21日の日曜日(10時より)にお彼岸の法要を兼ねて、「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」を行うことにしました。その準備をしているところですが、ノートを作りながら「私はなぜ生きるのか疑問になったことはあっただろうか?」を改めて自問しています。
そこで思い出したのが、私の胸に紫色の痣ができていたときのことです。
30年ほど前、カナダに住んでいた私は、さまざまな人生の転機が積み重なり、そのほとんどが「自業自得」(当時は仏教からみた本当の”自業自得”の意味は知らなかったのですが・・・)だったので、悲しみや怒りをどこに向けることもできず、知らず知らずのうちに自分を攻撃していたようです。
胸が苦しいような気がして、胸の真ん中辺りを指先でトントンとたたくのが癖になりました。けして強い力でたたいていたわけではありません。トントン・・・トントン・・・気がつくと指が胸のところにあるのです。
ある朝、起きて着替えようとしたとき、ふと自分の胸を見ました。すると、胸の辺りに痣ができていたのです。500円玉ぐらいの大きさでしょうか。痣は深い紫色で、まるで何か硬いもので殴られたような色でした。
私はようやく自分が深く病んでいることに気がつきました。医者に行かなければならないと、その痣が叫んでいるように感じたのです。医者の診断はうつ病でした。
「一人で暮らしているなら入院しますか?」と聞かれたので、医者は自殺を懸念していたのではないかと思います。
私は「自分は自殺を思ったことはありません」と医者に答えていたのですが、彼女は「じゃ、薬を飲んで、ご飯を食べるようにしましょうね。ご飯を食べないのは、スローな自殺よ」と言いました。このあたりのやりとりは、カナダならでは?日本の精神科医だったら、こんなにはっきり言わないのではないかと思います。
幸いなことに、その日処方された薬は、すぐに効果をあげ始めました。しかし、胸をたたく癖はなかなか抜けず、痣が消えるまでには長い時間がかかりました。
しかし、この痣は、私が僧侶になるきっかけを作ってくれた「縁」のひとつなのかな?と思っています。仏教は「なぜ生きるのか」を追求する教えですから・・・