慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

出家を考えて下さっている方へ Part3 -私の場合(2)-

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 北米の大学院では、修士レベルなら「どれほど新鮮な視点で問題を探し出せるか」という点を高く評価してくれます。その着想にきちんと裏付けを取り、より深く掘り下げていかれるかどうかが、その後の研究者として進むべき道への扉となります。その場合、鍵になるのは集中力です。

 残念ながら、私は着想は多少ユニークでも、掘り下げる能力が決定的に弱い。集中力がなさすぎるのは人間として情けないですが、研究者としては致命的な弱点です。これは、仏教の修行者としての資質にも大きくかかわってきます。修士論文に取り組んでいく間に、自分の能力欠如や性質といやでも向き合わなければならなかったという経験は、その後の私の生き方に大きな影響を及ぼしました。

 大学院をなんとか修了した私は、そのままカナダに残り、フリーランスの記者や通訳の仕事などで暮らし始めました。当時、北米では「ZEN]が大ブーム。日本から僧侶が何人も来て接心や講演会を行っていました。私はときどき、そうした「宗教イベント」の通訳に呼ばれたのです。

 何人もの僧侶のお手伝いをするうちに、2人の僧侶から「出家しないか?」と勧められました。私の資質を見たというより、通訳のできる弟子が欲しかっただけだったのかもしれません。禅宗の修行に集中力は不可欠であることは容易に想像できましたから、せっかくのお誘いは「縁」とはならず通り過ぎていきました。

 

 慈雲寺の属する浄土宗西山派西山浄土宗)には、海外寺院が一つだけあります。その寺院がオープンしたとき、私は新聞記者として取材に派遣されました。不勉強な私は。法然源空上人(法然上人)の高弟に善慧房證空という人がいたことを知りませんでした。法然から證空へ受け継がれた教えのことも、もちろん全く知りませんでした。

 しかし、インタビューに応じてくれた橋本随暢という僧侶は、洗練された宗教者という印象ではなく、素朴で、心の温かさと豊かさが声に現れているような人でした。

 随暢上人は、インタビューの途中で、私が比較宗教学をかじったことを知ると、急に話題を変え、しばらく世間話のようなことをしたあげくに、「あんた、お坊さん向いてるよ。日本においで、得度させてあげるから。」と言い出したのです。

 その時の私は、禅宗の僧侶に勧められた時と同じように、曖昧に笑って話をそらしてしまいました。しかし、何か前とは違う気持ちが湧いてきました。取材が終わると、私はそのまま母校の図書館へ行き、證空について調べ始めました。證空が法然から受け継いだ教えは、弁長上人や親鸞聖人の受けとめ方よりも、ずっと理詰めでクリアな印象を受けました。その時、私は西山派の教えに「はまって」しまったのかもしれません。

 私は翌日から、仕事をはじめとする身辺整理をはじめ、数か月後には随暢師の住む和歌山県へ向けて旅立ちました。別段「大きな決意」をしたわけではありません。「出家するぞ!」と勢い込んだわけでもありません。

 私を動かしていたのは、法然と證空という子弟の教えへの興味、好奇心でした。

 まさに「ご縁が動き出した」というしかありません。