お彼岸が過ぎて、春も本格化・・かと思ったら、今、外は冷たい雨が降っています。 先日、東京の従姉妹から電話がありました。少々やっかいな事情があって、彼女の母親、つまり伯母の遺骨を慈雲寺でお預かりしています。毎朝、祖父母や父をはじめ、亡くなった伯母や叔父たちの供養をさせてもらっているのですが、お骨を預かっているこの伯母には特別な思いがあります。
お彼岸なのに、お参りにいけないので、お線香を送ったと従姉妹は言っていました。そのとき、「香りが特徴的で、とても強いのだけれど、私の好きな香りなので選びました。申し訳ない・・・」というのです。香りが強くて申し訳ない???
送られてきたお線香は白檀を贅沢に使った高級なお線香でした。部屋のすみずみにまで煙が広がり、香りが長く残りました・・・・
従姉妹が母親を思って選んだ香りなのだということが自然に伝わってきました。これのどこが「申し訳ない」のでしょうか?
確かに、自分の気持ちに沿わない香りはだめかもしれません・・・しかし、白檀は線香の代表的な香りではありませんか・・・・
最近は、香りが少なく、煙も少ないことがセールスポイントになっているお線香も多いようですが、無臭・無煙のお線香に何の意味があるのでしょう。煙に乗せて香りを仏さまに供養し、自分自身の心身を清めるのがお線香やお焼香の目的です。しっかり香り、美しい煙がたなびくお線香が理想でしょう。
先日、新聞に仏壇屋さんの広告が出ていたのですが、ペットのためのお線香が紹介されていました。猫のためには「かつおだしの香ばしい」お線香。犬のためには「草原の香り」が用意されているようです。
香りがお線香の役割であることは、無視されているわけではないのですね。それなら、猫にはかつおの香りを用意するのに、なぜ仏様や故人への供養には無臭・無煙なのでしょうか?
もちろん、「抹香くさい」のは嫌!という気持ちもわからないではありません。香りには好き嫌いがあって当然です。
好きな香りと出会えるまで、お香の専門店などを少し回ってみてはどうでしょう?
形式だから線香を立てるというのではなく、「香りを供養する」というのが、お線香の本来のありかたです。そして、お気に入りの香りを献げることによって、自らもその香りに癒されるのです。