今朝の新聞の一面には、「ロシア、ウクライナ派兵命令」という大きな文字が出ていました。
私は50年前に、まだソ連時代のシベリアに行ったのを始め、旧ソ連圏の国々に行くお仕事は積極的に受けようと思って来ました。実際には願っているほどチャンスが巡ってこなかったのですが・・・・
ウクライナには一度だけ行くことができました。黒海の沿岸からキエフまでバスで移動したので、広々として穏やかな風景が心に残っています。
その時出会った人々の口からは、ウクライナとロシアの関係について、表だった発言は無かったのですが、「ロシア料理」として知られているある料理が話題に上がった時は、気色ばるという言葉がぴったりなほど強い口調で、「それはもともとウクライナの料理だから!」と言われたのが印象的でした。
ロシアとウクライナの関係には帝政時代、ソ連時代から続く深いものがあるのでしょう。米欧が今回のロシアの動きを強く非難しているのにも、ウクライナ関連で、それぞれの利益に関連しているようで、なんだかうさんくさい。ウクライナの人たちのことを思ってのこととは言い切れない気がします。
私はそれぞれの国のことは、そこに生きる人々が決めることだと思っています。歴史や文化、とりわけ言語を共にする人が国を形成していくのが自然だと考えますが、そうは簡単にはいかないのでしょう。
キエフで知り合った友人にメールを出してみましたが、返事がありません。それどころではないのだと思います。
『法句経』という経典の中でお釈迦様は:
「この世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。」
とおっしゃっています。「息む」は「やむ」とよみます。終息するといういみですね。
今回のことがどういう形で「息む」かわかりませんが、双方に深い怨みが残らないことを祈らずにはいられません。