先日、一般の弔問客としてある葬儀に参列しました。新型コロナの影響で葬儀は小規模でしたが、影響の大きなお仕事をしていらした方なので、斎場には多くの方がいらしていました。
葬儀はシンプルでしたが、心のこもったもので、僧侶の読経も心に沁みるものでした。しかし、親族の焼香が始まると少し違和感。参加していた小学校高学年から中学一年生ぐらいの子供の服装がいかにもカジュアルだったのです。子供ですから、気に入った服を着たいと、親の言うことを聞かなかった・・・という可能性もありますが、まるで友達のコンビニの前でたむろしているときのようなかっこ。う~~ん・・・・
自分だけ場違いな格好をしていることには気が付いたのでしょう。その子供は本葬の間中、居心地が悪そうで、近親者(おそらくは初めて)の葬儀という、人生について考える大きなチャンスを逃した気がします。
北米のやや保守的な家庭の子供は、小学校にあがるころになると、教会の礼拝に行くときに着る、ちょっとフォーマルな服を親や祖父母に用意してもらいます。これを「サンデースーツ」と呼びます。子供の成長が速いので、サンデースーツは大きめのサイズを買う人が多いせいか、ぶかぶかで、しばらくはちょっとかわいそうな子供もいます。
オフィシャルな場所へ行くときに、服装を整え、心を整えていく体験を積み重ねていくことはとても大切だと思います。葬儀・・・人の死という特別な体験をするときに、非日常のサンデースーツが「心構え」を整えていく手助けをしてくれるのではないでしょうか?
◎今日の写真はアラスカへ向かう巨大なフェリーです。船首の部分が上に持ち上がり、大型トラックがたくさん乗り込めるようになっています。