慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

京都アニメーションの犠牲者を悼む

f:id:jiunji:20190729094441j:plain

 昨日、ようやく10日分ほどの新聞をゆっくり読み直すことができました。今回の選挙の結果には、いろいろと考えさせられるものがあったので、「後でゆっくり」と思っていたら山のようになってしまったというわけです。

 最近のニュースで最も心が痛んだのは京都アニメーションの放火事件です。ニュース伝えられた日に、犠牲者の方々のためにご供養の読経をさせていただきましたが、犯人の動機など、新聞記事だけでは、まだわからないことが多く、テレビのワイドショーの取り上げ方には違和感が深まるばかりです。

 私はカナダにいたとき、日本のアニメを北米のテレビ局で放送するための翻訳をお手伝いしたことがあります。日本語から英語に直したものをチェックするだけの、ほんのさわり程度の仕事でしたが、アニメの制作に携わっている人々の多くが、けして恵まれた環境や待遇で仕事をしているわけではないことは容易に想像できました。

 京都アニメーションは業界でも評判の良い会社だったそうですが、建物の構造や避難経路、セキュリティなどは万全だったのでしょうか?

 一方、犯人については「統合失調症の患者だ」という情報がネットで流れ、ワイドショーなどでは、彼がどれほど異常だったかを強調するような取り上げ方が続いています。このことで「統合失調症」への誤解が広がらないかと危惧しています。

 心を病んでいる方たちや、心が傷を受けている方たちに寄り添うのも僧侶の役割の一つです。宗教者としての覚悟はもちろんのことですが、病気への知識を深めることも大切だと改めて考えているところです。

◎今日の写真はエクアドルで見た蘭の花です。

蚊とメダカに餌を与えただけの一日

f:id:jiunji:20190726190312j:plain

 お地蔵さまの花替えをしようと夕方、地蔵堂へ行きました。暑さでボーっとしてたせいか(いや、ボーっとしているのは一年中なんですが・・・)、素足、半そで・・と、まったく無防備状態でフラフラ境内を横切ったら、アッと言う間もなく十か所ぐらい刺されてしまいました。

 部屋にもどってぷっくりと膨らんだ噛み跡に薬を塗りながら・・・「う~ん、今日も朝の月参りは別として、蚊とメダカに餌をやっただけの一日だったか」と申し訳なさにうなだれてしまいました。

 その時、先日ある方からいただいたお電話のことを思い出しました。初めてお電話下さった方でしたが、少しお話をしている間に、その方がどんどん「自分のできること」をアッピールしていることに気が付きました。

 「できること」が多いのは、もちろん喜ばしいことです。才能に恵まれていたり、良いご縁に恵まれていたりして、その「できること」が増えていったのでしょう・・・と思って聞き続けていたら、どうもそうではないようです。

 「自分には、こんな才能もあるのに、認めてもらえない」という悔しさ、哀しみを私に訴えていらっしゃるようなのです。

 人は誰でも、強い「承認欲求」を持っているものです。親に褒められたい、友達に認められたい、上司に能力を認めて欲しい・・・などなど、「他人の評価」への‶飢餓”は、私たちの心を苦しめるものの重大な要素の一つです。

 自分のことを知ってもらうのに、「自分のできること」、「自分の才能」を伝えるのは大切なことなのかもしれません。でも・・・・

 阿弥陀さまは、「できることが多い」とか「何かに優れている」ことを救いの条件にはなさっていません。足りない、優れていない、できない凡夫の私をその身そのままで受け入れて下さっているのです。

 う~~ん・・・でも、今日の私はやっぱりダメダメかも。

◎今日の写真は奈良の薬師寺で見た蓮の花です。無心に咲いて、ただ散っていく花です。

怠け者尼入道大車輪!

f:id:jiunji:20190722135009j:plain

 蒸し暑いですね。まずは北極海に浮かぶ氷山でいっぷくして下さい。

 

 慈雲寺では毎月一回、「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」というのを行っています。冷暖房設備のない本堂に集まっていただくのは申し訳ないのですが、おかげ様で夏も冬も休みなく続けることができています。

 昨日はその講座の日でした。30名を超える方々が来て下さったので、本堂を開け放っても暑かった!申し訳ありませんでした。

 昨日は、おそらく我宗門史上最も怠け者の「尼入道」(尼僧のこと。蔑称的なニュアンス有り?)の私(あ、こんなこと偉そうに書いてどうする?!)としては、大車輪の一日でした。

 朝は、植木やメダカなど、私に掛かっている命のお世話。講座の原稿の見直し、汗だくでお話・・・午後は墓開きと納骨の法要・・・夜は新聞の取材でご近所で神楽のお稽古をしている子供たちに会いにいきました。

 毎日、激務で働いている方や、仕事と育児、家事を両立させている方からみたら、「昼寝中か?」という程度のことでしたが、私はすっかりくたびれはて、食欲も失うほどでした。

 「篤い信仰心」はもちろん、「字が上手」とか、「声が通る」、「ほかの人の思いに共感できる能力」、「優しさ」などなど、僧侶の資質は一様ではありませんが、「勤勉」は大事なことの一つです。でも私は「声が通る」以外は、ほとんど失格・・・

 それでも、阿弥陀様のお慈悲にすがって今日も生かしていただいています。

 「慈雲寺のポンコツ尼さんでも、阿弥陀様は見捨てないらしいから、私も大丈夫だよね・・・」と思って下さる方が一人でもいれば、お仏飯をいただいて暮らしている申し訳がたつ・・・かなぁ?

