慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

お寺でまったり・・・・

f:id:jiunji:20201005090536j:plain

 慈雲寺では、毎月満月の夜にお月見を兼ねた写経・写仏の会を行っています。先日の満月の夜、小学生ぐらいのお子さんを連れた若いお母さん数人も参加してくださいました。子どもたちも写仏や「南無阿弥陀仏」の名号を一緒に書写してくれていました。

 お茶とお菓子を用意していたら、他の方々がお帰りになった後も、お母さんたちは楽しそうにおしゃべり。「ここはくつろげるので・・・」と皆なニコニコ。

 くつろげる・・・・これは本当に嬉しい言葉です。

 

 立派なお寺、塵一つなく整備されているお寺に、徳の高い高僧がおいでになるお寺も大切だと思います。「権威」とか「威儀」とかいうものを感じると、語られる言葉や教えをありがたく受け入れたくなるからです。

 でも、私は「権威」のかけらも身についていないので、そちら側からのアプローチは難しい・・・・では、どうすれば・・・・

 「まったりできるお寺」というアプローチはどうでしょう?心が少し重いとき、阿弥陀様の前で手を合わせてボンヤリできるお寺。もちろん、心地よさが大事ですから、掃除は必須ですね・・・ちょっと困った・・・・と、思っていたら、嬉しいオファーがありました。

 地元の女性たちの趣味の会、今までは公民館を利用していたのですが、コロナ禍で一時公民館が閉鎖されていたとき、「お寺を使わせて下さいませんか?」とお声をかけて下さいました。もちろん大歓迎!「お礼は?」という質問に、冗談半分に「お参りのお賽銭を御喜捨下されば十分です。良かったら、お掃除をして下さるとありがたい。」とお願いすると、「もちろん、使用後はきれいにさせていただきます。」と即答でした。

 そして何と、すみずみまで掃除機をかけ、拭き掃除までしてお帰り下さいました。嬉しい!

 そして、公民館が使えるようになってからも、「慈雲寺の方がくつろげるという声が多い」とのことで、先日、また使っていただきました。そして、また綺麗に掃除してお帰りになりました。ありがたし!

 ま、本当なら、毎日私がきれいに掃除すべきなのですが・・・・

 

 と、いうわけで、慈雲寺は「お寺でまったりしたい」という方はいつでも大歓迎。心の中の怒りや不満のエネルギーを拭き掃除に転換・・・というのも歓迎です。

 

◎今日の写真は、ご近所の川端に咲いていたオシロイバナです。この花はなんとアンデス原産。江戸時代に観賞用に日本に持ち込まれ(どうやってかな?オランダから??)、やがて野生化したそうです。