慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

7月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、7月17日(日)10時より行います。テーマは、お盆の起源と言われている、目連尊者と地獄へ落ちてしまった彼の母親のお話です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加下さい。

身施ありがたし!

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 巡教の日が迫っているというのに、なかなか準備が整いません。私はお説教の原稿をいったんきちんと造り、それから余計なものを外して整えて行くという「編集」方式をしています。まず基礎の原稿を覚えて、それを口で言ってみて時間がどのぐらいかかるか把握します。実際の現場では、お参りに来て下さる方の様子や反応、会場となるお寺の雰囲気などで内容を調整しながら話すので、原稿通りとは言えませんが・・・・

 今回は、この編集作業がなかなかうまくいきません。今年は他のお寺から、お説教にお招きいただくことが全くなく、練習不足と言えるかもしれません。毎月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」も長くお休みしていたし・・・・

 というのは、単なる弁解です。

 そんなわけで、バタバタは続いているので、お寺の内外はカオス状態となっています。そんな時、突然お寺を訪ねて下さった方が、「お庭の掃除をさせてもらっても良いですか?」と聞いて下さいました。以前私が、「身施」についてお話したことを思い出して実行して下さることにしたというのです。

 身施とは、布施行の一つです。布施は、人のためになることをさせてもらうという慈悲の行い。仏教徒にとっては大切な修行の一つです。「お布施」というと、お金でのお供えがすぐ思い浮かぶと思いますが、これは財施といって、人が最も執着しやすいお金や物を手放すという修行につながります。ですから、財施は僧侶への「料金」ではないのです。これはまた別の機会に詳しくお話しましょう。

 もう一つ、大切なのは身施です。これは実際に行動で行う布施。自分がもっとも執着しやすい、「自分の時間」、「自分の労力」を他の人のために使って、手放すことです。執着、こだわりから離れる修行なのです。

 お掃除の身施のお申し出は、今の私には本当にありがたいものでした。門の周辺や墓地の入口にたくさん落葉していて、申し訳ない状態だったからです。

 布施は見返りを求めてはいけないので、お礼を言われるのは迷惑(?)だったかもしれませんが、つい嬉しくて有難くて、何度も「ありがとうございます!」と言ってしまいました。嬉しい・・・・

 いや、「慈雲寺はいつもきれいで身施する場所がない!」と言われるほどでないといけないのでしょうが・・・・

◎今日の写真は先日、慈雲寺が属する浄土宗西山派西山浄土宗)の総本山光明寺で見た菊です。見事に咲いていました。