慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

二月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、2月20日(日)10時より行います。テーマは「聖徳太子って誰でしょう? 太子信仰の姿」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加下さい。

無財の七施 Part 4 身施

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奈良の明日香地域で出会った仏様。胴体部分が失われても、
やさしげなまなざしは消えていません。

 身施は、自分の身体を動かして他の人を手助けしたり、奉仕したりする行いです。これも布施の修行の一つです。

 ほんの小さなことから始められる修行ですが、その功徳ははかり知れないとお釈迦様は説いておられます。例えば、大きな荷物を持って階段を上がろうとしている人を手助けするとかはどうでしょう?

 治安の悪いところだったら、そのまま荷物を持ち逃げされるかも?と心配になるかもしれませんが、日本はそんなことはないと信じたいところです。

 「荷物を持ちましょうか?」と言われたら、素直に「お願いします。」と受けることができる雰囲気も大事ですね。「大丈夫です!」と何回も断られると、声をかけようという気にもならなくなるでしょうから。

 とはいえ、デート中に女性の小さなバッグまで持ってあげるのがマナーみたいな国もあって、それはどうかなぁ???と思いますが。

 慈雲寺もたくさんの方々の身施で支えられています。住職は境内の景観を維持し、宗教施設にふさわしい心の安らぎを参拝者が感じられるように整えるのが大事な役割の一つです。

 身施を大切にするのは仏教だけではありません。例えば、天理教の「ひのきしん」などのように、神様への感謝をあらわすために労働をささげることが教えの基本になっている宗教はたくさんあります。

 

 僧侶ももちろん、積極的に身施をすることが「生き方」になっていかなければなりません。しかし恥ずかしいことに、私はこまめに掃除をしたり、庭の植木などの手入れをしたりするのが苦手です。嫌いというわけではないのですが、一人で黙々と作務をするのが苦手なのです。だれかが一緒に働いてくださると、私も張り切って動きます。

 「一緒に」と言っても、私は勤勉に動き回るというわけではなく、しばしば手が止まってボーっとしてしまうので、張り切ったり、ぼーっとしたり・・・あんまり役にたっていないかも???

 こんな私の状況を見かねて(?!)、身施を申し出てくださる方がいます。本当にありがたく思っております。

 知らないうちに枯れ葉がきれいになっていたり、参道の雑草が抜かれていたり・・・自分のなまけ心を指摘されているようで、恥ずかしい気持ちにもなるのですが、「慈雲寺のことを思ってくださる方がたくさんいらっしゃる」と思うと、嬉しさもいっぱいです。

 

 

 

 

教育の経済格差を埋めるのは読書だ!「慈雲寺文庫」を利用してください。

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図書館は地域の宝!

 私は理科系の勉強はさっぱりなのですが、数学へのあこがれのようなものは強く、

ゲーム理論の本を読んだり、和算の歴史の本を読んだりするのは大好きです。数学の文章問題を見るのも好き・・・解くのが好きと言えないのがトホホですが。

 というわけで、先日の大学共通入試の数学の問題をぼんやり眺めていたら、今年は特に読解力がないと解けなさそうな問題が多いように思いました。d

 文系でも理系でも、知性の基本は読解力!読解力を育むのは読書以外にはありません。

 

 ここのところ、親の経済力が子供の学力や教育格差につながっているという話題がをよく目にするようになりました。たしかに、塾や家庭教師など、経済的に余裕のある家庭なら、子供の学力不足を補う選択肢は広がるでしょう。

 しかし、こうした経済的な格差を是正する手段の一つとして「読書」が挙げられているのにとても興味がわきました。

 私はけして経済的に豊な家庭で育ったわけではありませんが、「読書の喜び」は子供のうちに教えられました。欲しい本を買ってもらえなかったことはないし、これは偶然ですが、図書館も家のすぐ近くにあったので、本はとても身近なものでした。

 カナダに行ってからも、(これも偶然ですが)、いつも家から徒歩圏内に図書館がありました。名古屋に来てからは・・・・残念ながら、一時間に一本のバスに乗って45分。もしくは自転車で30分の分室と、ちょっと悲しい状況です。

 というわけで、慈雲寺の山門のところに、本棚を置いてミニ図書館にしています。本堂でお茶を飲みながら読んでも良いし、自宅へもって帰っても結構です。

 読み終わったら、返却してくださっても良いし、ご自分の読んだ本と交換も歓迎です。いろいろな方からご寄付もいただいているので、内容もさまざまです。

 ぜひ一度、お立ち寄りください。どなたでも歓迎いたします。

 

