慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

10月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、10月27日(日)10時より行います。テーマは「行きつけのお寺の見つけ方」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

仏教における終末思想について Part 3

       有松絞りで描いた江戸時代の東海道有松の様子です。

 

 このところ、終末思想の講義の準備をしているのですが、今日は『法滅尽経』というお経を読んでいました。人類の破滅を説く教典はいろいろあるのですが、この870字ほどの短い教典は中でも特に「エグい」。エグいなんて言葉をお経に使うのは不謹慎ですが、この表現がなんともぴったりなのです。

 この教典は中国で成立したとされていますが、仏法がほろびようとする末法には、どのような情況になるかが、詳しく、具体的に述べられています。特に僧侶にはかなり強烈な指摘が連なっています。

 仏法が滅しようとしているとき、魔道が盛んになり「悪魔が僧侶となり、さまざまなところに入りこみ、仏道を乱し、破壊する」と書かれています。僧侶こそが、仏法破壊の元凶だというのです。

 たとえば、「魔僧は俗人の服を着て、袈裟も五色のものを喜んで着るようになる」とか、「ただ財物をむさぼり、たくわえることのみに没頭し、福徳を行おうとしません」などなど、「魔僧」の行いが列挙されています。

 寺が荒れるのを見過ごしているなんて指摘もあり、雑草生え放題、掃除も行き届かない私にはぐさりと来るものも少なくありません。

 「限りなく味覚を追い求め、慈悲の心がない」など、グルメ自慢の僧侶に厳しい言葉もあり、僧侶同士の憎しみや妬みが増えるのも末法ありさまだと述べています。

 勉強しない僧侶、修行を怠ける僧侶、おごり高ぶる僧侶なども、「魔僧」として批判されています。

 

 私にも当てはまることが多々あります。まずは質素な食事から心がけていこうと思いましたが、おいしいお寿司の御供えがあり、今、少々悩んでいるところです。

 

 

10月の慈雲寺の行事のお知らせ

古代のガラスの器です。何を注ぐものだったのか興味がわきますね。

 うっかりしていて、今月の慈雲寺の行事についてお知らせしていませんでした。遅ればせながら、今月も写経とお話しの会をいたします。

 どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

 公共交通の案内や地図などは、慈雲寺のホームページ

 jiunji.weebly.com をご覧になって下さい。

 

10月17日夜7時半より 満月写経の会

 慈雲寺では、毎月満月の夜にお月見を兼ねた写経の会を行います。必要な道具は全て揃っています。お気軽にご参加ください。

 7時半から、『般若心経』の読経をし、心経の内容についても少しずつ学んでいきます。

★写経の日は、駐車場も十分と思われますので、お車でおいで下さい。もし満車の際は近くの無料駐車場をご紹介しますので、庫裏にお声がけください。

 

 

10月27日10時より 尼僧と学ぶやさしい仏教講座

テーマ:行きつけのお寺の見つけ方

 菩提寺の住職と気軽にいろいろ相談できるのが理想ですが、距離的に遠いなどの問題がある場合は、ご近所で「行きつけのお寺」を探すのがおすすめです。その探し方のコツをお話しします。

 

◎10月の鳴海中日文化センターの講座

「尼僧と学ぶやさしい仏教入門」

秋期のテーマは「般若心経に学ぶ:広やかな心と穏やかな暮らし」

 名鉄鳴海駅前の中日文化センターで、毎月第二日曜の13時から仏教入門講座を行っています。

 秋期は『般若心経』に学ぶ、広やかでしなやかな生き方をご一緒に学んでみましょう。

 申し込み、問い合わせは電話0120-538-763です。

仏教における終末思想について Part2

和歌山県南部町の海辺です。和歌山の海は穏やかな日はとても美しい。

 日本の仏教は平安末期から鎌倉時代にかけて大きな転換を迎えます。浄土宗を始め、いわゆる「鎌倉仏教」と呼ばれる宗派の教えが生まれた背景に深く関わっているのが「末法思想」です。

 慈雲寺が属する浄土宗西山派西山浄土宗)の宗祖法然源空上人(法然)の教えもまた「末法思想」がキーワードとなります。

 今月から半年ほど、毎週法然上人についてお話しする機会をいただきました。最初の授業で何をしようか考えていたのですが、やはり末法思想についてお話しを始めるのが良いと思っています。

 私は修士論文で「終末思想」に触れたので、このお話しには以前から興味がありました。しかし、古い資料を取り出して読んでいくと、ユダヤ教キリスト教に関連したものは多いのですが、仏教の末法思想についてはあまり関心を持っていなかったことがわかります。残念!