 今日はヘロヘロにくたびれているので、衣のほころびを修理しながら、おとなしく過ごすことにします。

 ◎8月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は8月25日(日曜)の10時からです。ご要望が多いので、戒名や法名についてまたお話させていただきます。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加下さいませ。

7月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は21日です。(慈雲寺へのアクセス)

f:id:jiunji:20190720224939j:plain

お知らせが大変遅くなり、申し訳ありません。

7月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は21日(日曜日)、朝10時より行います。

テーマは「お盆の意義とその迎え方」です。祖先を大切にする日本の美しい宗教慣習の一つであるお盆の歴史を振り返り、この伝統を受け継いでいく意義についてご一緒に考えて見ましょう。

 どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加下さい。

◎慈雲寺への交通アクセス


 申し訳ありませんが、慈雲寺には十分な駐車場がありません。なるべく公共交通を使っておいでくださいませ。近くの有松ジャンボリーSCに大きな駐車場があり、無料で駐車できます。そこからお寺まで、北へ徒歩5分。
 ★鉄道、バスのアクセス
 名鉄有松駅前から、「有松12番 有松町口無池行き 地蔵池経由」に乗ってください。日曜の9時台は二番乗り場から9時07分と36分に発車します。これらのバスに乗り、郷前(ごうまえ)の停留所でお降りください。そのまま道なりに進むと郷前の交差点に出ます。角に鍼灸院があり、その右手の細い坂道を上がると慈雲寺の屋根が見えてきます。
   また、時間はかかりますが、地下鉄の鳴子北駅から出ている「鳴子13番」のバスも郷前に停まります。日曜は8時45分に鳴子北駅からバスが出ます。
●栄のバスターミナルからは森の里団地行きのバスが一時間に一本出ています。この場合は、郷前の停留所から道を戻って郷前の交差点に行ってください。日曜は8時50分発があります。所要時間は約50分
●JRの大高駅から緑循環バスの名鉄有松行で郷前に行くことができます。日曜は8時44分と9時44分に出発します。9時台のバスですと10時の開始時間には少し遅れますが、あわてずにおいでください。
●また、同じ緑循環バスの名鉄有松行は南大高駅東にも停車します。9時9分発と10時9分発です。
●JRの共和駅からタクシーで5分。市バスはありません。

17日は満月です。お月見を兼ねて写経・写仏をなさいませんか?

f:id:jiunji:20190716224208j:plain

 慈雲寺では、毎月満月の夜にお月見を兼ねた写経・写仏の会を行っています。慈雲寺の境内は広くはありませんが、本堂の縁側からは、月が夜空を動いていく様子をゆったりと眺めることができます。

 写経は字の上手下手は全く関係ありません。阿弥陀様のお慈悲を感じながら、穏やかな気持ちで自分に向き合うのが第一の目的だからです。『般若心経』の写経をしますが、「南無阿弥陀仏」の御名号を写すこともできますし、愛らしい表情の仏様や菩薩さまの写仏も体験していただけます。

 用具は全て用意してありますので、お気軽にご参加ください。

7月の満月は17日です。7時半から、皆んなでご一緒に『般若心経』を読誦し、毎月少しずつ心経の内容についても学んでいきます。

 しかし、ゆっくり写経をなさりたい方は、早めにおいでになっても結構ですし、7時半に間に合わなくても慌てずにおいでください。

 広くはありませんが、駐車場もありますので、自動車でおいでになっても大丈夫です。慈雲寺の駐車場が満員のときは、近くの駐車場をご案内しますので、庫裏にお声がけ下さい。

 カーナビは「名古屋市緑区桶狭間上の山725 慈雲寺」で検索してください。電話は052-621-4045です。

◎今月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は7月21日(10時)より行います。テーマは「お盆の意義と迎え方」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

◎今日の写真は、ネットの無料画像からお借りしました。

 

メダカの里親募集中

f:id:jiunji:20190715223651j:plain

 このところ、ずっとペットの供養について考えています。

 友人の僧侶とその話題で話をしていた時、私が「今、ペットを飼っていないから、いまひとつ現実味がわかないのかも・・・」と言うと、「何言ってるんだ。圓阿さんは何百匹もペット飼っているじゃないか!」と笑われました。あ、そうでした。今年はなぜかメダカが大繁殖。あちこちにお願いして養子縁組をしているのですが、まだまだ孵化し続けています。なぜ今年だけ???

