慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

8月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、8月30日(日)10時より行います。テーマは「ご先祖とのつきあいかた」です。葬儀から、法事、お盆、お彼岸など、ご先祖様とのご縁を深める宗教行事について改めてご一緒に学んでみましょう。

皆、極楽で再び出会う:「倶会一処」・・・・今月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は8月30日10時より、「ご先祖との付き合い方」をテーマにお話しします。

 先日、古本屋の100円コーナーを眺めていたら「仏教四文字熟語辞典」という上下二冊の本に出合いました。良く知られた熟語に数行の解説を加えたもので、パラパラと読むだけでとても楽しいものです。

 今朝、出会ったのは「倶会一処」という『阿弥陀経』の中の一節です。

 「ともに一つの場所で会う」、つまり私たち全ての衆生は、やがて極楽で再び出会うという意味です。

 『阿弥陀経』には「まさに発願して彼の国に生ぜんと願ずべし。所以はいかに、かくのごとき諸々の上善人と倶に一処に会することを得ればなり」とあります。

 私たちは愛する人々と、この世での「死」によって別れを経験しますが、やがて極楽で再び会えるのです。

 ご先祖と私たちの「縁」は肉体の死で切れるものではないのです。

 お盆が過ぎ、来月はお彼岸。ご先祖とのご縁を改めて感じる機会がやってきます。

 

◎今月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は8月30日10時より行います。テーマは、ご縁の深いご先祖とのお付き合いの仕方を改めて考えてみます。

 私たち日本人は、先祖として子孫という連続性の中で生きてきました。この「流れ」こそ私たちに穏やかな暮らしの基盤となり、困難に立ち向かう力の源になるのです。

 「無縁社会」に突入していると言われる今、ご先祖とのお付き合いの仕方をご一緒に見直してみましょう。

◎慈雲寺へのアクセス 

 お車でおいでの方は、国道23号線の有松インターで降りて北上してください。カーナビに慈雲寺の電話(052-621-4045)を入力してすれば探しやすいでしょう。住所は「名古屋市緑区桶狭間上ノ山725」です。 
 しかし、慈雲寺には十分な駐車場がありません。できるだけ公共交通をご利用下さいませ。 
 もし、慈雲寺の駐車場が満車の時は、庫裏にお声がけください。近所の無料駐車場をご案内します。 
 有松インターの出口付近に有松ジャンボリーという大きなショッピングセンターがあります。その駐車場に駐車させていただくのがおすすめです。駐車場から慈雲寺までは北へ徒歩5分。有松歯科医院の看板のある坂道を入るとお寺の屋根が見えます。 
 バスは、大高駅南大高駅、有松駅、鳴子北駅などから市バスが出ています。郷前(ごうまえ)というバス停で下車し、郷前の交差点まで1分ほど歩いてください。交差点南東側にお蕎麦屋さんがあり、その後ろに見える大きな屋根が慈雲寺です。お蕎麦 さんの右側に細い道がありますので、そこを通ってお寺においでください。 
 なお、バスの時刻表は、名古屋市交通局の時刻表をご参照下さい。https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/bus/timetable.htm 

 

 

残念ながら「戦争はもう始まっている」:藤原辰史

 上の写真に映っている記事は、昨日の中日新聞朝刊に掲載された、歴史学者の藤原辰史さんの「欲望の言葉 日本を覆う」というタイトルの文章です。

 私がグダグダと引用するより、記事自体を読んでいただいた方が良いと思い、全体の写真映像を出しました・・・・これって著作権侵害かもしれませんが、少しでも多くの方々に読んでいただきたいと思って出しました。

 

 私が高市政権が武器輸出解禁を強行したことを非常に重要な問題だと思っていました。藤原さんの記事は、私の懸念を証明するものだと感じています。

 「心理的にも経済的にも兵器に頼り始めると、言葉の信頼は必ず失われていく。兵器は対話が失われた場所で用いられるからだ」

 という言葉がまず心に残りました。宗教者としてもライターとしても「言葉」を基盤にして私は生きていると思うからです。

 

