慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

ご心配おかけしました。生きてます。『選択集』ですっかり消耗してました。

 ブログ更新が長い間滞っていたからなのか、「生きてるか~~?」というメールやお電話をいただいてしまいました。

 ご心配をおかけして申し訳ありません。身体的にはまあまあの状態ですが、気力が少々くたびれ気味でした。

 実は先日、東海地方の西山浄土宗の僧侶が集まって勉強会が開かれました。教学から人権の問題まで、二日間にわたって4人の講師が講義を行いました。そのうちの一コマを私が担当させていただいたのです。もちろん、私に「先生」を務める実力などないのですが・・・・声をかけられたら、ともかく引き受けるというのが最近の私の基本姿勢(??)なので、「やらせて下さい。」とお返事しました。

 老い先短い身の上だから、なんでもやるという方針は、まあまあ間違いではないと思うのですが、やはり身の程を知るというのも大事だったと思い知らされました。

 今回の講演のテーマは「英語で親しむ『選択集』」というものでした。『選択集』(選択本願念仏集)は、法然源空法然上人)が、自らの思想を集大成したもので、日本の宗教史を代表する”革命的”な著作です。

 文章量はそれほど多くないですし、論理展開も明確で非常に興味深いものなのですが・・・実際にはなかなか取り組むのは難しいもので、浄土系の僧侶の中にも「実は全部読んだことない」という人が多いのではないかと思います。

 私は、この『選択集』が大好きで、理解がなかなかできないながらも、何度も読み返しては「わからない~!」と泣かされています。しかし、この本の英訳に出会ってから、少し考えが変わってきました。日本語で読むと、理解しずらいところは、つい目が滑るというか、読み飛ばしてしまいがちなのですが、英語を日本語に訳しながら読み、日本語の読み下しや現代語訳と比べてみると、自分が理解できにくいところが浮かびあがってくるように思えるのです。

 というわけで、今回は、英語でアプローチすると視点が変わって、『選択集』に少し近づけるかもしれませんよ・・・というお話をしたわけです。

 もちろん、研究者の方々からすれば、こんなやり方は邪道でしょうが、私は浄土系の僧侶はもっと、法然上人の御著作やお言葉に親しんだらよいのになぁ~と日頃思っているので、違う視点も提案したかったのです。

 しかし・・・・・これはちょっと無謀でした。自分が『選択集』をきちんと消化していないのに、人にアプローチの方法をお勧めするなんて・・・・

 二時間の講義が終わったら、すっかり燃え尽きてしまって、気力はほぼゼロ。法事やお月参りも少しあったので、そのお役が終わると、一日何もできませんでした。

 ようやく今朝になって少し元気が出てきたので、すっかりカオス状態になっている部屋の掃除を始めようと思っているところです。

 ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした。本当にありがとうございます。