「人間という舟を得たうえは、それで苦しみの大河を渡れ。
愚かな者よ、惰眠をむさぼるときではない。この舟は再び獲がたい。」
上の言葉は、8世紀ごろに活躍したシャーンティデーヴァという僧侶がさとりへの道を説いたものです。
仏教では、全ての衆生は六道を繰り返し輪廻していると教えています。その輪廻の繰り返しから脱却することが仏教の目的なのです。
人間に生まれことは、まことに得難い機会だと仏教は考えます。人間に生まれたからこそ、仏教と出会い、悟りを開くチャンスもあるのですから・・・・しかし、人間という舟はまことに心細い存在です。激しく波が打ち寄せる大河を渡るのは簡単ではないでしょう。まさに「惰眠をむさぼるときではない」状況です。
人間に生まれたからこそ、向上心を持って努力を続けなければならないと教えられているのです。
しかし、残念ながら私たちは末法というあらゆる条件が最悪な時代に生きています。もちろん、そんな時代でも自力で苦の大河を渡ることができる人もいるかもしれませんが、ほとんどの私たちは無力な凡夫。苦の波に翻弄される小舟なのです。
末法に生きる凡夫に深い憐れみを感じ、大いなる慈悲で救いの手を差し伸べて下さったのが阿弥陀仏です。
例えば、親鸞聖人は阿弥陀仏の救いは「難渡海を渡る大船」だと表現しています。阿弥陀仏の救いにあずかるということは、渡り難い海を安心して渡ることができる大いなる船に乗せていただいたということです。
今、外は強い雨が降っています。大型の台風がゆっくりと日本に近づいているのです。私たちの人生もこんな風に断続的な風雨にさらされながら海に浮かんでいるようなものなのですね。こんな夜は、阿弥陀仏の大船がことさらありがたく思えます。