浄土教の教えでは、観音さまは阿弥陀仏の慈悲の働きを顕現しているとされています。ですから、観音さまの居所は阿弥陀仏のおられる極楽とされるのが一般的です。
しかし、観音さまは独自の浄土をすでに造っておられ、そこにおられるのだという信仰も生まれています。『華厳経』に説かれている、この観音さまの浄土を補陀落といいます。これはサンスクリット語の「ポータラカ」(Potalaka)の漢字の音写です。
観音菩薩の化身と信じられているダライ・ラマの本来の居住地がポタラ宮殿と呼ばれているのは、このポータラカからきています。
ポータラカはインドの南部にあると信じられており、日本では中世から十九世紀初頭まで、小さな船に乗ってこの観音浄土を目指す「補陀落渡海」が繰り返されたとされています。
自らの命を捨てて人々の救済を願う、「捨身」は仏教の修行の中でも、究極の荒行とされています。この荒行を選んだ僧侶たちの思いはどんなものだったのでしょうか?途中で怖くなって逃げ帰った僧もいたそうですが・・・・
西国観音霊場の一番札所、那智の青岸渡寺は熊野灘を見下ろす高台にあります。熊野には、海の彼方に「常世」と呼ばれる神々の世界があり、人間は死後にそこに赴くという仏教渡来以前からの信仰がありました。この常世信仰と観音浄土の信仰が結びついて、この熊野灘周辺が補陀落渡海の代表的な出発点になりました。
那智勝浦町にある補陀洛山寺では、住職が61歳になったら、補陀落渡海を決行するという慣習があったこともあるそうです。補陀洛山寺には、渡海船のレプリカが展示されています。甲板の四方に鳥居があるのが不思議です。神道的な常世とポータラカへの思いが混淆していることを現しているのでしょうか?
渡海に出発する僧侶は、箱形の船室に一ヶ月分の水と食料と共に入りますが、入り口は板でふさがれ出ることはできません。黒潮に乗るまで、別の船に曳航され、綱を切られてからは舵も櫂もないまま、ふらふらと流されていったそうです。
黒潮ではインドにはたどりつけないはずなのですが・・・・