慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月15日10時より行います。テーマは「お彼岸とは何か」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

遺骨を納めに父の故郷へ Part2

東城町のすぐ近くにある帝釈峡です。祖父が資材を運んで造られた橋が見えます。

 

 父は叔父(私にとっては大叔父)の仕事を手伝うために東京へ出て以来、めったに故郷に帰ることはありませんでした。

 しかし、子供達には故郷のことを知らせたいという気持ちはあったようで、毎年のように夏休みになると私と弟、そして母までも一緒に東城へ行っていました。少なくとも数週間は滞在していたと思います。私たちは上の写真にある帝釈峡へ遊びに行ったり、地蔵盆などの地元の行事に参加させてもらったりして、楽しい日々を過ごしました。

 お盆のお墓参りもその「イベント」の一つ。山の斜面に広がる墓地を登るのは、子供にとっては、やや苦労したのですが、それも良い思い出。宮田家の墓地の正面にはお城の跡が見渡せ、その麓に広がる東城の町並みを眺めることができました。

 父が私たちを故郷に送った理由の一つは言葉にあるのではないかと思っています。父は「日本には、東京の言葉だけではなく、それぞれの地方に独特の言葉がある。その言葉でなければ表現できないこともあるんだ」と言ったことがあります。この言葉がきっかけになって、私は「言葉」というものに興味を持つようになったと思います。

 東城の方言に触れ、東京以外にもさまざまな言葉も暮らし方もあるのだと知ったことは、後年、カナダで暮らすようになったときの異文化との出会い、カルチャーショックの受け止めにも大きく影響したと思っています。

 

 祖母が亡くなり、私たち東京の家族と東城との縁は非常に薄くなりました。10年前、東城の叔父の子供(私には一番下の従兄弟)が病気で亡くなり、従兄弟数人と共に葬儀に参列したくらいで、お墓参りもしなくなってしまいました。

 父が亡くなったとき、父は生前献体を決めていたので、私が読経をして引導を渡しただけで、葬儀はしませんでした。

 3年後、父の遺骨が家族に戻された時から、私は父の遺骨の一部を東城へ連れて行ってやりたいという気持ちが強くなっていました。(つづく)