慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

6月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、6月16日(日)10時より行います。テーマは聖徳太子と仏教です。父の日に、日本仏教の父とも言える聖徳太子についてご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

「弔う」とはどういうことか、朝から考えさせられた

 

 昨日からの雨が続いています。数日前から、「除草ダイエット運動」と称して、毎朝少しずつ裏庭(裏の空き地と言う方が適切ですが・・・)の手入れをしているのですが、今日はお休み・・・ということで新聞をゆっくり読むことにしました。

 中日新聞の一面に大きく報道されていたのは、ベトナム人技能実習生が死産した双子の遺体を放置したとして、死体遺棄罪に問われていた事件です。

双子の遺体を段ボール箱に入れ平穏願う手紙…遺棄罪に問われた元実習生に逆転無罪 (msn.com)

 一審、二審は有罪でしたが、最高裁がこれらの有罪を破棄し無罪としたという、いろいろな意味で驚きの判決です。私は法学部の出身なので、法律の文章を「硬く」解釈しがちです。被告のリンさんに深く同情はするものの、法律の解釈としては「無罪」は難しいだろうと思っていました。

 しかし、最高裁が判事4人の全員一致で無罪としたというのは正直驚きです。ここで問題になっていたのは、リンさんに双子を「弔う」真摯な気持ちがあったかどうかという点です。

 死体遺棄罪は「一般人が抱く死者敬慕の念や宗教的感情を害する形で遺体を放置したり、隠したりした場合」に成立すると言われている罪です。リンさんの行為は「放置」にはあたらないとの判断が出たということでしょう。

 死産した子供を「弔う」気持ちは十分にあったのに、そうすることができなかった事情というものをもっと詳しくしりたいと思います。とりわけ、これをきっかけに悲惨だと言われている「技能実習生」の実態が明らかになればと願っています。

 

 ここでもう一度改めて考えたいのは「弔う」ということの意義です。最近しばしば耳にする「直葬」は、「死者敬慕の念や宗教的感情」などほとんど感じられませんが、「焼けば」遺棄ではないのでしょうか?

 「死者敬慕の念や宗教的感情」について僧侶がしっかりと人々の理解を深める手助けをしていくべきだと思っています。