 とはいえ、かつて(数十年前!)の私がどんなことに関心があったかを思い出すのは、なかなか興味深いことです。修士論文を書いていた時には、私は西山派のことなど全く知らず、仏教徒ですらありませんでした。

 その時の私は日本仏教史の中で「終末思想」がどのように展開したのかに関心を持ち、「末法」という考え方に出会ったのです。

 最初に興味を持ったのは、天台宗を開いた最澄上人がお書きになったとされる『末法燈明記』です。この著作は最澄が書いたのかどうか疑問視されているようですが、平安末期から鎌倉時代にかけての僧侶たちには、きわめて大きな影響を与えました。

 最澄は、『末法燈明記』を書いた延暦20年(801)は「仏滅後、1410年にあたる」とし、まさに像法の末期、末法の時代に突入しようとしていると主張しました。

 これに影響を受けたのは、法然はもちろん、その弟子の親鸞親鸞聖人)も例外ではありません。親鸞の『教行信証』には、『末法燈明記』がほぼ全文引用されています。それを根拠に親鸞は「正法千年、像法千年」説を取り、末法に入った時期を算定しています。

 日蓮上人(日蓮)もまた、『守護国家論』の中で、『末法燈明記』を引用して、「すでに末法の時代に入った」と強調しています。(つづく)

 

 

仏教における終末思想について Part 1

仏教の歴史観

 オウム真理教の事件が世間の注目を集めていた時、「ハルマゲドン」という言葉がしばしばメディアに登場しました。

 「ハルマゲドン」とは、「メギドの丘」という意味です。この丘は、古来イスラエルで、しばしば戦場となった場所。新約聖書の中の『ヨハネの黙示録16章16節』では、悪魔と神の決戦場をして登場します。

 オウム真理教麻原彰晃は、これを自分流にねじまげ、近日中に人類の最終戦争が起きると信者を煽り、武装ほう起しなければならないと教えたと言われています。

 さまざまな宗教は「世の終わり」について教えていますが、キリスト教の終末論は特に強烈で、激しいイメージがあります。

 仏教は時間はらせん状に繰り返して行くと考えるので、キリスト教のような「終わり」という発想はありませんが、お釈迦さまが生きていた時代をピークとして、その後徐々に全てが悪化していき、ついには末期を迎えるという歴史観があります。

 これを末法思想といいます。

歴史の流れを正法、像法、末法の三つに分類します。

正法とは、釈尊の在世中から1000年(500年説あり)間の時代で、人々の機根(資質・能力)がすぐれており、教えに従って修行する人は多く、悟りを開く人もたくさんいる字だしのことです。

 それに続く1000年は像法の時代。「像」とは似ていることを意味しています。正法の時代と似てはいても、人々の能力や資質は劣化していき、修行する人はいるものの、悟りを得ることは非常に困難にたっていきます。

 そして釈尊在世から2000年(1000年)たつと、末法の時代に突入します。この時代には、人々の機根は劣悪となり、修行をする人もいなくなり、当然悟りを開く人もいなくなります。しかし、釈尊の教えだけは危うくも残っているという時代です。末法の時代は1万年続くと言われています。

 日本では伝統的に平安時代末期の1052年に末法の時代に突入したと信じられてきました。

 

23日まで「當麻曼荼羅」の御開帳をしています。

 彼岸の入りから2日目。「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉なんて、大噓だぁ!!!と叫びたくなるほどの猛暑日でした。

 彼岸の期間中、慈雲寺では毎年、「當麻曼荼羅」の御開帳をしています。この曼陀羅は、『観無量寿経』に説かれた極楽の様子を善導大師の解釈に基づいて描いたものです。

 細かい描写がなんとも優雅で美しく、極楽へ迎えとっていただける日が楽しみになるほどです。

 慈雲寺のものは、本物の當麻曼荼羅の8分1の大きさですが、それでも迫力を感じていただけると思います。

 23日まで本堂の右手奥に展示いたしますので、どうぞご遠慮なく本堂に上がり、ゆっくりと「彼岸」の風景を味わってください。

 天眼鏡も用意してありますので、近くに寄って、細かい所までゆっくりと鑑賞なさってください。

 

 お彼岸に極楽とのご縁をぜひ深めてください。

 冷たい麦茶とお菓子を用意していますので、どうぞ一服なさって下さい。

お彼岸の法要を9月19日10時よりおこないます


「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉をよく聞きますが、今年は彼岸が近づいても真夏の暑さがゆるむ感じがしませんね。それでも、早朝は少し楽になったきがします。

