慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

10月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は10月20日(日)10時より行います。テーマは「巡礼」。巡礼の歴史や意義、その功徳などについてご一緒に学んでみましょう。どなたでもお気軽にご参加ください。

今月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は10月20日です。テーマは「巡礼」をとりあげます。

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 先日の台風で被害に遇われた方もおいでかと思います。お見舞い申し上げます。

私は狩野川台風の時に、床上浸水を経験していますので、。東京や神奈川に知り合いが多いので、ニュースで危険地域を知らせる地図が広がるにつれて眠れぬ夜を過ごしました。

 幸い、慈雲寺は雨漏りもすることなく、古い屋根瓦が頑張ってくれたので、ホッとしています。

 

 さて、慈雲寺では毎月、身近な話題から「仏教のものの見方、考え方」をご一緒に学んでいこうという会を催しています。

 「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」という名前です。講座とついていますが、どなたでもお気軽に参加していただけます。

 今月は10月20日(日)10時より行います。テーマは「巡礼の意義と功徳」です。

 今日、冒頭に掲げた写真は、ネットの無料画像からお借りしたメッカの巡礼の様子です。イスラム教徒にとっては、一生に一度は行きたいところですね。

 巡礼は世界中の宗教で大切な「修行」の一つと考えられています。仏教でも、お釈迦さまの生誕地や悟りを開かれた場所などの聖地巡りを始め、四国八十八カ所、西国三十三観音巡礼など、たくさんの巡礼地があります。

 巡礼とは何をするものなのか?なぜ巡礼が尊い修行と考えられているのか・・・など、巡礼に関連したさまざまなことをご一緒に学んでみましょう。

 どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加下さい。

◎慈雲寺への交通アクセス

 申し訳ありませんが、慈雲寺には十分な駐車場がありません。なるべく公共交通を使っておいでくださいませ。近くの有松ジャンボリーSCに大きな駐車場があり、無料で駐車できます。そこからお寺まで、北へ徒歩5分。
 ★鉄道、バスのアクセス
 名鉄有松駅前から、「有松12番 有松町口無池行き 地蔵池経由」に乗ってください。日曜の9時台は二番乗り場から9時07分と36分に発車します。これらのバスに乗り、郷前(ごうまえ)の停留所でお降りください。そのまま道なりに進むと郷前の交差点に出ます。角に鍼灸院があり、その右手の細い坂道を上がると慈雲寺の屋根が見えてきます。
   また、時間はかかりますが、地下鉄の鳴子北駅から出ている「鳴子13番」のバスも郷前に停まります。日曜は8時45分に鳴子北駅からバスが出ます。
●栄のバスターミナルからは森の里団地行きのバスが一時間に一本出ています。この場合は、郷前の停留所から道を戻って郷前の交差点に行ってください。日曜は8時50分発があります。所要時間は約50分
●JRの大高駅から緑循環バスの名鉄有松行で郷前に行くことができます。日曜は8時44分と9時44分に出発します。9時台のバスですと10時の開始時間には少し遅れますが、あわてずにおいでください。
●また、同じ緑循環バスの名鉄有松行は南大高駅東にも停車します。9時9分発と10時9分発です。
●JRの共和駅からタクシーで5分。市バスはありません

 

 

 

父の遺骨を迎えに東京へ Part1

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 93歳でお浄土へ行った父は、60代の頃にすでに死亡時の献体を決めていました。「戦場に部下を何人も置き去りにしてしまった自分に、葬式をしてもらう権利はない」と思っていたようです。戦争末期に、ろくな経験も積まないうちに小隊長になった自分の不適切な指令で、何人もの部下を失ったと自分を責めていたようです。

 私が僧侶になった時には、すでに父は「葬式はいらない」という状態だったのですが、私はやはり父に仏教徒になってもらい、お浄土で「親子」として会いたいという気持ちが強く、父の末期にはさまざまな葛藤がありました。

 父の意思どおり、遺体はすぐに医大に運ばれ、私たちは通常の葬儀はせず、親族だけで「偲ぶ会」のようなものをしました。

 葬儀というものに関して、私は僧侶としての自分と、親の意思を知る娘としての自分の思いを整理するのが難しく、まだ心の整理がついたとは言えません。

 「資格」という面では、私は引導を渡し、正式な葬儀を行うことのできる僧侶ですから、儀式という面では通常の葬儀とほぼ同じことを母と二人で行ったのですが・・・・

 父の遺体を医大に預けてから2年半、役目を終えたので遺骨を引き取りに来るようにとの知らせを受けました。

 私は、遺骨が戻ることによって、母の哀しみがより深くなってしまうのではと危惧していましたが、母は「遺骨が帰ってくるのは嬉しいと素直に喜んでいたのも、私にとっては色々と考えさせれました。

