慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

先をいそぐと味わえないものがある

毎年2番目に咲き始める慈雲寺の白梅

 

 今日は少し温か。そのせいか白梅が咲き始めました。慈雲寺には四種類の梅の木があります。大きな鉢に植えられた盆梅が一番先に花を開き、次は白梅。紅梅が咲き、最後は紅い垂れ梅です。それぞれすこしずつ開花時期が違うので、慈雲寺の梅のシーズンはけっこう長くて嬉しいです。

 春の気配が濃くなってきました。

 

「満月に近い月は、まだ寒かったひと月前には人にも物にももっと荒涼とした光を投げかけていたのだが、いまはためらうような光を地上に落としているだけだった。季節が移ったのである。」

 上の文章は藤沢周平の短編小説「麦屋町昼下がり」の一節です。季節の移ろいをこんな風に表現するなんて・・・・才能の上に研鑽あってのことでしょう。私は藤沢さんの小説が大好きで、なんどもなんども繰り返して読んでいます。

 それには理由があって、藤沢さんの小説は一度では絶対に味わい尽くせないのです。というのは、彼のストーリー展開があまりにも面白いからです。話の先が知りたくて、目がどんどん滑っていく。まるで速読術みたいな感じになってしまうのです。

 そうすると、先ほどの月光の表現などはつい飛ばしてしまうことになります。もったいないことは承知の上ですが、「それから、それから!」という気持ちが先を急がしてしまうのです。

 読み終わって、しばらくしてから(話の展開を忘れてしまわないうちに)もう一度ゆっくり読むと、自然の描写、人の心の動きの描写など、細かなところがとても味わいがあって藤沢周平の世界にどっぷりつかれる幸せを味わえます。

 数年たってよみかえしても、また楽しい。

 

 小説ばかりでなく、私たちはとかく先をいそいて結論や結果を求めてしまいがちです。プロセスの大切さは良く言われることですが、つい「で、結論はどうなの?」なんてせかしてしまいます。

 先を急ぐばかりだと、味わえないものがたくさんあります。「忙しい」という言葉だけで、大切なものを見落としていませんか?

 仏教は日常生活の中に真理があると教えています。結果を目指して走り続けるのではなく、「毎日を平らに生きる」「平常心」の中に真理があるとするのです。

 梅だけでなく、さまざまな生命の息吹が感じられるようになってきます。たまにはゆっくりと歩いて、周囲を見渡してみましょう。