お彼岸に入り、「名古屋で一番暇な寺」という冗談が冗談でない慈雲寺も、少し忙しくなっています。お彼岸中は、連日さまざまな行事や用事があり、お参りにおいでの方々が庫裏にも来て下さるので、嬉しい多忙さです。
今朝は、いつもより1時間ほど早く目が覚めたので、境内を落ち着いて見て回ることができました。すると、つい先日まで美しく咲き誇っていた梅の花がすっかりしぼんでしまい、茶色に変色してしまっています。驚くほど美しい白の椿も、花びらが薄っすらと黄色くなり、あわれな様子です。
しかし、木瓜は今が花盛り。「梅の次は私!」と張り切っているようです。さらにコブシも開花していますので、花戦さの始まりという感じです。
花の季節は心躍るものですが、花の移り変わりを見ていると、一瞬も留まってはいません。蕾が膨らみ、花が咲き、その花が枯れて、新しい葉が生まれてくる。一瞬一瞬移ろっています。
全てのものは無常だと仏教は教えています。恒常的に同じものなどなく、全てのものは常に移ろっているのです。蕾の状態、花の時、そして新緑・・・いったい、いつが「梅」なのでしょうか?梅は一瞬も同じではないので、「梅」というものは、どんなものかと問われると、無常なものだとしか言えません。全てのものが、固定し、恒常なるものなどないのです。
「自分」も同じです。人間も無常です。どこかにある「自分」を探してうろつき回っても「常なる自分」とか「本当の自分」などに出会えることはないでしょう。「自分らしさ」にあまりこだわらずに生きるのがおすすめです。
桜が咲き始めました。桜吹雪はさらに無常を感じさせてくれますね。哀しいけれど、そこが楽しみでもあるわけです。