慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

「形あるものは必ず壊れる」・・・淡路島の世界平和観音の廃墟 Part2

f:id:jiunji:20200906110538j:plain

 上の写真は前回のエントリーでお話した、淡路島の世界平和観音の横に建てられている五重塔です。だいぶ荒廃が進んでいますね。

  仏教では、「色」すなわち物質というものの根本的な性質が「壊れる」にあると見ています。それがどれほど立派であろうと、頑丈であろうと、やがて変化し壊れていくのです。

 日本には1000年以上の歴史を誇る建物がありますが、それもけして建立したときのままではありません。絶え間ない修理や補修を繰り返しているのです。

 「寺院が壊れる」という言葉から真っ先に浮かぶのは・・・慈雲寺の本堂の雨漏り・・・あ・・・ではなくて、かつて富士山を見渡す素晴らしいロケーションに建っていた巨大な寺院、大石寺正本堂です。

f:id:jiunji:20200910222403j:plain

 この建物は1972年、日蓮正宗の総本山大石寺の本堂として建てられたものです。350億以上の建設費のほとんどは、当時日蓮正宗の信徒組織だった創価学会の信者が寄進したものでした。

 しかし、日蓮正宗創価学会の関係が悪化し、ついに創価学会が破門されるという事態となりました。その結果、一度に6000人の人々が礼拝を行えるこの巨大な寺院は、日蓮正宗の手によって、50億もの巨費をかけて徹底的に破壊されました。

 私はこの破壊事件について、一般の創価学会員がどう感じていたのか?また、他の仏教宗派の人々は、この凄まじい怒りの発散をどうとらえていたのか?とても興味があります。この件に関して、良い資料となる本をご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひコメント欄でご教授下さい。

 

 どれほど巨大なものを造っても、どれほど大切にしても、劣化は免れることができないし、台風や地震など大自然の力は容赦がない。それ以上に人間の怒り、欲望といった煩悩によっても破壊されてしまう。 

 信仰を支えるのは巨大な建物ではないはずです。でも・・・・やっぱり慈雲寺の屋根は直さなくちゃなぁ・・・う~ん・・私は大仏さまが好きなので、巨大なものを全部否定したいのではないのですが・・・。中部地方には結構あちこちに大仏さまがおいでのようなので、涼しくなったら、東海大仏めぐりをしたいと思っています。

 

 バックアップ