慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

朝目が覚めただけで“丸儲け”!

デスバレーの一角にある「悪魔のゴルフ場」。かつてここが濃い塩分を含んだ湖のそこだったことを示す塩の塊です。

 

 ここ数日、とても暖かな日が続いています。梅の花も次々と咲いて、春が近くまで来ている感じ。そんな気の緩みのせいか、私はちょっと過剰に「機嫌が良い」状態になっています。僧侶は「平常心」が大事で、いやに落ち込むのも問題ですが、やたらに機嫌が良いのもベストな状態とは言えません。心の振り幅が小さいのが望ましいのです。

 

 しかし、なんだか機嫌が良いという状態を否定するもの少々もったいないような気がするので、「ありがたいことだ」と受け取らせてもらうことにしました。

 明石家さんまが娘につけた名前が「いまる」さん。本当かどうかわかりませんが、「生きているだけで丸儲け」という彼の口癖から取った名前だと言われています。

 たしかに、今日の命をいただくだけで、「丸儲け」です。私は、朝無事に目が覚めたら、もうそれだけで、今日一日の命をいただいたのですから、十分「丸儲け」と喜んで良い状況だと思います。

 もちろん、「ああ、今日も目が覚めてしまったか。また一日、この痛み、苦しみを味合わなければいけないのか・・・」と感じる日もあるでしょうし、「ああ、もう一日、どうやって乗り越えよう」と思い悩む日もあるでしょう。

 そんな時こそ、阿弥陀さまのお慈悲を思って下さい。阿弥陀さまは一切の条件をつけずに私たちを受け入れ、赦し、お浄土に迎えて下さいます。

 その阿弥陀仏の思いを知れば、私たちが、「なぜ私だけがこんなめに」という苦しみから離れ、何が私を苦しめているのかの本質にも迫ることができるのです。

 自分を苦しめているのが、自分の煩悩に他ならないことを知れば、それを手放すための教えがすでに示されていることにも気づくでしょう。

 この世は苦しみに満ちています。しかし、同時に美しく温かなものにも満ちています。朝、目覚めたことに感謝してスタートすれば、そうした美しいものに気がつくチャンスも増えていくのです。寒さの中でも、山茶花は咲きますし、蝋梅も満開です。桜の花芽もしっかり生長していますよ。