このブログには、管理者である私だけが閲覧できるいくつかの機能があります。そのひとつが「アクセス解析」。一日何人の方が閲覧したかとか、どのテーマのページを見て下さったかがわかるようになっています。
このブログは、慈雲寺での行事のお知らせや、自分が今気になっていることの心覚えに始めたものですから、閲覧数が多くても少なくても、あまり関係ないはずなのですが・・・このところ、「承認願望」をテーマにした本を読んでいて、自分もこの「閲覧数」を結構気にしているのだと改めて気がつきました。
私は参加していませんが、ツイッターやユーチューブで「いいね」の数をとても気にする人が多いとか、SNSでつながっている「友達」の数に悩んだりしている人が多いそうです。
人は誰でも「承認願望」があるものです。家族から「人様に恥ずかしくないように」とか「人様から認められる人になりなさい」と言われて育つ人も少なくないでしょう。他人から認めてもらうことで、自分の価値が決まっていく・・・・学歴、家柄、家の経済状態、容姿など、「わかりやすい承認基準」をつぎつぎクリアして、多くの承認を得ることで、安心する・・・・
という風には単純にいかないのが人生です。「わかりやすい承認基準」のポイントは高いはずなのに、友達が少ない・・・・。そんな悩みの人に話しを聞いてみると、友達との関係を育むより、「多くの人に愛される自分」、「多くの人に承認される自分」ばかり気にして悩んでいるのを感じることが少なくありません。
「いいね」が欲しくて、インスタ映えする食べ物の写真を撮るのに夢中になって、実際に食べるときには、すっかり料理は冷めてしまっているとか・・・・肝心な食を楽しむことより、他人からの「うらやましい」を求めてしまう・・・
こうした承認願望の果てに待っているのは、孤独という地獄ではないでしょうか?