 また、「武器輸出解禁で、これから日本製の武器で世界中のこどもたちが死ぬことになる。だから『戦争がまた始まるのではないか』ではなく、残念ながら『戦争はもう始まっている』のだ。戦争に言葉も心も奪われないための理念を、語り続けなければならない。」

 という最後の言葉も重く響いています。

 

 殺生を厳しく戒められているのに、私たち日本の僧侶の多くは第二次大戦中、「積極的」に戦争を支持してきました。「戦時教学」と呼ばれる「理屈付け」を一生懸命考えた僧侶もいます。

 戦後、戦時教学を厳しく見直した宗派もありますが、「あの時は仕方がなかった」と十分な見直しをしていない宗派もあるようです。宗派の意向に関わらず、私自身がしっかりと「戦時教学」を見直さないと、これからの日本の動きにまた流されてしまいかねないと、藤原さんの記事を読みながら自省しました。

8月24日は地蔵盆です。

 毎月24日はお地蔵さまの御縁日です。

 慈雲寺のお地蔵様たちは、地域の道端に祀られていた方々。ご縁があって慈雲寺に来ていただきました。

 

 旧暦の7月24日は「地蔵盆」。子供たち中心の宗教慣習です。地蔵堂を掃除し、飾りつけをし、お菓子や果物をお供えします。

 私が育った地域にはこの習慣が無かったのですが、私が子供のころ父の生まれ育った広島の山奥の町では、地蔵盆がとても盛んでした。町内ごとに街角にある地蔵堂に子供たちが集まり、一日中楽しそうに遊んでいました。それをとてもうらやましいと思っていました。

 

 慈雲寺では、仏教的な慣習はできるだけ旧暦で行いたいと思っています。旧暦では、今年は新暦の9月5日がそれにあたります。しかし、お盆や地蔵盆は「一か月遅れ」というのが、慈雲寺周辺の慣習なので、8月24日に地蔵堂にお参りに来る方が多いのです。この方々を無視して旧暦に拘るのも違うだろうと思ったので、今朝は地蔵堂の掃除してお供えをしてみました。

 慈雲寺の周辺では地蔵盆の慣習はすたれてしまったようですが、本堂の改修が終わったら、子供たちを集めて本当の地蔵盆ができればと願っています。

 

◎月例の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、通常第三日曜に行っていますが、今月は8月30日の10時より行います。テーマは「ご先祖さまとのお付き合いの仕方」です。

 私たちの日常生活に「ご先祖」へのご縁が深く関わっています。おだやかで幸せな暮らしには、ご先祖への感謝が大切です。このお付き合いの仕方をご一緒に学んでみましょう。

野良猫シャムに教えられた「愛別離苦」

 慈雲寺の境内には、一日に何匹もの猫がやってきます。野良猫もいるし、散歩中の飼い猫らしいものもいます。餌などをやるわけではないので、通り過ぎるだけです。

 しかし、一匹だけ、私に餌をねだってくる猫がいました。耳が少し切り取られているので、避妊治療をほどこされた野良猫です。純粋種ではないでしょうが、シャムネコの特徴を残しています。

 毎朝、私が台所の電気をつけると勝手口で泣き声を上げて餌をねだります。

 私が触ろうとするとビクッと体をこわばらせて離れていきますが、機嫌が良いときは私の足に体をこすりつけてきたりしました。

 

 私は子供のころから犬や鳥などのペットを飼ってきました。カナダに行ったときは、最初に住んだ半地下室に、代々テナントが買う事を義務(?)とされている猫がいました。しかし、私はいつでも「自分はペットを飼うのに向いていない」と思っていました。小まめに世話をするのは苦手だったし、やがて「死んでいくもの」を身近に置くのが嫌だったからです。

 ですから、この野良シャム猫にも名前を付けたりせず、姿を見せてねだるときだけ餌をやっていました。おそらく、彼女の餌場は慈雲寺だけではないはずです。

 