 私は浄土宗西山派西山浄土宗)の僧侶ですから、引導を渡した時点で亡くなった人はお浄土に迎え取られていると信じています。西山派では、「全ての衆生を救う」という阿弥陀仏の願いを聴かせてもらい、「ああ、そうだったのか」と了解(りょうげ)した時点で、私たちはすでに極楽の蓮の葉の上にいると教えています。

 ですから、「遺骨」にこだわるのは、教えとはそぐわない・・・はずなのですが・・・娘として「父の遺骨」を迎えに行くということは、今まで経験したことのない特別な気持ちでした。(つづく)

◎今日の写真は、カナダの西海岸にあるスプリング島の港です。

 

「ポケベル」ですら、見送りたい人がいる Part2

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 9月30日でサービスが終了となったポケベル。それを悼む「ポケベル葬」が行われ、祭壇に手を合わせる人の写真が新聞に掲載されていました。

 葬儀は近親者だけで、できるだけ簡単に・・・と思う人が多いとされている一方で、「ポケベル」に手を合わせ見送りたいという人もいる・・・もちろん、面白半分に手を合わせている人がほとんどでしょうが。しかし、ポケベルにまつわる数多くの思いでを偲んだ人もいるはずです。

 葬儀は、一人の人間が生きた証を「思い出す」場です。たくさんのことを思い出す、思い出を心に残すことが、何よりの供養になるのです。

 上の写真は、最近新聞の折り込み広告に入っていた、ある葬儀会館の宣伝チラシです。

 キャッチコピーは「母のこと、これからも話せる人がこんなにいる。会葬で知ることができました。」というものです。

 イラストには、家族だけでなく、ご近所の人たち、同窓会の仲間、仕事の元同僚など、個人のさまざまな人間関係が示されています。

 この葬儀会館は、どうやら「小規模で安い葬儀」を前面に出すことに限界を感じているのかもしれません。

 葬儀を「こんなにも愛されていたことを実感できる」場としてとらえなおして欲しいとアッピールしています。

 葬儀会館の商売としての意図はわかりませんが、私も「故人を思い出してくれる人の多さを実感することは、残された人間にとって、とても深い慰めになる」という視点は賛成です。

 このことは、葬儀社ではなく、宗教家がもっときちんとアッピールしていくべきものです。葬儀だけでなく、法事やお墓を維持することで、どれほど心が安らぎ、人生の豊かさにつながるかを僧侶が説いていくことが大切だと思います。

 私も二年前に父を見送りましたが、父の部下たちが「職場での父」について語った手紙をいただいて、本当に嬉しくおもいました。直接、その方々から聞くことができたら、なお嬉しかったでしょう。通夜や葬儀がそういう場であって欲しいと思っています。

 そうなるための僧侶の役割について、もっと深く考え、しっかり実践していきたいです。

 

ポケベルですら「見送りたい」人がいる Part 1

www.asahi.com

 明日、9月30日で50年続いたポケベルのサービスが終了するそうです。上の朝日新聞の記事は、東京都の葬祭業協同組合の人が主催した「みんなのポケベル葬」の様子です。

 私は以前から、人形供養とか針塚とか、人間以外の「物」を供養しようとする日本人の感覚をとても興味深く思っています。人がさまざまな思いをこめて使っていたものには「たましい」が宿るというのは、日本人に流れている深い宗教意識の一つでしょう。

 私はポケベルを持ったことはありませんが、電話やパソコンなどの通信機器には、持ち主のさまざまな思い出が蓄積されていきます。ポケベルも同じでしょう。数字に略語的な意味を持たせるポケベル独自の「会話」も日本人らしいと思います。

 人間の葬儀が「家族葬」という口当たりの良い言葉で、極端に簡略化され、亡くなった方の人生を語り継ぐ機会が失われています。派手な葬儀は不要ですが、葬儀のお知らせはできるだけ多くの方にするべきではないでしょうか?

