慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

極楽には美人も美男子もいない?!

f:id:jiunji:20220211231821j:plain

今日は自転車に乗って大府市の大倉公園で行われている盆梅展を見に行きました。この写真のように大物も見事ですが、手のひらサイズの小さな盆栽にも心惹かれました。

 

 このところ、中日文化センターで、「仏教入門」のような講座を受け持たせていただいています。「入門」とタイトルにつけていますが、それだからこその難しさがあって、準備には頭を悩ませています。

 でも、数十年前に大学院のゼミで習ったことや、宗門の短大で教わったことなどを何度も復習できる機会ですから、何より自分にとってありがたい機会です。

 そんなわけで、このところ、「四十八願」について細かく見ていこうと思っています。

 「四十八願」は、阿弥陀様が菩薩として修行を始めたとき、「このことが達成・実現できなければ、私は仏にはなりません」という強い願いを込めて誓ったものです。最も重要視されているのは、第十八願の「念仏往生の願」と呼ばれるものですが、他の願いにも、阿弥陀仏の深いお慈悲があふれており、仏教の本質的な教えが説かれています。

 

 例えば第四番目の「無有好醜の願」と呼ばれるものです。これは、極楽がどのようなものになるかという阿弥陀さまの「ビジョン」を示した願の一つです。

 極楽には、好ましい容姿のものも、醜い容姿のものもいないというのです。え?極楽はビューティフルピープルでいっぱいなのかと思った・・・という方も多いかもしれませんね。

 何をもって「美しい」とか「醜い」とか決めるのでしょうか?天平時代なら、ふっくらとしたしもぶくれの顔が美女。今はどうでしょう?「美」は曖昧で、常に揺れ動いています。こちらが相手に好意を持っているかどうかでも、印象はずいぶん違います。

 例えば相手の素行について悪い噂を聞いたら、その人の姿にも「醜さ」を見つけるのは簡単になってしまうかも?

 

 これは、大乗仏教の「空」の教えにも通じることです。

 

 極楽には、差別は一切ありません。美しいとか醜いとかで心を煩わせられることはないのです。極楽は「比べる」こと、「こだわる」ことから本当に自由になれるところなのです。