 仏教は「言葉」をとても大切にします。経典に記された仏の言葉、「仏語」を味わい、教えを受け止めるためには、柔軟な思考と知的好奇心が不可欠です。

 そして、「他人」、「相手」を思いやる気持ちが大切です。この言葉を発することで、どのような事態が起きるのか、常に考えて発声しろとお釈迦様はお説きになっています。

 「そんなつもりではなかった」とか、「悪気はなかった」とか言っても、一度発音された言葉は、刃にも毒にもなるからです。

 仏教では、柔らかで暖かく、思いやりのこもった「愛語」を発するのは、大切な布施の修行の一つだと教えています。

1月21日は弘法大師のご縁日です。終日、四国八十八カ所のお砂踏みも体験していただけます。

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境内に四国八十八カ所のお砂踏み場を設けているお寺は各地にあるようです。

 

 慈雲寺は浄土宗西山派西山浄土宗)に属するお寺ですので、ご本尊は阿弥陀如来ですが、弘法大師のお像も祀られています。

 お寺の周辺から知多半島にかけては、御大師信仰の篤いところですから、真言宗以外のお寺にも弘法大師のお堂があるのは珍しくありません。

 

 毎月21日は弘法大師のご縁日です。慈雲寺は新年1月と年末の12月に短い法要を行っています。

 1月21日は10時より、ご一緒に『般若心経』を読み、御大師様のお言葉などもご一緒に味わいましょう。

 また、当日は本堂の中に、四国の八十八カ所の札所から集めたお砂を踏んでいただけます。お砂踏みは、巡礼をしたのの同じ功徳があると言われています。

 ミニ巡礼で御大師さまとのご縁を深めて下さい。

 お砂踏みは全日、ご自由にお参りください。。

 

阪神・淡路大震災の犠牲者を悼む

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湯河原の宿で・・・足湯の近くに飾られていました。足からぽかぽか。花の可憐さにいやされ、心もほんわかでした。

 

 今朝、5時半ごろに目がさめ、朝のニュースを見て、今日が阪神・淡路大震災の起きた日であることを思い出しました。まだ夜も明けぬ極寒の早朝に起きたことだったのだと、改めて胸がいっぱいになりました。

 今朝の勤行では、犠牲者の方々の菩提を願わせていただきましたが、残された方々の哀しみや痛みはいかばかりかと、祈るだけではなく何かできることはないのかと考えています。

 私の親戚や友人で亡くなったり怪我をした人はいませんでしたが、この時のことがきっかけで、今まで押さえていた問題が噴出してしまい、家族がばらばらになってしまった親類がいます。このことは、私自身の「家族」という問題にも大きな問いかけになりました。

 また、震災直後から宗教関係の人たちがどのように動いたのかも忘れることはできません。どのような活動が本当に被災者の方々に役にたったのか明らかではありませんし、私の属する浄土宗の西山派(西山浄土宗)では、個々の寺院でどのようなことが起きたのか記録も十分に残されていません。命の問題、心の問題に直結する事態に、宗門がどのように取り組んだのかを記録し、今後に生かして行かなければならないと思います。

 震災から27年。経験者の老齢化も進むでしょうから、記憶の継承は急務です。

 こんな時は、自分の宗門が小さな事、宗門の大学があればなぁ・・・と思わないではいられません。

 

 私は震災当日、たまたま日本に一時帰国していました。当時、私は森林関係の業界で通訳として糊口をしのいでいたのですが、「神戸の住宅がどうなっているのか、報道写真をかき集めてカナダへ早く戻ってこい!」という指示を受けて、出版されたばかりの特集写真雑誌をかき集めてカナダへ戻りました。

 ツーバイフォーの住宅が地震に強いことを確認したかったのでしょうし、すぐに住宅再建のための木材が必要になると考えられたからでしょう。

 私はアッと言うまに「商機」という興奮に巻き込まれ、宗教者としての立場を忘れて、考えるべきこと、見るべき事を見失って行きました。

 自分の愚かさに忸怩とする思いです。

 

 仏教では、心を落ち着かせて状況をしっかり見よと、繰り返し教えているのに・・・

龍樹も臨済も『維摩経』で多くを学んだそうです。今月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、維摩居士のお話です。

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ローマの動物園で見たトラ。すっかりイタリアになじんでるみたいで、ノンビリ暮らしている感じでした。

 

 今月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」では、『維摩経』のお話をしようと思っています。1月16日の日曜日、10時から行います。

 空気の流れを考えて、本堂の扉は開け放ったままにしますので、どうか暖かな服装でおいで下さい。膝掛けはご用意しますが、靴下カバー持参がおすすめです。

 どなたでも歓迎いたしますので、お気軽においで下さい。

 

 さて、この『維摩経』ですが、在家の仏教徒である維摩居士と、お釈迦様の高弟たちとの出会いと対話の物語です。

 維摩居士はまじめに修行に励むお弟子さんたちに、なかなか辛辣で深みのある問いかけをします。

 出家をし、煩悩の炎を消し去り、悟りの世界に入ろうと修行に励む弟子たちに出会うと、維摩居士は「静謐な場所に閉じこもって修行して何になるのか?」と問いかけます。

 「煩悩にまみれ、苦悩の中に生きる。それでも仏道に外れない生き方があると仏教は教えています。煩悩をかかえたまま悟りを開くのです。」と語ります。

 

