慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

無財の七施 Part 2 心施

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熱帯の花のはずなのに、夏には全く咲かず、冬になって咲き始めたハイビスカス。なぜ???今朝も木枯らしに揺れながら咲いています。た。

 

 布施というと、財物での布施をまず思い出しますが、金銭や物ではない布施もたくさんあります。

 大事なことは、布施が修行だということです。財物を施してやることによって、その善行の御利益が返って来るというのではありません。

 私たちが最も執着しているもの・・・財物、時間、労力(命)などを他人のために手放すことによって、自分を苦しめている執着・煩悩から離れる修行なのです。

 

 財物による布施以外の布施は7種類に分かれています。その一つが「心施」です。

 心施は、思いやりある心、心遣いを人に施すことです。

 

 先日、早朝の冷え込む時間にお月参りに自転車で出かけました。仏壇の前に座ろうとしたとき、その家の奥様が、うっすらと湯気のあがっている蒸しタオルを出してくださいました。

 「自転車に乗っていらしたら、きっと手が冷たくなっているでしょう。このタオルで少し暖めてください。」と笑顔です。

 これこそ、前回お話した「和顔施」と「心施」の両方を布施する行いです。

 心施は、相手の状況や思いをしっかり観察して、今何が最も求められているのかを考え、心遣い、思いやりを施す修行です。

 けして大げさなものでなくても良いのです。暖かなおしぼりに手を包むと、一瞬で指先のこわばりが融け、心まで温かくなりました。

 こうした優しさ、思いやりで心を温めれば、冬の寒さもなんのそのですね。

 

 問題は、「思いやり」と「おせっかい」の微妙な違いです。「~~してあげている」という気持ちや、「褒めてもらいたい」という気持ち、「見返りが欲しい」という気持ちなどが行動にまとわりついている場合は、布施ではありません。

 布施は、見返りをいっさい求めないことが基本。それでこその修行なのです。

 見返りを求めない、本当の「心施」なら、「思いやり」と「おせっかい」の違いは見えて来るのではないでしょうか?