慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

無財の七施 Part 3 床座施

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ローマの動物園で見た建物の装飾です。古代ローマ風の建物の中に動物がいると、昔の貴族の贅沢みたいな不思議な雰囲気でした。

 

 布施は私たちが最も執着しているもの、煩悩にまみれがちなものを手放す修行です。お金などの財物を布施するのは、私たちが一番執着しやすいものだからです。財物でないものを手放す布施もあります。

 仏教では、この財物以外の布施を七種類に分けて「無財の七施」と説いています。

 

 七施の一つに「床座施」(しょうざせ)があります。これは、座席や寝床を人に譲って施すことをいいます。

 私はカナダで40年生活してから、現在の桶狭間のお寺の住職に赴任するために帰国しました。「日本とカナダとどちらが良いですか?」と良く聞かれますが、どちらも良いところも悪いところもあるので、何とも言えません。

 仏教では、今いるその場所を大事にすることを教えています。隣の芝生をうらやんだりしてはいけないんですね。同時に、大事にし過ぎて執着することも戒めています。大事にするけれど、手放すときはあっさり・・・難しいことですね。

 

 さて、カナダの方が日本より良い・・・と思えることの一つが電車やバスなどの座席を譲ることです。カナダの人は座席をサッと譲ってくれる人が少なくありません。妊婦や怪我をしているらしい人が乗り込んで来たら、何人かの人がいっせいに立ち上がるくらいです。

 譲ってもらった方の人も、「ありがとうございます!」とニッコリ笑って、サッと座ります。この一連の流れはとてもスムース。

 

 一方、日本では席を譲るのはなかなか大変です。譲ろうとして立ち上がっても、「すぐ降りますから~~」となかなか座らない。中には「年寄り扱いするな!」と不機嫌な表情をする人もいます。

 妙に大げさにお礼を言う人が多いのも、譲るのをためらう原因になっているような気もします。座るときにお礼、下車するときにもお礼・・・譲った人が恥ずかしくなってしまう感じです。

 

 なんで譲られたのかわからない時でも、譲ってくれたらさっさと座って、ニッコリ「サンキュー」と言えば良いのです。大げさなことは不要です。

 

 譲る方も、譲られる方も、妙な自意識が邪魔をするとスムースな動きができません。煩悩を手放す修行を繰り返していれば、どちらの側もスマートな行動ができるようになるでしょう。

 この「席を譲る」行為の「席」は、座席だけに限らないでしょう。人生のいろいろな場面での「席」をスマートに譲り、譲られる自在さが、仏教徒の生き方です。