このところ、中日文化センターで、「仏教入門」のような講座を受け持たせていただいています。「入門」とタイトルにつけていますが、それだからこその難しさがあって、準備には頭を悩ませています。
でも、数十年前に大学院のゼミで習ったことや、宗門の短大で教わったことなどを何度も復習できる機会ですから、何より自分にとってありがたい機会です。
そんなわけで、このところ、「四十八願」について細かく見ていこうと思っています。
「四十八願」は、阿弥陀様が菩薩として修行を始めたとき、「このことが達成・実現できなければ、私は仏にはなりません」という強い願いを込めて誓ったものです。最も重要視されているのは、第十八願の「念仏往生の願」と呼ばれるものですが、他の願いにも、阿弥陀仏の深いお慈悲があふれており、仏教の本質的な教えが説かれています。
例えば第四番目の「無有好醜の願」と呼ばれるものです。これは、極楽がどのようなものになるかという阿弥陀さまの「ビジョン」を示した願の一つです。
極楽には、好ましい容姿のものも、醜い容姿のものもいないというのです。え?極楽はビューティフルピープルでいっぱいなのかと思った・・・という方も多いかもしれませんね。
何をもって「美しい」とか「醜い」とか決めるのでしょうか?天平時代なら、ふっくらとしたしもぶくれの顔が美女。今はどうでしょう?「美」は曖昧で、常に揺れ動いています。こちらが相手に好意を持っているかどうかでも、印象はずいぶん違います。
例えば相手の素行について悪い噂を聞いたら、その人の姿にも「醜さ」を見つけるのは簡単になってしまうかも?
これは、大乗仏教の「空」の教えにも通じることです。
極楽には、差別は一切ありません。美しいとか醜いとかで心を煩わせられることはないのです。極楽は「比べる」こと、「こだわる」ことから本当に自由になれるところなのです。