布施は私たちが最も執着しているもの、煩悩にまみれがちなものを手放す修行です。お金などの財物を布施するのは、私たちが一番執着しやすいものだからです。財物でないものを手放す布施もあります。
仏教では、この財物以外の布施を七種類に分けて「無財の七施」と説いています。
七施の一つに「床座施」(しょうざせ)があります。これは、座席や寝床を人に譲って施すことをいいます。
私はカナダで40年生活してから、現在の桶狭間のお寺の住職に赴任するために帰国しました。「日本とカナダとどちらが良いですか?」と良く聞かれますが、どちらも良いところも悪いところもあるので、何とも言えません。
仏教では、今いるその場所を大事にすることを教えています。隣の芝生をうらやんだりしてはいけないんですね。同時に、大事にし過ぎて執着することも戒めています。大事にするけれど、手放すときはあっさり・・・難しいことですね。
さて、カナダの方が日本より良い・・・と思えることの一つが電車やバスなどの座席を譲ることです。カナダの人は座席をサッと譲ってくれる人が少なくありません。妊婦や怪我をしているらしい人が乗り込んで来たら、何人かの人がいっせいに立ち上がるくらいです。
譲ってもらった方の人も、「ありがとうございます!」とニッコリ笑って、サッと座ります。この一連の流れはとてもスムース。
一方、日本では席を譲るのはなかなか大変です。譲ろうとして立ち上がっても、「すぐ降りますから~~」となかなか座らない。中には「年寄り扱いするな!」と不機嫌な表情をする人もいます。
妙に大げさにお礼を言う人が多いのも、譲るのをためらう原因になっているような気もします。座るときにお礼、下車するときにもお礼・・・譲った人が恥ずかしくなってしまう感じです。
なんで譲られたのかわからない時でも、譲ってくれたらさっさと座って、ニッコリ「サンキュー」と言えば良いのです。大げさなことは不要です。
譲る方も、譲られる方も、妙な自意識が邪魔をするとスムースな動きができません。煩悩を手放す修行を繰り返していれば、どちらの側もスマートな行動ができるようになるでしょう。
この「席を譲る」行為の「席」は、座席だけに限らないでしょう。人生のいろいろな場面での「席」をスマートに譲り、譲られる自在さが、仏教徒の生き方です。