 この野良猫が、このところ全く姿を見せません。数日、餌をねだりに来なかったことはありますが、10日以上姿を見ないことはありませんでした。おそらく、この夏の暑さを乗り越えることができず、静かにどこかで逝ったのでしょう・・・・

 台所の明かりを灯すたびに、不思議な喪失感、持て余してしまうほどの寂しさを感じています。

 

 仏教の教え「生きることは苦である」と認識することから始まっています。

 その「苦」を大きく8種類に分けています。「四苦八苦する」という言葉は仏教語に由来しているのです。

 8種類の「苦」の一つが「愛別離苦」です。愛するものと別れる苦るしみ・・・・仏教は、愛するものと出会うことも「苦」だと観るのです。なぜなら、必ず別れが来るからです。愛する家族とも必ず「死」によって別れがきます。愛する「物」や「関係」も必ず壊れていきます。

 強い愛は、強いからこそ深い苦しみを呼ぶ可能性が常にあるのです。執着が深ければ深いだけ苦しみも深くなります。

 

 餌をやるだけの関係、抱き上げることも拒まれる関係でも、私は毎朝のおねだりの声を楽しみにしていたのです。自分がこの猫に餌をやっている、私に依存しているという小さな優越感などなど・・・・この猫に感じた「愛別離苦」は、予想外にダメージの深いもののようです。

 今日も窓の外をのぞいて猫の姿を探している自分の「執着」を少々もてあましています。

夏は「腐敗」が哀しいよね。でも仏花は「生花」がいいなぁ。

 名古屋周辺は先週、お盆の間は少し気温が低く、棚経に走り回る僧侶たちにとっては「恵みの天気」でした。伝統的な意味での檀家が無い慈雲寺でも、少し忙しくて、朝晩の涼しさはありがたいものでした。

 とはいえ、今週になって猛暑がぶりかえしています。気温が高い間、私にとって一番心が重くなるのは、全てのものがどんどん「腐敗」していくことです。お供えも仏花も少し油断していると「腐敗」が始まってしまいます。

 「油断するなよ!こまめに水替えしたり、冷蔵したり、処分しろよ!」と自分で自分を叱るのですが、お墓にお供えした花は数時間で生気を失っていくのを見たりするのは、正直哀しいよりうんざりします・・・・

 

 「腐敗」といえば、思い出す絵あります。絶世の美女として知られた小野小町を描いた絵で、彼女の臨終の様子から始まり、野ざらしにされて腐敗が始まり、やがて骨になっていくまでのプロセスが描かれています。

 どれほどの美女でもやがて死が訪れ、腐敗していくという現実を見つめる、絵解き説教用の絵なのです。

 

 仏花が枯れているのを見ると、この絵を思い出してしまいます。花が生命の哀れさを見せてくれているのです。もちろん、枯れる気配が見える前にこまめに花替えすべきなのでしょうが・・・・

 

 このごろ、お墓やお仏壇に造花がお供えされているのを見ることが増えてきました。本物の花を化学処理した「本物そっくり!」のものもあります。見た目はとても美しいですし、いちおう本物の花だし・・・・伝統的な寺院でも木製の大きな蓮や、作り物の松が飾られていたりしますから、造花を全否定するわけにはいきません。

 でも、仏様は香りを喜んでいらっしゃると言いますから、見た目だけの花はどうなのでしょう・・・それより、花が「枯れていく」ところが仏の教えではないかと思うのです。命の危うさ、変化を学ぶことも「仏花」が教えてくれることだと思うのです。

 毎朝、仏花の様子を見て水替えや花替えをするのこそ、供養なのです。そこから、仏様の教えを感じていくのです。

 

 そういえば、このごろよくYouTubeで「本当の僧侶のありかた」に警鐘を声高にならしている和尚さんがいるのですが、その方の背景に映っている仏花が、あきらかに化学処理したものだった!あの大きさなら一つ数万円ぐらいするはず・・・・う~ん。「偽物の僧侶」を厳しく批判している人が・・・・となんだか気になった。

 そここだわるとこ・・・・じゃないかもしれないが。

 

