慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

空海さまのお言葉でお正月を過ごす

 上のイラストは、ネットの無料画像からお借りしたものですが、かなりイメージ違うなぁ。弘法大師といえば、日本史上屈指の天才。もっとキリリとしたお顔のように想像しています。

 年末に大掃除をしていたら、持っていることをすっかり忘れていた本が出てきました。

 弘法大師空海さまの有名な言葉を集めた『空海 人生の言葉』という本です。年末にPart 1としてブログに書き込んだのですが、Part 2を上げる前に年が明けてしまいました。

 三が日は、この本をパラパラと読みながら、空海さまの凄さに啞然としてしまいました。

 例えば、人間の生死について述べた言葉では

「生は昨日のごとくなれども、霜鬢忽ちに催す。強壮は今朝、病死は明夕なり。」

川辺秀美さんの現代語訳は

「昨日生まれたと思ったら、いつの間にか白髪の老人になっている。今朝は健康だったのに、明日の夕方には病気で死んでゆく。それが生死というものです。」

 

 この考え方は、空海様に特徴的というわけではなく、仏教全体の基本的な考え方ですが、空海さまの表現はとてもパワフルです。私たちは「日なたに置かれた切り花のようなものだ」という譬えは、さまざまな経典にでてきます。瑞々しい花も、太陽に当たるとアッと言うまに枯れていまう。人間の人生のあやうさ、心細さを表現した言葉です・

 「それが生死というものだ」としっかり見据えたところから、仏教は始まっているのです。だからこそ、一日、一瞬が大切。

 お金や地位、名誉といった「不確実」なものに頼らなくても良いように、本当に大切なものを見つけていきたいものです。

 

 ところで、慈雲寺にも空海さまのお像が祀られています。このお寺が、弘法大師信仰の篤い、知多半島の文化圏内に位置しているためだろうと思います。

 このお像は、他の大師像と違い、だいぶ若いころのお姿です。私は中国留学から戻られて、いよいよ日本に真言宗を広めようと張り切っているお姿に見えます。

 お肌もつるつるで、玉眼の入った目もキラキラ!なんとも賢そうなお顔ですよ!