慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

10月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、10月27日(日)10時より行います。テーマは「行きつけのお寺の見つけ方」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

鎌倉仏教に大きな影響を及ぼした中国僧たち

五島美術館所蔵の無学祖元の書

 今月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は鎌倉仏教の生まれた社会的背景や当時の日本の仏教界の状況などの基本的知識をお話しようと思っています。

 その準備のために、いろいろな資料を整理していたのですが、今まであまり興味を持って読むことのなかった資料に偶然であいました。

 その資料は、華厳学研究所所長だった小島岱山氏の書いたもので、鎌倉時代の仏教界において、実は中国からの渡来層たちが大きな役割を果たしていたのだという主張です。小島氏は、鎌倉期を代表する仏教者は法然日蓮ではなく、建長寺の開山である蘭渓道隆(大覚禅師:1213~78)だろうと述べています。

 大覚禅師の最大の功績は、公案に参じることによって悟りを目指す「公案禅」を日本に伝え、それを普及させたことにあります。北条氏は大覚禅師を庇護し、篤く帰依していたとされています。

 小島氏は、この公案禅の普及が、「日本に無の哲学が、とりわけ無の持つ積極的意味が伝えられ、鎌倉武士を通じて日常生活のレベルにまでそれが及び、日本民族が無の自覚を根本とする民族に生まれ変わるきっかけが造られた。」と指摘しています。日本人が本当に「無の自覚を根本とする民族」なのかは疑問の残るところですが、西田幾太郎の哲学や夏目漱石の文学にも大きな影響を与えたのは事実のようです。

 

 大覚禅師の他にも円覚寺の開山である無学祖元(1226~86)や建長寺二世の兀庵普寧(?~1276)など、北条氏の招きで来日した多くの中国僧がいました。

 恥ずかしながら、鎌倉時代にこれほど多くの中国僧が来日し、臨済禅を広めていたことをほとんど知りませんでした。北条氏の招きに、なぜ応じる気持ちになったのかについての資料を探してみたいです。また、これらの中国僧やその弟子たちは元寇の時にどのような行動をとったのか、とても気になるところです。

 

 毎月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」や中日文化センターで行っている「尼僧と学ぶやさしい仏教入門」の講座は、それらの準備をするたびに、忘れていた大事なことを思い出したり、今までと違った角度から問題を見たくなる資料にであったりと、ありがたいご縁が広がっています。

 今月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、12月18日(日)10時より、慈雲寺本堂で行います。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。