 さて、今年のお彼岸の入りは19日です。25日の彼岸明けまでの7日間、ご先祖を思い、日々の暮らしを喜ぶ毎日を送りたいものです。

 お彼岸は日本独自の仏教慣習です。季節も変わり、お盆とはまた違った気持ちで、ゆったりとお墓参り、お寺参りができるのが秋彼岸の特徴でしょう。

今年のお彼岸法要は9月19日10時より行います。

どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

◎19日から23日までは、『観無量寿経』に説かれた極楽の様子を描いた、『当麻曼荼羅』のご開帳をいたします。極楽の美しさに触れ、阿弥陀仏とのご縁を深めて下さい。

◎慈雲寺へのアクセス

 お車でおいでの方は、国道23号線の有松インターで降りて北上してください。カーナビに慈雲寺の電話(052-621-4045)を入力してすれば探しやすいでしょう。しかし、慈雲寺には十分な駐車場がありません。できるだけ公共交通をご利用下さいませ。

 もし、慈雲寺の駐車場が満車の時は、庫裏にお声がけください。近所の無料駐車場をご案内します。

 有松インターの出口付近に有松ジャンボリーという大きなショッピングセンターがあります。その駐車場に駐車させていただくのがおすすめです。駐車場から慈雲寺までは北へ徒歩7分。有松歯科医院の看板のある坂道を入るとお寺の屋根が見えます。

 バスは、大高駅南大高駅、有松駅、鳴子北駅などから市バスが出ています。郷前(ごうまえ)というバス停で下車し、郷前の交差点まで1分ほど歩いてください。交差点南東側にお蕎麦屋さんがあり、その後ろに見える大きな屋根が慈雲寺です。お蕎麦 さんの右側に細い道がありますので、そこを通ってお寺においでください。

 なお、バスの時刻表は、名古屋市交通局の時刻表をご参照下さい。https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/bus/timetable.htm

今月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、9月16日(月・祝日)10時より行います。

上の図は、善導大師の説いた「二河白道」の譬喩を描いたものです。

 貪りの心を現す波が逆巻く河と、怒りの炎が燃え上がる河の間に、細く白い道が伸びていて、一人の男がその道を歩もうとしています。

 右側の岸辺からは、お釈迦様がその男を励まし、左側の岸辺からは阿弥陀様が迎え取ろうとしています。私たちが生きる此岸から、極楽の彼岸への渡り方を描いたのが、この「二河白道図」なのです。

 今月はお彼岸ですので、この「二河白道図」を取り上げて、絵解き説教をしてみようと思っています。

 今月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は9月16日(月曜・祝日)の10時より行います。

 どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

★10月より 鳴海中日文化センターで、毎月第2日曜1時から

「尼僧と学ぶやさしい仏教入門講座」を行います。今期は、『般若心経』を題材に、仏教の説く「こだわらない生き方」や「本当に捨てるとは何か」を学びます。

 問い合わせは0120-538-763へ。

◎慈雲寺での行事は特別な場合を除いて全て無料です。ご先祖のご供養やお寺の維持のため、お気持ちをご喜捨いただければ有難く存じます。

◎慈雲寺へのアクセス

 お車でおいでの方は、国道23号線の有松インターで降りて北上してください。カーナビに慈雲寺の電話(052-621-4045)を入力してすれば探しやすいでしょう。しかし、慈雲寺には十分な駐車場がありません。できるだけ公共交通をご利用下さいませ。

 もし、慈雲寺の駐車場が満車の時は、庫裏にお声がけください。近所の無料駐車場をご案内します。

 有松インターの出口付近に有松ジャンボリーという大きなショッピングセンターがあります。その駐車場に駐車させていただくのがおすすめです。駐車場から慈雲寺までは北へ徒歩7分。有松歯科医院の看板のある坂道を入るとお寺の屋根が見えます。

 バスは、大高駅南大高駅、有松駅、鳴子北駅などから市バスが出ています。郷前(ごうまえ)というバス停で下車し、郷前の交差点まで1分ほど歩いてください。交差点南東側にお蕎麦屋さんがあり、その後ろに見える大きな屋根が慈雲寺です。お蕎麦 さんの右側に細い道がありますので、そこを通ってお寺においでください。

 なお、バスの時刻表は、名古屋市交通局の時刻表をご参照下さい。https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/bus/timetable.htm