慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

今日の読書 = 『河北新報の一番長い日』

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  慈雲寺の山門に本箱を置き、小さな「慈雲寺文庫」を開設してから数カ月たちました。気に入った本は持って帰っても良いし、読み終わったら返してくれても良いし、交換しても良いし・・・という何でもありのシステム。「寄付も歓迎」というポスターを貼ったら、いつの間にか本が増えています。

 困ったことに、私が読みたくなるような本が多くて、「まず私が読んでから本棚い入れよう」などと勝手なことをしています。そのうちの一つが、今日一気に読んでしまった『河北新報の一番長い日』です。この本は東日本大震災の時、東北を代表する地方紙である河北新報の記者たち、編集者たち、そして新聞の印刷を行う人たちや会社の役員たちが、あの極限の状況でどのように報道し、どのように新聞を発行し続けたかという本です。抑えた筆調で書かれているのが、かえって緊迫した状況をリアルに伝えていて、ドキュメンタリーとして秀逸な本だと思います。

 

 お行儀が悪いことはわかっているのですが、私は一人で食事するときについ本を読んでしまいます。レストランで食事をするときにも我慢できないことがあるので、できるだけ目立たない席に座ります。

 今日も、取材途中のランチの時に、この本を読み始めたのですが、数ページを読み始めただけで涙がぽろぽろと出てきてしまいました。ハンバーグを食べながら泣いていた謎のおばあさんになってしまったわけです。

 超ローカルとは言え、私も今は新聞記者の端くれ(のさらに末端ですが)・・・・現在のコロナの問題を含め、不測の事態が起きたときに、私は記者(+僧侶)として何ができるでしょうか?どう動けばよいのでしょう?私に、河北新報の記者たちのような覚悟はあるのでしょうか?

 実は河北新報には、私は特別の思いがあります。大学3年になって、いよいよ就職のことを考えるようになったとき、大学は紛争の真っ最中で校舎は封鎖。就活(そんな言葉はまだありませんでしたが・・・)に走り回れる雰囲気でもありませんでした。私は同じ学部で大学院に進むか、別の学部に学士入学するか、ともかく学生生活を延長しようと思い、学費をためるためにアルバイトに励んでいました。

 そんな時、唯一気になったのが、この「河北新報社」の求人広告でした。採用される可能性は限りなくゼロに近かったでしょうが、もし入社していたら、震災の時にはきっとまだ記者か編集者として働いていたことでしょう。

 

 ライターとしての最後で(突然小説が書きたくなったりしない限り・・・)、ローカル新聞の記者に戻れたのも不思議なご縁だし、ありがたいことだなと思った一日でした。