 こんなにたくさんの命の責任を負うのは結構大変。大きな土管を二つ池代わりに使っているので、こちらは餌をやるだけで手入れ無し。

 大きな水連鉢や火鉢を流用しているものは、水を変えてやったりバクテリアの溶液を入れてやったり、怠け者の私としては「大車輪」状態です。

 というわけで、私も命を預かる身であることに気が付いてしまいました。う~ん・・・この子たちに穏やかで幸せな生涯を送ってもらい、たくさんの人達に慰めと喜びを与える功徳を積んで、できれば人間界に輪廻して欲しいものです。

 というわけで、メダカを大切にして下さる方、里親になっていただけないでしょうか?容器を持って来ていただければ、何匹でも差し上げます。ホテイアオイもたくさん増えましたので、良かったらそちらもお持ち下さい。美しい紫の花が咲きます。

◎慈雲寺から北へ車で5分ほどの所に旧東海道が通っており、江戸時代の雰囲気がそのまま残っている一角があります。その有松の旧市街は絞染で有名です。今日の写真に写っているのは、「有松」と名付けられたアジサイです。本当に絞染のように白地に青が不規則に広がっている愛らしい花でした。

 

ペットと人間の合祀について Part2 「皆蒙解脱」について考えてみました

f:id:jiunji:20190714064441j:plain

 いつも鋭いご指摘や、優しいアドバイスをくださる「ももはな」さんが、NHKのニュースで取り上げられたペットと人間の合祀について教えてくださいました。そのニュースがこれ→

https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2019/07/0708.html

 とても興味深いことです。ニュースに取り上げられているのは、議論のごく一部のようですし、「ペットと一緒に眠れるお墓」の理論付けのための論調のように思いました。

 「ペットと合祀できるお墓を作ったら、檀家が150軒増えた」なんてコメントは、「ああ、お寺さんも新しい商売始めたな・・・」なんて印象付けてしまわないか・・・と心配になりました。

 驚いたのは、「皆蒙解脱」という経文をペットと人間の合祀を肯定する理論づけに使っていることです。ペットと人間を同じ墓に葬ることを肯定した経文を新発見!というような論調のようです。もちろん、ニュースを全部読んでいませんし、大事なところが報道の都合の良いようにカットされている可能性もありますが、この浄土宗の教学研究所の研究員の僧侶は、今、かなり苦しい立場に立たされているのではないでしょうか?

 「皆蒙解脱」は、別に新発見の経文でもなんでもありません。

 阿弥陀仏法蔵菩薩の時代に「全ての衆生を往生させる。すべての衆生を迎え取る極楽というお浄土を作る」という誓いをたてられ、その誓いが成就しない限りは、仏にはならないと誓って、修行に入られました。

 本来なら私たちが自分でしなければならない修行も懴悔もすべて私たちに代わってやりつくして、今、阿弥陀仏になっておられるのです。ですから、阿弥陀仏の側から見れば、すべての衆生は往生が決まっています。全ての衆生は条件の整った極楽で修行と懺悔をやりつくして、解脱していきます。これが「皆蒙解脱」です。

 しかし、私たちは仏の願いを知らず、私たちが積み重ねた「業」のために、仏の思いに気が付かないまま輪廻を繰り返してきたのです。

 仏教では縁が満ちて結ばれないと仏でもどうすることもできない。でも、阿弥陀仏は全ての衆生が極楽に往生するまで、辛抱強く待っていて下さいます。

 往生の条件は、この阿弥陀仏の願いを「聞かせてもらうだけ」で良いと証空上人は教えています。お念仏をたくさんするからでもないし、ゆるぎない信仰が条件でもない。阿弥陀仏の思いを聞かせてもらって、「ああ、そうだったのか・・・」と気が付くだけで良いのです。

 しかし、仏典では、この仏様のお言葉「仏語」を聴くことができるのは、人間と天人だけです。

 ペットのことを大事に思うなら、動物として生きている間、できるだけ穏やかに幸せ暮らしていけるように、たっぷりと愛情をそそぎ、できるだけ早く仏縁を結ぶことができるように廻向してあげることが大事だと思います。

 だから、前のブログにもかきましたが、「ペットと飼い主」という関係に執着して、お墓の中でもそれを続けたいと願うことが、本当の愛情なのでしょうか?

 でも、ペットの遺骨をゴミのように扱いたくないという気持ちはわかりますので、どうしても合祀したいというご希望なら、私のお寺ではあえて反対はしませんが、上に書いたようなことは、しっかりお話させていただいた上でのことです。

◎今日の写真は、慈雲寺の属する浄土宗西山派西山浄土宗)の総本山光明寺でみた竹林です。