慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

こんな時だからこそ、仏教を学んでみましょう。 part3 釈迦の悟り

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 今日は取材で久しぶりの外出。人の気配の無いお寺の境内で一休みしていたら、桜がまだ散り残っているのに気が付きました。人との接触をできるだけ避けるのを心がける日々ですが、花はいつもとかわらず咲いていました。

 慈雲寺にも木瓜の花が咲き残っています。あちこちで歩かず、境内にある植物に注意をそそいで、手入れをしようと思っています。

 

 さて、外に出歩けないときは、私たちの心の内側へ旅してみましょう。以前、霊友会という仏教系の新宗教が「インナートリップ」というキャッチコピーを使っていました。英語としてはちょっと疑問ですが、「自己の内面を見つめる内省の旅」という意味だとしたら、なかなか味わいがあります。

1)お釈迦様のおいたち

 お釈迦さまのおいたちについて、少しおさらいしてみましょう。

 お釈迦さまは、およそ2500年前、シャキャ族の族長であるスッドーダナの息子、ゴータマ・シッダールタとして生まれました。「王子として生まれた」と言われますが、王国というより「部族長の子供」といった方が良いでしょう。いずれにせよ、物質的に恵まれた環境に育ったのは確かです。

 しかし、母親のマーヤーは、シッダールタを生んで間もなく亡くなります。叔母によって養育されましたが、実母の愛情を知らずに育ったことが、「ものおもいにふけり、しばしば、ふさぎ込むこともあった」というシッダールタの性格にどのような影響を及ぼしたのか興味深いところです。

 シッダールタは16歳の時に結婚し(当時のインドでは珍しいことではありません)、29歳のときに子供が生まれています。

 しかし、彼は「人生の苦」について深く悩み、誕生したばかりの子供と妻から離れ、修行者となります。

 日本でもインドでも「修行」というと、「苦行」と考える人がほとんどでしょう。肉体的にも精神的にも、究極まで自分を追い詰めていくと、その先に「悟り」の世界が広がっていると思えるからでしょう。

 シッダールタも、瞑想や断食をはじめとして、さまざまな苦行にあけくれました。目が落ちくぼみ、全ての肋骨が浮き上がって見えるほど痩せこけた、鋭い表情の釈迦像があります。ガンダーラ美術の傑作のひとつです。

 お釈迦様は6年間、こうした苦行を続けましたが、人生の苦悩を解決するには結局役立たないと気が付きました。極端な苦行から離れたお釈迦さまは、体を清め、村娘のささげた乳粥を食して、穏やかな気持ちで、心静かに瞑想に入ります。

 お釈迦様は、外からの妨害、自分の内側からの葛藤と戦い、ついに悟りを開きました。お釈迦様が35歳の時です。

 それから80歳で亡くなるまでの45年間、お釈迦様は各地を「遊行」しながら、多くの人の苦しみや悩みを抱えた人々に教えを広めていかれたのです。(つづく)