先日、Sさんがお寺を訪ねてくださいました。ある事情があって、おじいさまのお位牌を預かってお世話しているそうです。おじいさまは熱心な日蓮宗の信者で、毎日長い時間お経を読んでいたそうですが、「祖父が使っていたお経本はあるけれど、どう読んでいいかわからない。『般若心経』ではだめですか?」というご相談です。
日蓮宗は「南無妙法蓮華経」と称えることでもわかるように、法華経をお釈迦様の説いた最も大切なお経という認識で信仰の中心においています。ですから、心経を称えることは基本ありません。
しかし、どのお経もお釈迦さまがお説になったものなのですから、称えて害になるとは思えません。それなりに功徳があると思うのですが・・・・
法華経は、けして日蓮宗だけが重視するものではありません。天台宗も法華経を教えの中心に置いていますし、曹洞宗など多くの宗派でも、法華経を日常的に読誦します。
ところで、「南無妙法蓮華経」の「南無」とはいったいなんでしょう。南無は、インド古代語のサンスクリット語の「ナマス」の漢字に音写したものです。意味としての漢訳は「帰依」とか「帰命」という言葉を当てることが多いのです。
つまり「命を懸けるほど、心から深く帰依します」という信仰を表現したものという説明が一般的です。
浄土系の信者は「南無阿弥陀仏」という阿弥陀様の名号を称えますし、弘法大師への信仰を表すには「南無大師遍照金剛」と称えるのです。
ところで、慈雲寺が属する浄土宗西山派の流祖証空上人は「凡夫は命を惜しむもの。命がけの誠意をこめて信仰するなんてできるのか?」と問いかけています。こういう問いかけをしばしば発するところが、証空上人の興味深いところです。