私は名古屋市の「認知症サポーター」の資格を持っています。と言っても、半日講習を受ければ誰でも貰える資格なんですが・・・・認知症を患っている方々やそのご家族と、いかにコミュニティの中で協力しあい、共生していけるかの基礎知識を学び、地域内でサポーターとして活動していくための基本を学ぶものです。
先日、この資格のブラッシュアップ的な講習会がありました、そこでとても興味深いボードゲームを体験しました。これは、勝ち負けを争うものではなく、プレーヤー同士が協力して知恵を出し合い、コミュニティの中の様々な問題の啓発と、解決方法を学んで行く遊びです。勝利者はいないのに、参加者皆がなかなかエキサイティングになる、非常に良くできたゲームでした。
まず、障害がある、独居である、さみしい、物忘れが激しいなど、問題を抱えている様々な人のカードを引きます。それをそれぞれの地域内で、サポートを提供できる人を探し、解決していこうというものです。「さみしい」とか「不安」といった漠然とした訴えを詳しく聴くとか、問題解決に必要な「人材」を探していきます。各地域で解決できない問題が増えて限界に達すると、ゲームオーバー。参加者全員が敗退ということになります。
興味深いのは「サポーター」の人材。医者から税理士、経営コンサルタントから、心理カウンセラー、栄養士などまでさまざまです。
しかし!そのサポーターカードの中に「宗教者」は無かった!死の不安や家族の死の哀しみ、孤独などの不安を抱える人のカードはたくさんあるのに、サポーターの人材として宗教者は無力???
サポーターカードには白紙もあって、プレーヤーのアイディアでサポーターの種類を増やすこともできるらしい。
ゲームの説明をした人は「犬を入れるのも良いですよね。お散歩なんかでコミュニケーシが取れる場合もあるし」と言っていました。う~~ん・・・宗教はペットと同レベルか???
このゲームは市役所関連など、公的な場所で使われることが多いので、「宗教」を含めるのは微妙ということなのでしょうが・・・・・やはり「信仰の大切さ」を十分にアッピールしてこなかった宗教者側の問題が大きいとおもいます。
「生老病死」の苦は生きることに必ずついてくるものです。この「苦」をやわらげ、穏やかに生きるためには、税理士や医者ではカバーできないことがあるはずです。
信仰は欠かせないよね・・・とゲームの製作者たちやプレーヤーが思ってくれるよう、私たち宗教者がもっともっと努力する必要があると改めて思いました。