 禅宗では「煩悩即菩提」とよく言います。煩悩があるからこそ、私たちは悟りの世界、お浄土を求めるのですから、煩悩が悟りへの縁なのですね。

 少々ひねくれた(?)言動で、釈迦の高弟や弥勒菩薩まで困らせた維摩居士の、大乗仏教徒ならではのものの見方をご一緒に学びましょう。

 

 ◎慈雲寺周辺の地図や交通アクセスは、慈雲寺のホームページ jiunji.weebly.com の CONTACTのページをご覧下さい。

 

無財の七施 Part 3 床座施

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ローマの動物園で見た建物の装飾です。古代ローマ風の建物の中に動物がいると、昔の貴族の贅沢みたいな不思議な雰囲気でした。

 

 布施は私たちが最も執着しているもの、煩悩にまみれがちなものを手放す修行です。お金などの財物を布施するのは、私たちが一番執着しやすいものだからです。財物でないものを手放す布施もあります。

 仏教では、この財物以外の布施を七種類に分けて「無財の七施」と説いています。

 

 七施の一つに「床座施」(しょうざせ)があります。これは、座席や寝床を人に譲って施すことをいいます。

 私はカナダで40年生活してから、現在の桶狭間のお寺の住職に赴任するために帰国しました。「日本とカナダとどちらが良いですか?」と良く聞かれますが、どちらも良いところも悪いところもあるので、何とも言えません。

 仏教では、今いるその場所を大事にすることを教えています。隣の芝生をうらやんだりしてはいけないんですね。同時に、大事にし過ぎて執着することも戒めています。大事にするけれど、手放すときはあっさり・・・難しいことですね。

 

 さて、カナダの方が日本より良い・・・と思えることの一つが電車やバスなどの座席を譲ることです。カナダの人は座席をサッと譲ってくれる人が少なくありません。妊婦や怪我をしているらしい人が乗り込んで来たら、何人かの人がいっせいに立ち上がるくらいです。

 譲ってもらった方の人も、「ありがとうございます!」とニッコリ笑って、サッと座ります。この一連の流れはとてもスムース。

 

 一方、日本では席を譲るのはなかなか大変です。譲ろうとして立ち上がっても、「すぐ降りますから~~」となかなか座らない。中には「年寄り扱いするな!」と不機嫌な表情をする人もいます。

 妙に大げさにお礼を言う人が多いのも、譲るのをためらう原因になっているような気もします。座るときにお礼、下車するときにもお礼・・・譲った人が恥ずかしくなってしまう感じです。

 

 なんで譲られたのかわからない時でも、譲ってくれたらさっさと座って、ニッコリ「サンキュー」と言えば良いのです。大げさなことは不要です。

 

 譲る方も、譲られる方も、妙な自意識が邪魔をするとスムースな動きができません。煩悩を手放す修行を繰り返していれば、どちらの側もスマートな行動ができるようになるでしょう。

 この「席を譲る」行為の「席」は、座席だけに限らないでしょう。人生のいろいろな場面での「席」をスマートに譲り、譲られる自在さが、仏教徒の生き方です。

「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」のご案内。1月のテーマは『維摩経』に学ぶ煩悩の手放し方です。

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 サザンカは、花の少ない冬に咲いてくれるありがたい花です。その鮮やかな色を眺めていると、心まで温かくなるきがします。

 

 今日は、廃仏毀釈についての講義を聴きに栄まで出かけていました。私は神仏習合という信仰形態にとても興味があり、その伝統を破壊した廃仏毀釈という蛮行にも興味があります。今日も「目から鱗だぁ!」と思うお話で、寒風の中出かけた甲斐がたっぷりありました。

 

 さて、慈雲寺では、毎月一回、本堂でお話の会を行っています。身近な話題を取り上げて、仏教のものの見方、考え方をご一緒に学んで行こうという試みです。

 今月は1月16日(日)10時から行います。テーマは、『 維摩経』というとてもユニークで親しみやすいお経についてです。

 『 維摩経』は、維摩居士という在家の仏教徒のおじさんと、お釈迦様の高弟との出会い、対話がテーマになっています。維摩居士は、修行の進んだお弟子さんたちに、遠慮無く厳しい問いかけをするので、お弟子たちからは煙たがられているようです。

 この対話のテーマの一つが「煩悩」。私たちを苦しめている煩悩をいかにして手放していくのか、維摩居士に聞いてみましょう。

 

 どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

 コロナ禍は、まだまだ続きそうですので、本堂は大きく開け放った状態でお話します。どうぞ暖かな服装でおいで下さい。ひざかけはご用意しますが、靴下カバーなどをご持参いただくと良いでしょう。

 慈雲寺周辺の地図や公共交通のアクセス情報は、慈雲寺のホームページ jiunji.weebly.comのCONTACTのページをご覧下さい。