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慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

10月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は10月23日(日曜)10時より行います。テーマは「般若心経入門その1」。般若心経の基本的な知識を二回に分けて御一緒に学びましょう。

お位牌やお仏壇、お墓は極楽を見渡す「窓」

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 僧侶は読経や儀式に関する研究をする法事師、お説教を通じての布教を専門にする説教師など、いくつかの専門分野に分かれています。もちろん、すべての分野にバランスよく通じているのが一番良いのですが、やはり向き不向きがあります。私は説教師の道を少しずつですが歩き始めています。

 そのため、ほかの僧侶の方の法話やお説教を聞かせていただく機会があれば、宗派にかかわらず出かけていきます。毎週火曜に中日新聞の文化欄には、そうした宗教関連の行事案内が出ています。

 さて、昨日は知人の僧侶がお説教をするというので、電車に乗って出かけました。以前からの知り合いですが、お説教を聞くのは初めて。とてもまじめな青年僧なので、楽しみにしました。

 その青年僧はゆっくりとした口調で、今まで家族にも語ったことがないという辛い経験を話してくれました。東日本大震災の時に、その青年僧の友人が津波に流されて亡くなったというのです。その友人は、いったん家族を避難所に連れて行ったあと、自宅の仏壇にあったお位牌を取りに行って、津波に巻き込まれたらしいのです。

 青年僧は、その友人にお位牌の大切さを説き、それ以来、友人は亡くなられた人の魂が位牌の中にこもっているものとして大切にしてきました。それで、どうしても位牌を避難させたかったのでしょう。青年僧は、自分が友人に説いたことが、友人の死につながったのではと、ずいぶん苦しんだそうです。

 この話は、私の心にも重いものを残しました。仏壇やお位牌、お墓、そしてお寺を守っていくことの大切さを私たち僧侶はいつもみなさんに説いています。自分の身に危険が迫っているときに、「お位牌を流すわけにはいかない!」と思った信仰深い青年の気持ちに、私たちはどう答えれば良いのでしょうか?難しい問題です。

 私はお位牌や仏壇、お墓は「窓」のようなものだと思っています。仏さまも、お浄土で菩薩となっているご先祖も、皆、神通力がありますから、私たちがその人を偲ぶとき、必ずその思いに寄り添ってくだざいます。ですから、場所や物は本質的には関係がないのです。どこでも太陽の光が届くようなものです。

 しかし、しばしば私たちの心は四方を壁で覆われた部屋の中に閉じこもってしまいます。外にはきれいな青空が広がり、お日様の光が満ちているのに、暗い、暗いと悲しんでいるようなものです。

 そんなとき、カーテンを開け、窓を大きく開けば、光は部屋の中いっぱいに入ってきます。お仏壇をきれいにし、お位牌を大切にしてお供えをすることや、お墓にお参りする、本堂にお参りして阿弥陀様に手を合わせる・・・・これらのことは、私たちが散乱しがちな心を落ち着け、思いをこめる手段です。それは、カーテンを開け、窓を開けるようなものなのです。

 仏壇に手を合わせ、仏さまを拝み、お位牌に手を合わせて祖先の御恩を偲ぶとき、心が落ち着き、穏やかな気持ちになることでしょう。お寺の本堂で静かに手を合わせるのも生活の大切な一部にしたいものです。

 しかし、それはあくまでも「窓」。本当の大空はその向こうにあることを忘れないでください。窓ガラスを磨けば、空もよく見えますが、ガラス磨きばかりに夢中になっていると、せっかく美しい雲が流れているのを見落としてしまいます。

 本当に大切なものは何なのか、それを考えていくのが仏教徒の生き方です。

◎今日の写真はカナダのニューファンドランド島の森の中で見た花です。なんだか幻のような透明感がありました。

 

彼岸明けは青空

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 お彼岸の間、毎日のように雨でした。今朝、久しぶりに朝日が目に入って目が覚めました。本当は太陽が昇る時には朝の読経を終えてなければいけないので、僧侶としては完全に寝坊・・・でも、こんな風にお日様と青空に起こされて目が覚めるのはいいですね。

