慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

勘違いしたまま続いてしまう

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大正天皇が愛した日光の田母沢御用邸のシャンデリア

 上の写真は、病弱だった大正天皇がしばしば滞在された日光の田母沢御用邸で撮った写真です。四月以来なんども「那須の旧御用邸」という説明を付けた写真をこのブログに掲載しましたが、それらはすべて、この田母沢御用邸の間違いでした。今朝になって気がついて、あわてて過去記事の訂正をしたところです。

 キャプションを付けるときに途中まで同じ言葉だと、入力しなくても「那須御用邸」と出て来るので、そのままポチっとしていました。勘違いに気づかないはずはないのに、見ていても「見えていない」状態が続いていたのですね。

 慣れていることでも、時々立ち止まって確認することが大切なようです。

 

 私の遠い親戚に大正天皇にお仕えした女官だった人がいます。たいした家柄の出身ではないので、まあ、女官といってもかなり下位の役割だったのでしょうが、退官してからの写真を見ても、聡明そうな美しい人です。

 その人の名が「まさこ」だったので、それにあやかるつもりなのか、母方の一族には漢字は違うものの「まさこ」が何人もいます。私の母も「昌子」。

 下位の女官が御用邸への旅に同行したのかはわかりませんが、この旧御用邸を訪ねた時は、母や叔母が「大伯母さまもこの桜を見たかしら」なんて言いながら笑っていました。彼女が眺めたときよりだいぶ大きくなっているでしょうが、見事な枝垂桜でした。