昨日、一昨日と吉野へ行ってきました。金峯山寺の蔵王権現さまの特別御開帳を拝みにでかけたのです。予想をはるかに超える迫力。まさに「憤怒」という言葉がそのまま巨大化したようなお姿です。お釈迦様がこんなお姿に変化して私たちの苦しみを蹴散らしてくださるのだと思うと、なんだか嬉しい・・・と、思いながら吉野宮の跡地や仏舎利塔(このお寺にはガンジー首相から贈られたお釈迦様の御真骨があると聞いていたので、仏舎利がどんな風にお祀りしてあるのか気になりました)などを拝みながら、秘仏にご縁をいただいた喜びにニコニコ。咲き残りの山桜に見とれたり・・・
と、「脳天大神」への参道を見つけました。この神様は、首から上の悩みに特化した蔵王権現さまの化身。神仏混交の信仰の象徴のように、真言を称えて仏様への拝み方でも良いし、柏手を打って参拝しても良いという神様です。首から上のことでは悩みの多い私ですから、さっそく参道をたどってみました。急な階段をどんどんどんどん・・・どんどんどんどん降りていきます。狭い谷底の川の上に拝殿が立てられていました。ここは以前、吉野山が厳しい女人禁制の行場(今でも、女人禁制の地域は残されています)だったとき、女性の行場だったところだそうです。
初老のご夫婦らしき方が川の上に建てられたお百度参りのための建物の中を熱心に行き来していました。受験のお願いに来る方が多いとききましたが、時期的にも、お参りなさっている方の年齢てきにも違うでしょう。根拠はありませんが、ご両親の認知症では・・・と思いました。
さて、お参りが終わってから、またあの階段を上って蔵王堂に戻るのは本当に大変でしょう。お堂の前に舗装された細い道がありました。「これをたどっていけば、元の道に合流できるのでは?」とすたすたと歩き始めました。道は緩やかな坂道を下っていきます。少し考えれば、あれだけの急斜面を降りてきたのですから、下り坂をたどって元の境内に戻れるわけがありませんね・・・でも、その時は楽に戻れることばかり考えていました。
その結果・・・道はもとに戻ることなく、違う方向へどんどん下がっていきます。トトロの物語に出てきそうな小さな集落をいくつも通って(それはそれでおもしろかったですが・・・)いつまでたっても電車やバスが通ってそうな道には出ませんでした。
食事をする場所もコンビニもなく、ひたすらトボトボ・・・とうとう10キロ近く歩いて電車の線路が見えてきました。泣き・・・
脳天さんのすぐ近くで、道を間違えたようです。お参りに来ているのに、楽をしようと思ったところで、蔵王権現様のお叱りを受けたのかもしれません。
今日は痛い膝にシップをはっておとなしくしています。