慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

安部氏の「国葬」問題について

亡くなった人や神々への供養としてガンジス河に流される花筏

 

 「安部さんの国葬について庵主さんはどう思ってるの?」というご質問をいただきましたので、少しお話をします。

 

 多くの疑惑を残したままの安部氏を「国葬」することには原則的には反対です。

 衝撃的な亡くなられ方をなさった方ですから、それに対する感情的なシンパシーを感じないわけではありません。とても痛ましい事件ですし、犯人の動機の解明、当日の警備の状況など、まだまだ明らかにしなければならないと思います。

 

 しかし、安倍政権下で「衝撃的な死」を迎えなければならなかった人はたくさんいます。福祉のセーフティーネットからこぼれて餓死した人、虐待されて亡くなった子供、非正規の労働環境の悪化で自殺に追い込まれた人、政府の不正の片棒を担がされて追い詰められた人などなど、痛ましい死を迎えた人はなんと多いことでしょう。政府の責任はもっと追及されて良いと思います。

 その中心に長期的にいた安部氏の責任は看過できません。統一教会との関係の疑惑も深まるばかり・・・

 国葬の法的根拠もないのに、このすばやい閣議決定は、国民感情を操作しようという意図が濃厚なのではと疑ってしまいます。

 国葬について明確な法的根拠のあるアメリカでは、大統領経験者の葬儀は国葬で行われるそうですが、ウォーターゲート事件の渦中に亡くなったニクソン氏は国葬を辞退しています。

 安部氏の襲撃事件の疑惑が何一つ解明されていないうちに、「国葬」で美化してしまうのはなんだかなぁ・・・・公明党がこの件で、きちんとした見解を出さないのも不可解です。

 

 その一方で、私は今回増上寺で行われた安部家の葬儀については好意的に見ています。コロナ禍もあって、「家族葬」が加速し、「葬式なんていらない。死んだら燃やすだけ」の流れさえ危惧される今、浄土宗鎮西派の中心的なお寺できちんとした葬儀がおこなわれ、人数制限をしなければならないほどの弔問客があったということは、もっと詳しく報道されて良いでしょう。

 直近の家族だけではなく、広い親族、友人、仕事などの縁の深い人、そしてコミュニティの人々に送られる葬儀は、亡くなった本人はもちろんのことですが、縁者の心のケアや人生を考える大切な機会となるでしょう。

 安部氏の通夜のとき、僧侶がどんなお説教をしたのか、ぜひ知りたいところです。