 今日は彼岸の明けです。お浄土へ迎え取ってもらうために、六波羅蜜という六種類の基本的な修行について改めて考えるのがお彼岸の7日間です。しかし、法然源空上人(法然上人)は、末法に生きる凡夫の私たちには、六波羅蜜の修行をすることのできるひとはほとんど皆無。そんな私たちに代って、彼岸(お浄土)へ行くために必要な修行と懺悔の全てをしてくださったのが阿弥陀仏です。

 私たちは阿弥陀仏の深いお慈悲を喜んで、素直にお念仏をすれば良いのです。お念仏をする「から」救われるのではなく、すべてをお任せできる喜びのあまり、口からこぼれ出てくるのがお念仏です。

 その喜びと感謝を表現するために、自分のできる範囲で六波羅蜜に示された行いをして行きましょう。六波羅蜜をするから救われるのではなく、より苦しみ少なく生きるためにお釈迦さまがお示しになった道と考えてみましょう。

 六波羅蜜の詳しいお話しは、また別の機会にしますが、六種類の修行の最初に示されているのが、「布施」です。お寺にお供えするお金や物だけが布施ではありません。笑顔ややさしい言葉、ほかの人のためになることをする、座席をゆずるのも布施なのです。

 今日はお彼岸の最終日です。彼岸明けにお墓参りをする習慣のある地方も多いことでしょう。お墓にお参りしたら、ぜひ本堂にもお参りしてくださいね。

◎今日の写真は、カナダの最東端にあるニューファンドランド州で見た野バラです。

廃屋と化す寺院の記事を読んで

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 今朝、中日新聞の社会面を開いたら、いきなり胸がつぶれそうになりました。住職の跡継ぎが見つからず、廃屋になっている寺院の大きな写真が出ていたのです。記事によれば、「住職のいない寺」は全寺院の二割にもなるそうです。地域によっては二割では済まないのでは?

 一つの寺院の住職が、住職不在になった別のお寺の住職を「兼務」することもめずらしくありません。いったん兼務寺院になってしまえば、普段住職がいないお寺の方が衰退していくのは避けられないでしょう。さらに、以前、このブログにも何回か書きましたが、女性が発心しても出家の道がなかなか開けない現状では、尼僧寺院の跡継ぎ問題はさらに深刻です。つい最近も、尼僧を育てる寺として有名だった尼寺のご住職が跡継ぎのないまま亡くなり、別のお寺の男性のご住職が兼務することになりました。尾張三河に江戸時代から続いていた尼僧寺院の伝統の灯りが一つ消えたのです。

 都市への人口集中で過疎地となっている場所のお寺もあるでしょう。自分の家の旦那寺も知らないという人も増えています。仏教徒のご縁はお葬式の時だけ、それも格安の僧侶派遣に頼んで、その後のつながりはなし。法事も三回忌まで勤めれば、次のことは知らずじまい・・・・ 寺院が廃屋となるにはさまざまな理由があるでしょうが、寺院側、僧侶の側に大きな問題があると私は思っています。寺院や僧侶にとって、檀信徒のご先祖の御供養や大切な役割ですが、それ以上に、宗教には「いかに苦しみ少なく、穏やかに生きていくか」という、生きる智慧としての役割があります。お寺は生きているうちにご縁を深めていただくのが最重要。葬式や法事はその延長上にあるものです。

 僧侶にとって、弟子を育てるのは大切な修行の一つ。自分の子供に「押し付ける」ようなものではありません。とりわけ尼僧寺院は、尼僧として生きることの喜びをもっと知ってもらうように努力すべきだと思います。

 このことは私にも他人事ではありません。私の尼僧としての暮らしぶり、生き方を見て、「お坊さんとして生きてみたい」と思う人が出てくるように精進しなければいけませんね。う~~~ん・・・難しいなぁ。

◎今日の写真は京都の寺町で見たマニ車です。この車を回すとお経を読んだのと同じ功徳があるとか・・・・怠け者の私にぴったり??