 家族の知らない、「故人の姿」「故人の人生」が見えてくるはずです。それは、残された家族にとって、大きな慰めになることでしょう。(つづく)

トーマス・クック社の倒産に思う・・・諸行無常

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 上の写真は1888年に出版されたトーマス・クックの時刻表です。クックは近代的な旅行ガイド本を初めて書いた人と言われています。もちろん、江戸時代にも伊勢参り東海道の「道中」のハンドブックのような本は日本にもありましたが・・・

 一般の人が、ガイド本を持って、レジャーとしての「旅」に行くという時代を開いたのがクックだったのです。彼が「団体旅行」というコンセプトを作り、旅行代理店の業務というものの基本を作ったと言って良いでしょう。

 私も旅行ガイド本を書いて数十年ご飯を食べていたので、クックは大切な恩人と思っています。トーマス・クックのトラベラーズチェックを持ってヨーロッパを旅した興奮も思い出しました。

 トーマス・クック社破産のニュースは、正に諸行無常・・・新しい時代を開いた会社が、時代の動きに適切な反応ができなくなっていったということでしょう。

 飛行機やホテルの手配の手数料で旅行会社が儲ける時代はすでに終わっていますが、計画や準備をプロにまかせて、ゆったり旅行をしたいという人々はけしてなくならないでしょう。むしろ、今こそ旅行会社が工夫をこらした旅を提供する腕の見せ所にきていると思います。

 値段の安さだけで競争していては、結局「自分でネットでやった方が安い」に勝てないでしょう。でも、旅行会社にどれだけの知識とアイディアの蓄積があるかが問題です。

 まあ、お寺も同じ。檀家さんたちの「ご先祖への思い」だけに頼っていては寺離れが進むのを止めることはできないでしょう。

 人々の心の奥にある本当の苦しみ・・・お金や病気直しだけでは解決しない苦しみ・・・に仏教がどう寄り添えるかが問題だと思います。

 しかし、今日もだらだらしている慈雲寺の坊主は偉そうなことは言えないけど・・・

 

 

10月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は巡礼についてお話します。

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 慈雲寺では、毎月一回、身近な話題から仏教の考え方、ものの見方を学ぶ会を催しています。来月は「巡礼」をテーマにご一緒に学んでみたいと思います。

 日本では四国八十八ヶ所霊場巡りをはじめ、西国三十三観音巡礼、など各地に巡礼ルートがありますが、イスラム教のメッカ巡礼、キリスト教エルサレム巡礼、仏跡巡礼など、世界中の宗教に「聖地を巡る巡礼」の慣習があります。

 最近は「アニメの聖地巡り」なんていうのも、宗教的と言ってよいほどの情熱で巡る人がたくさんいると聞いています。

 上の写真はインターネットの無料画像からお借りしたもので、四国八十八ヶ所のお砂を集めた、お砂踏みです。四国を巡礼したのと同じ功徳があると言われています。なんだかとても日本的な気がします。こんな風な「簡易版」の巡礼があるのも面白いですね。

 10月の講座では、この巡礼をとりあげて、その歴史や意義、功徳などについてご一緒に学んでみましょう。

 10月の講座は10月20日(日)10時より行います。

「講座」という名前はついていますが、どなたでもお気軽にご参加いただける内容です。

 

お彼岸中の慈雲寺

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 上の写真は奈良の當麻寺に伝わる曼荼羅の写しです。中央に描かれているのは、『観無量寿経』の中に説かれている極楽の様子を描いたものです。

 ありがたいことに、慈雲寺にもこの当麻曼荼羅の写しが伝わっています。本物の八分の一のものですが、それでも大きい!

 お彼岸中は、この当麻曼荼羅を御開帳いたします。拡大鏡もご用意いたしますので、お近くによってじっくりご覧になり、極楽世界とそこにおられる阿弥陀仏とのご縁を深めてください。

 お彼岸中も、いつものように本堂を開け、茶菓をご用意しております。どうぞご遠慮なく本堂にお入りになり、阿弥陀様や弘法大師さまと、ゆっくり向かい合い、お慈悲の光を受け止めて下さい。

 慈雲寺は皆のお寺です。どうぞどなたでもお気軽にお参りください。

 

◎お彼岸中の行事

1)9月21日10時より  お彼岸の合同法要

 お彼岸は、ご先祖の御恩に感謝し、この世にいる間にも極楽にいるような穏やかな心持で過ごすためのさまざまな智慧や心構えについて改めて考える期間です。

 一切の条件をつけずに私たちを極楽に迎え取って下さる阿弥陀仏のお慈悲を思いながら、ご一緒お参りなさいませんか?

 慈雲寺にお墓をお持ちの方にはご案内を差し上げましたが、どなたでも歓迎いたします。

 茶菓をご用意するぐらいで、十分なお接待はできませんが、どうぞ平服でお気軽にご参加ください。

2)9月22日(日)10時より 「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」

 慈雲寺では、毎月、身近なテーマから仏教というものの見方、考え方についてご一緒に学んでいます。「講座」というタイトルはついていますが、どなたでもお気軽にご参加いただける内容です。

 今回はお彼岸に期間中ですので、「彼岸」とはいったいどんなところだと、私たち日本人は考えてきたのか、「極楽」とはどのようなところなのかについて、ご一緒に学んでみましょう。