信楽で出会った可愛らしいタヌキたち
12月8日の成道会は、ちょうど満月だったので、満月写経の会においでになった5人の方々と一緒に、お釈迦様がお悟りを開かれた日を喜びました。
成道会の時は、大根を炊いて多くの方がお参りにくるイベントにするお寺もありますが、こんな風に少人数の方と静かに祝うのも良いものだと思いました。
さて、Part 1でお話しましたように、『月刊住職』という雑誌の12月号に、随筆家の若松英輔さんの「カルトの定義」が紹介されていました。
若松さんの定義は以下のようなものです。
「この教えを信じないと、この儀式をしないと、この献金・布施をしないと災いが生じますよ、地獄に行きますよといった恐怖感によって相手を支配し、信仰心を植え付けようとする団体はカルトです。金銭的な事柄に固執し、信者や社会から搾取を図るような団体はカルトです。この教えに背き、この教団から逃げたら地獄に行くと言って離脱を認めないような宗教はカルトではないか」
私もこの定義は妥当なものだと思いますが、この定義を見ただけでは、なぜ多くの人々がカルトにはまっていくのかが説明がつきません。また、悪霊払いや霊感商法に惑わされないためにはどうすれば良いのかの説明がさらに必要でしょう。
既存の伝統仏教教団が統一教会の問題について、妙に寡黙なのが気になるところです。Part 1でもお話したように、無暗に霊感商法を批判すると、自分たちにも批判が返ってきそうな微妙な問題がたくさんあるからでしょう。
「先祖解怨」などという話は、伝統仏教教団がしっかり、先祖供養の意味や意義を檀信徒に伝えていれば、それに惑わされる人はいなくなるはずです。宗教の意義、意味についても日頃から僧侶がしっかり檀信徒に伝えていれば、人生に起こるさまざまな不安や苦痛を乗り越えていく勇気と気力をもたらせるはずです。
なにより仏教は、自分の善行によって生まれる「功徳」を他の人々に振り向ける利他の行いを教えるものです。廻向、功徳を他にふりむけ、自己の救済だけでなく「皆共に救われていく」という視点が基本です。
もう一つは、巨大な宗教施設や、「偉い人」と一緒の写真などの広告塔に惑わされないためにも、日頃から僧侶が何が大切なのかを説いていく必要があるでしょう。
と、ここまで書いてきて、ちょっと困ったこともあります。慈雲寺の建物です。これが住職の運営能力を遥かに超える”巨大な”建物なのです。今、その立派な屋根が雨漏り、本堂の床は浪うちという悲惨な状況。これを改修するためのお金をどうやって集めれば良いのでしょう。
静かにお釈迦さまの成道を祝っている場合か???
住職に少しはカリスマ性がないとダメなのでは???
と厳しい現実が悩ましいところです。