雨の彼岸会

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 今日はお彼岸のお中日。秋分の日です。昨日から激しい雨が続いていました。せっかく太陽が真東から出て真西に沈む特別な日なのに残念です。極楽は西にある「西方浄土」ですから、秋分の日、春分の日は、太陽が沈むところの彼方にお浄土があるのだなぁ・・・とイメージを膨らませることができるわけなのですが。

 お中日に、お彼岸の法要と「当麻曼荼羅」の簡単な解説をしますと皆さまにご案内していました。でも、あんなに激しい雨がふるのですから・・・今日は一人でお経をあげて御供養することになるのかな?と思っていました。

 しかし!なんと、10人ほどの方が集まってくださいました。とても嬉しく思いました。お位牌を持って来て下さった方もいらっしゃいます。お宅にお参りに行けない場合は、このようにお寺にお位牌をお持ちいただいて供養させていただくのも歓迎です。

 法要の後は、お彼岸の期間中、御開帳をしている『当麻曼荼羅』の前に移動していただき、絵解きをしながらお話ししました。

 『当麻曼荼羅』は、『観無量寿経』に説かれた物語を絵に表した変相図です。オリジナルは織物で、奈良の当麻寺に伝えられたものです。この当麻寺曼荼羅は、中国の浄土大成者である善導大師が『観無量寿経』を注釈した『観経疏』に基づいて描かれています。

 慈雲寺が属する浄土宗西山派西山浄土宗)の僧侶たちは、この『当麻曼荼羅』の複製をたくさん作り、それを使って布教をしてきました。私も、慈雲寺にせっかく『当麻曼荼羅』の複製があるのですから、これを使って布教をさせていただきたいと思い、昨年から御開帳をしています。

 まだまだ、「曼荼羅を駆使して」お説教をするという段階には遠いのですが、これからも少しずつ精進して、お念仏の教えを皆さまに受け止めやすくしていただけるようになりたいと願っています。

 「当麻曼荼羅」は25日まで御開帳していますので、ぜひご縁をいただいてください。拡大鏡も用意してありますので、お近くに寄って、極楽の詳細な描写をご覧ください。

◎今日の写真は、京都の寺町にある寅薬師さんです。気を付けていないと見落としてしまうような入り口ですが、寅年の人の守り本尊として信仰を集めています。

知的好奇心いっぱいなシニアは地域の活力!

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 昨日は嬉しいことがたくさんあった日です。心がワクワクし過ぎたせいか、9時頃には眠くなってしまったほど!

 まず、お彼岸やお祥月命日には必ず連絡をくださって、「お寺に伺えなくて残念ですが、お布施を振り込ませていただきますので、お経をあげてください。」とおっしゃるHさんが、御主人と一緒にお寺にお参りにきてくださいました。お嬢様に連れられてんなのですが、仲の良いご夫婦、親子という感じが、互いをいたわる雰囲気から伝わってきます。私も心を込めてお彼岸の御供養をさせていただきました。

 読経のあと、少しお彼岸についてのお話しをさせていただいている間に、鯱城学園の方々がいらっしゃいました。鯱城学園は、名古屋市が運営しているシニアの社会参加プログラムの一つです。歴史や文化を学ぶ教室を始め、環境問題や高齢化社会の問題などにも取り組んでいます。名古屋市のねらいは、こうしたことに関心の高い、「知的好奇心旺盛」で、社会活動にも取り組む意欲がある人を見つけ、育むことにあるのではないでしょうか?そうだとしたら、どうやら成功しているように思えます。

 昨日おいでになったのは、この鯱城学園の卒業生がそれぞれの地域で「同窓生活動」をなさっているものの一つのようです。40人あまりの方々が来てくださいました。

私は、慈雲寺の歴史や建物の由来などをご説明し、美濃、尾張三河になぜ尼僧寺院が多いのかということや、尼僧寺院ならではの「地域の癒し」の役割についての私の思いもお話しさせていただきました。

 また、慈雲寺の建物は明治の名工、小野田又造の代表作であり、小さな寺院としては破格の費用を投入して作られたものであることにも少し触れました。地域の人々の心のよりどころとしてばかりでなく、有松周辺の観光資源としても貴重な建造物であることをお知らせしたかったのです。

 Hご家族もお話しを聞いてくださり、「自分たちのお寺について、深く知ることができて良かった」と喜んでくださいました。

 お寺は「地域の宝」であるべきで、その価値を広く知ってもらうことは住職である私の役目です。また、この「宝」の意味は、単に「立派な建物、歴史的な建物」というのではなく、人々の「心の拠り所」としての価値が第一だと思います。これこそ、僧侶の役割でしょう。

