないところが、浮かび上がってきます。それは私にとって、とてもありがたいことなのです・・・・受講者の側からは、そんな頼りのない講師では困るでしょうが。
本山にいる間は、修行僧と同じ日程で暮らします。今朝も夜明けとともに勤行をしたのですが、3月11日ということで、東日本大震災の犠牲者への供養も行われました。あれから9年。最初のころは「自分にできることはないか」など、一生懸命考えていましたし、被災したお寺の墓地から遺骨を収集するボランティアなどにも行ったのですが、なかなか継続することはできませんでした。
今日、改めて、3.11はけした過去の出来事ではなく、被災状況は今も続いているのだと思い、自分が何ができるのかと自らに問いかけています。