兵士の子供たちの体験を記録しよう:終戦の日に

 昨日、8月15日は81回目の「終戦の日」でした。

 日本が「戦争の出来る国」に後戻りしようとしている今、戦争体験を語り継ぐ大切さはさらに増していると思います。

 実際の体験者は年々減少していますが、これからは「兵士の子供たち」の体験も急いで記録していく必要があるとおもいます。

 

 戦争のPTSDについては、ベトナム戦争後のアメリカで研究が始まったと聞いています。ベトナムへ派遣された兵士たちが抱えている心身の「傷」が、アメリカ社会全体に深刻な影響を与えているとされています。

 戦時体験が体験者本人だけでなく、その周辺の人々にも大きな影響を与えることも知られています。

 

 私の父はインドネシアに派遣された下級将校でした。戦後、長い間抑留された後に帰国して母に出会いました。

 子供の頃、私は父の笑い顔を見たことがありませんでした。なんだか、「自分は家族に囲まれて幸せになって良いのか・・・」と思っているのではないかと感じていました。

 ある年、父の実家で出征前の父の写真を見ましたが、どの写真の中の父は大きな口をあけて笑っているのです。祖母は「正男は笑い上戸だからねぇ」と言っていて、私はかなりショックを受けました。

 父は暴力をふるうわけでもなく、深い鬱状態でもなく、一般的なPTSDの症状を示していたわけではありませんが、やはり戦争の深い傷を抱えて生きていたのだと思います。

 そうした父が、家族に影響を及ぼさないわけはありません。母は、どうしても心を開いてくれない夫の存在に苦しんだし、私たち子供も父を理解できないことに苦しみました。

 戦争の影響は体験者本人だけでなく、その周辺の人々にも深く突き刺さっているはずです。

 PTSDを抱えた兵士たちの子供たちも、すでに老齢を迎えています。「兵士の子供たち」の体験もぜひ語り継いでいきたいものです。急いで!

今月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は8月30日に行います。テーマは「ご先祖とのお付き合いの仕方」です。

 慈雲寺では、毎月、身近な話題を取り上げて仏教のものの見方や考え方の基本を学ぶ会を催しています。どなたにも解りやすいお話を心がけており、どなたでも歓迎いたしますので、どうぞお気軽にご参加ください。

 

 この「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、原則として毎月第三日曜日の10時から行っています。

 しかし、今月はお盆などの事情もあり、8月30日の10時より行います。

 今月のテーマは「ご先祖とのお付き合いの仕方」です。葬儀をはじめ、法事、お盆、お彼岸など、ご先祖との「おつきあい」の宗教慣習は一年のうちに何度もあります。

 ご先祖とのおだやかで実りの多いお付き合いのしかたをご一緒に学んでみましょう。

 

◎慈雲寺へのアクセス 

 お車でおいでの方は、国道23号線の有松インターで降りて北上してください。カーナビに慈雲寺の電話(052-621-4045)を入力してすれば探しやすいでしょう。住所は「名古屋市緑区桶狭間上ノ山725」です。 
 しかし、慈雲寺には十分な駐車場がありません。できるだけ公共交通をご利用下さいませ。 
 もし、慈雲寺の駐車場が満車の時は、庫裏にお声がけください。近所の無料駐車場をご案内します。 
 有松インターの出口付近に有松ジャンボリーという大きなショッピングセンターがあります。その駐車場に駐車させていただくのがおすすめです。駐車場から慈雲寺までは北へ徒歩5分。有松歯科医院の看板のある坂道を入るとお寺の屋根が見えます。 
 バスは、大高駅南大高駅、有松駅、鳴子北駅などから市バスが出ています。郷前(ごうまえ)というバス停で下車し、郷前の交差点まで1分ほど歩いてください。交差点南東側にお蕎麦屋さんがあり、その後ろに見える大きな屋根が慈雲寺です。お蕎麦 さんの右側に細い道がありますので、そこを通ってお寺においでください。 
 なお、バスの時刻表は、名古屋市交通局の時刻表をご参照下さい。https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/bus/timetable.htm