 慈雲寺の歴史や建物に関する簡単なパンフレットを本堂前に用意いたしました。お読みになっていただけるとありがたいです。

 う~ん・・・・前から「作ります!」と約束だけし続けている慈雲寺のホームページを作らなければいけませんね。

〇今日の写真は、カナダのバンクーバーにあるクィーン・エリザベス公園のカフェです。車いすでも無理なく出入りできるよう、細かい配慮がしてあります。

お墓参りには、まず本堂へ

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 今日の写真は、奈良の当麻寺の当麻曼荼羅の復元写真です。オリジナルは国宝ですが、今はほとんど真っ黒で肉眼ではなかなか見ることが難しいのです。

 慈雲寺が属する浄土宗西山派西山浄土宗)は、この曼荼羅曼陀羅)を使って布教する伝統があります。慈雲寺でお彼岸中、御開帳している当麻曼荼羅は、オリジナルの四分の一の大きさです。『観無量寿経』というお経に説かれた極楽の様子が微細に描かれていますので、ぜひご縁を結んでください。拡大鏡も用意していますので、ぜひお近くに寄って細部までご覧ください。

 なお、22日のお彼岸の中日の10時からは、彼岸法要を行います。慈雲寺が属する浄土宗西山派西山浄土宗)の法要の仕方でいたしますが、どの宗派の方、どこの檀家さまでも、また今までどのお寺とご縁の無かった方も、ご遠慮なくご参加ください

 この御開帳は春と秋のお彼岸の時に行っています。お彼岸の時にお墓参りにいらっしゃる方は多いのに、本堂の阿弥陀様にお参りして下さる方が少ないように感じられたので、この曼荼羅をきっかけに、本堂へ上がってくださる方が一人でも増えればと思ったのです。

 このブログにも書きましたが、お彼岸は、この苦しみ多い世界からお浄土へ渡るには、どのようにすれば良いのかということを考えるための宗教行事です。こちら側からは何も用意する必要はなく、すべて阿弥陀様のお慈悲にお任せする、絶対他力の救いに気が付くための、チャンスなのです。

 ぜひ本堂で阿弥陀様に手を合わせ、当麻曼荼羅とご縁を結んでください。

 子孫ができるだけ穏やかで苦しみ少ない生き方をしていることが、なによりのご先祖への御供養なのです。

今日から「当麻曼荼羅」の御開帳

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 今日は早朝から激しい雨が降っていたので、「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」を聞きに来てくださる方々のお足元が心配でした。しかし、お昼前には一時雨もやみ、涼しい風が吹いていました。そして今、また雨・・・講座の間は阿弥陀様が手を広げて雨を防いでくださったのかも??

 ところで、昨日、一枚のはがきが届きました。「講座に参加したいけれど行かれません。お彼岸についての経典などがあったら送ってください。」という内容でした。おそらくお年を召した方が一字一字一生懸命書いてくださったようです。はがきの宛先の住所が中日新聞に載ったもののまま(地番が書いていない)でしたので、新聞を読んで興味を持ってくださったようです。お彼岸の迎え方について、どうしても知りたいという気持ちが伝わってきました。残念ながら、お彼岸は日本独自の宗教行事で、根拠となる明らかな経典があるわけではありませ。しかし、何かの参考にしていただけるものを早速送らせていただきましょう。

 さて、今日から彼岸明けの25日まで、『当麻曼荼羅』の御開帳をしています。この曼荼羅のオリジナルは奈良の当麻寺にあり、国宝です。曼荼羅に描かれているのは、『観無量寿経』というお経に説かれた極楽の様子です。すぐ近くで拝んでいただけますので、ぜひご縁を結んでください。

 本堂の扉が開いている間は、ご自由にお参りください。法務などで、本堂が閉まっていることがありますが、その場合はどうぞお許しくださいませ。

 なお、22日のお彼岸の中日の10時からは、彼岸法要を行います。慈雲寺が属する浄土宗西山派西山浄土宗)の法要の仕方でいたしますが、どの宗派の方、どこの檀家さまでも、また今までどのお寺とご縁の無かった方も、ご遠慮なくご参加ください。

 その時に、『当麻曼荼羅』の解説もいたします。

◎今日の写真は、カナダの西海岸の先住民が描いた蛸とシャチ(?)の戦いの絵です。なかなか迫力がありますね。