慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

今月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、9月16日(月・祝日)の10時から行います。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加下さい。

戦後79年の日に・・・兵士の子供たちの体験も記録しよう

 上の写真は第二次大戦中にジャングルを行軍する兵士たちの姿です。

 私の父は、終戦近く、将校不足をおぎなうために急造された予備士官学校出の少尉でした。小隊を指揮していた父は、若輩で十分な経験のないまま兵士を動かすことになったのです。父は自分の未熟な指揮のために死傷した兵士のことを死ぬまで忘れることはなく、終生、自分を赦してはいなかったのではないかと思っています。

 第二次大戦を体験した兵士の多くは、その深さに差はあったにせよ、何らかのPTSDを抱えていたのではないかと思います。そうした「父親の暗さ」は、家族たちに影響を与えないわけがありません。

 父はほとんど戦争経験を家族に話すことはありませんでした。しかし、私は父が声をあげて笑うのを聞いたことがありません。戦争に行く前にの写真に映っている父は、いつも笑っているようなのに・・・・

 「戦争体験」というものは、けして兵士や爆撃の被災者だけにとどまるものではないでしょう。戦争体験を抱えたままの人々は、周囲にもさまざまな影響を与えていると思うからです。

 「兵士の戦後」を母や私たちは見てきました。時折、「自分がこんなに幸せになって良いのか?」と自問しているような父の姿を母はどんなに痛ましい思いで見ていたのでしょうか?

 学生運動世代の子供たちは、戦争に反対しなかった父親のことを責めなかったでしょうか?

 たとえ国を護る、国民を守るためのいえ、私たちの父親、祖父たちは人を殺してきたのです。「人殺し」の体験は、誠実で繊細な人ほど、戦後も長く元兵士たちを苦しめたでしょう。

 この苦しみが周囲の人間、とりわけ家族に影響を与えないわけはありません。

 兵士の子供たちの体験も、まさに戦争体験です。戦争の影響は、世代を超えて続くのです。

 戦後79年。兵士の子供である私たちも老いてきました。今こそ、しっかり体験を記録しておきましょう。きっと、戦争の悲惨さ、愚かさが浮き彫りになっていくことでしょう。