慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

6月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、6月16日(日)10時より行います。テーマは聖徳太子と仏教です。父の日に、日本仏教の父とも言える聖徳太子についてご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

お葬式の心配だけが「終活」ではない

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「終活」で心配なのはお墓と葬儀だけ?

 上のイラストはネットの無料画像からお借りしたものです。「終活」で検索すると、上のようなイラストがたくさん出てきました。

 葬儀のこと、お墓のことを心配している様子ですね。真ん中の僧侶のイラストはなんでしょう?お坊さんが妙にニコニコしているのが気になります。ひょっとして「お布施」の象徴でしょうか? そうだとしたら、そして、それが「終活」での常識なのだとしたら、なんとも情けないことです。

 先日も新聞の一面を使った大きな「終活セミナー」の広告が出ていました。上の半分は名古屋市にある大きなお寺の納骨施設の宣伝。下のセミナーの案内の内容は、葬儀の相談とお骨の行き先についてのことでした。

 葬儀会館の宣伝を見ると「残された人の迷惑にならないように準備しましょう」という口調がしばしば出てきます。

 葬儀や法事、お墓のことが「迷惑」という認識はどこから来るのでしょう?自分自身が、親や祖先の葬儀、その後の供養を「迷惑だった」と感じているからでしょうか?

 「終活」の第一歩として、自分にとって、さまざまなご縁で参列した葬儀、法事、墓参りなどが「迷惑」なことでしかなかったのか?それはなぜなのか?考えてみてはいかがでしょう?

 いや、第一歩は、「自分が死ぬ」というのはどういうことなのか、考えてみることだと思います。人が自分の死と真摯に向き合おうとするとき、大きな力になり、穏やかな安心を与えてくれるのが宗教です。私は浄土宗西山派の僧侶ですから、「阿弥陀様が極楽を用意してくれているから、何も心配しなくて良いよ」と、上のイラストのお坊さんのようにニコニコとお話したいです・・・・

 その上での葬儀やお墓の準備でしょう。人が「死」について真摯に向き合おうとしている姿は、子供たちをはじめとして、多くの縁者に良い影響を及ぼすものだと思います。

 3月28日の1時半から、鳴海の中日文化センターで「終活」のお話をさせていただくことになりました。「尼僧と考える本当の『終活』」というタイトルです。(問い合わせ0120-538-763)

 「終活」に関心のある方においでいただいて、皆さんがどんな風に「終活」をなさっているのかぜひ伺いたいという気持ちです。ご一緒に考えてみましょう。