このブログを書く目的の一つに、出家に興味を持たれた方に参考となることや、尼僧を志す方を励ますというものがあります。
尼僧志願の方を受ける側(お寺や師僧になる側)の事情はなかなか語られることはないようです。現在、多くの僧侶は親や親戚が師僧となって出家するので、その状況というのはなかなか外に知られることはないからです。
3)弟子を受ける側の経済的な事情
一番微妙で語られにくいのは経済的なことかもしれません。
私は自分が出家できるという喜びと、全く新しい道が開かれたことへの好奇心で、当時、全く考えもしていなかったのが、この「弟子を取る側の経済的事情」でした。私を僧侶にしてくれた最初の師僧である橋本随暢上人は、和歌山の比較的小さなお寺の住職でしたが、説教師として全国を飛びまわり、檀家だけではなく、多くの信者を得ていた方でした。そして、集まった浄財を惜しげもなく弟子を育てることに使い、20名以上の弟子を育てた方です。
弟子を持つということは、その弟子の生活、衣などの僧侶として必要な用具、勉強のための学費などなど、それぞれにお金がかかります。私は生活費は自分で賄っていましたが、学費や僧衣などは全て随暢上人が揃えてくださいました。
そして、上人は恩着せがましいこと、とりわけどれほどお金がかかったなどということを一言も言わない方でした。もちろん、そういうことは弟子の私の方で推測するのが当然なのですが、当時は与えられるままに、ただ感謝するだけでした・・・・私は本当に愚か者でした。
ところが、随暢上人から、他の師僧に「師僧替え」をすると、現実にすっかり目が覚めました。新しい師僧は、「弟子を持つコスト」について、私がしっかり自覚することを求めたからです。与えられた分は、きちんと返すという、当然のことを教えてもらったことで、ぼんくらな私も目が覚めたわけです。
さらに、慈雲寺の先代さまのところに移るときも、最初の質問は、「慈雲寺には、あなたに給料を払う余裕はない。自分の食い扶持は自分で持ってこられるか?」と聞かれました。
実はこれも当然の質問です。尼僧寺院の多くは檀家も少なく、寺院の維持費を捻出するだけで精一杯。尼僧たちは自分の「食い扶持」は、お花やお茶を教えたりして自分で作ってきたのです。慈雲寺の先代も、裁縫教室を開いていました。
私は旅行ライターや通訳の仕事を続けるつもりでいましたから、お寺から給料のことは実は全く考えていませんでした。必要な僧衣も全て持っていましたし・・・
(つづく・・・次回は慈雲寺に弟子を迎えるについての私の夢をお話します)