慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

お葬式の心配だけが「終活」ではない

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「終活」で心配なのはお墓と葬儀だけ?

 上のイラストはネットの無料画像からお借りしたものです。「終活」で検索すると、上のようなイラストがたくさん出てきました。

 葬儀のこと、お墓のことを心配している様子ですね。真ん中の僧侶のイラストはなんでしょう?お坊さんが妙にニコニコしているのが気になります。ひょっとして「お布施」の象徴でしょうか? そうだとしたら、そして、それが「終活」での常識なのだとしたら、なんとも情けないことです。

 先日も新聞の一面を使った大きな「終活セミナー」の広告が出ていました。上の半分は名古屋市にある大きなお寺の納骨施設の宣伝。下のセミナーの案内の内容は、葬儀の相談とお骨の行き先についてのことでした。

 葬儀会館の宣伝を見ると「残された人の迷惑にならないように準備しましょう」という口調がしばしば出てきます。

 葬儀や法事、お墓のことが「迷惑」という認識はどこから来るのでしょう?自分自身が、親や祖先の葬儀、その後の供養を「迷惑だった」と感じているからでしょうか?

 「終活」の第一歩として、自分にとって、さまざまなご縁で参列した葬儀、法事、墓参りなどが「迷惑」なことでしかなかったのか?それはなぜなのか?考えてみてはいかがでしょう?

 いや、第一歩は、「自分が死ぬ」というのはどういうことなのか、考えてみることだと思います。人が自分の死と真摯に向き合おうとするとき、大きな力になり、穏やかな安心を与えてくれるのが宗教です。私は浄土宗西山派の僧侶ですから、「阿弥陀様が極楽を用意してくれているから、何も心配しなくて良いよ」と、上のイラストのお坊さんのようにニコニコとお話したいです・・・・

 その上での葬儀やお墓の準備でしょう。人が「死」について真摯に向き合おうとしている姿は、子供たちをはじめとして、多くの縁者に良い影響を及ぼすものだと思います。

 3月28日の1時半から、鳴海の中日文化センターで「終活」のお話をさせていただくことになりました。「尼僧と考える本当の『終活』」というタイトルです。(問い合わせ0120-538-763)

 「終活」に関心のある方においでいただいて、皆さんがどんな風に「終活」をなさっているのかぜひ伺いたいという気持ちです。ご一緒に考えてみましょう。