慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

2月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、2月17日(日)10時より行います。テーマは「”悟り“とは何を悟ることなのか?」です。仏教が何を目指しているのか、ご一緒に改めて考えてみましょう。どなたでもお気軽にご参加下さいませ。

明日(2月17日)は「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」を催します。

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 お釈迦様は、それぞれの人の性格や能力、そして環境など、さまざまな状況の違いに応じて八万四千種類の「悟りへ至る道筋」をお示しになったと言われています。

 仏教は明確な目的をもって修行を続けていく宗教です。その目的とは完全な苦の解決、平安です。「悟り」とは、いったい何を悟ることなのか、あらためてご一緒に考えてみましょう。

 2月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、2月17日(日)10時より行います。

 「講座」という名前はついていますが、どなたでもお気軽に参加していただけるお話の会です。会の後は、皆でお茶を飲みながらお話する場でもあります。ぜひお立ち寄りください。

◎慈雲寺への交通アクセス

 申し訳ありませんが、慈雲寺には十分な駐車場がありません。なるべく公共交通を使っておいでくださいませ。近くの有松ジャンボリーSCに大きな駐車場があり、無料で駐車できます。そこからお寺まで、北へ徒歩5分。
 ★鉄道、バスのアクセス
 名鉄有松駅前から、「有松12番 有松町口無池行き 地蔵池経由」に乗ってください。日曜の9時台は二番乗り場から9時07分と36分に発車します。これらのバスに乗り、郷前(ごうまえ)の停留所でお降りください。そのまま道なりに進むと郷前の交差点に出ます。角に鍼灸院があり、その右手の細い坂道を上がると慈雲寺の屋根が見えてきます。
   また、時間はかかりますが、地下鉄の鳴子北駅から出ている「鳴子13番」のバスも郷前に停まります。日曜は8時45分に鳴子北駅からバスが出ます。
●栄のバスターミナルからは森の里団地行きのバスが一時間に一本出ています。この場合は、郷前の停留所から道を戻って郷前の交差点に行ってください。日曜は8時50分発があります。所要時間は約50分
●JRの大高駅から緑循環バスの名鉄有松行で郷前に行くことができます。日曜は8時44分と9時44分に出発します。9時台のバスですと10時の開始時間には少し遅れますが、あわてずにおいでください。
●また、同じ緑循環バスの名鉄有松行は南大高駅東にも停車します。9時9分発と10時9分発です。
●JRの共和駅からタクシーで5分。市バスはありません

◎今日の写真は阿弥陀様が凡夫を極楽へ迎え取るために娑婆へ降りてきて下さる「来迎」の様子を表した絵です。

身近な人こそ、よく見ることが大切 -子供のうつ病を見逃さないで・・・

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 先日、新聞の折り込み広告に製薬会社が、子供のうつ病治療薬の治験者を探しているというものがありました。

 そのキャッチコピーは「気づいてあげて。こどものうつ」というものでした。この広告全体に流れているのは、「あなたは知らないかもしれませんが、子供もうつ病になることがありますよ。」というメッセージのように感じました。

 私が長く住んでいたカナダでは、子供、とりわけティーンエイジャーのうつ病は、それほど特殊なものとは考えられていませんでしたから、今回の広告に少し驚きました。もし、日本では子供でもうつ病になる可能性があるということが「常識」ではないとしたら、多くの子供たちの病が見逃されて重篤化していることが考えられますね。

 無暗な叱責や激励、「薬に頼るのは甘え」といったような無意味な精神論などで追い詰められていく病気の子供たちがいるのではと思うと、とても残念です。

 仏教では、「観察」をとても大切に考えています。わずかな変化も見逃さず、その原因を考察していくのが仏教の考え方です。それは、仏教がすべては縁によって起きると考えているからです。人間の暮らしの中で「不変の正解」などというものを仏教は認めません。状況はつねに変化しているので、結果も変わってくるからです。

 人間関係も常に変化しています。家族だから、身近だから、よく理解している・・・と考えると見落としがたくさん出てきます。人は自分の見たいものしか見えないという傾向が強いので、子供の変化にもかえって気が付かないことがあるのです。

 身近な人こそ、関心を持ち、しっかり見守ることが大切です。病気は早めに対処することが一番なのですから。

◎今日の写真は天橋立です。天から龍が降りてくる姿だそうです。

 

 

お塔婆とは・・・・Part2

 

f:id:jiunji:20190213213531j:plain     お塔婆(卒塔婆)の意味については、「お塔婆とは・・・Part1」に少しお話しましたので、ご参照下さい。

 今日は、法事やお施餓鬼でいただいたお塔婆をどうお祀りするのかということについてお話します。

 お塔婆は、僧侶が読経と儀式を通して、いわゆる「性入れ」を行い、お釈迦様の仏舎利を祀ったストゥーバ(仏塔)と同じ功徳を持つものとなります。もちろん、お塔婆を供養する人の真心と信仰がそれに加わらなければ意味はありません。

 ですから、いただいたお塔婆は、仏塔と同じように丁寧に、敬意をもって扱って下さい。お塔婆は墓地に祀るのが基本です。できるだけ早いうちに墓地へお祀りすることをおすすめします。下の写真のような塔婆立てがあると理想的です。

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 お塔婆は木製ですので、やがて風雨で色あせてきますので、ある程度の時がたったら、墓地に設置された「古塔婆入れ」などに集めておきましょう。お焚き上げなど、敬意をはらった処分をして下さると思います。

 もし、そのような「古塔婆入れ」がないような場合は、自宅に持ち帰り、細かく切るなどした後、塩で清めた紙に包んで廃棄して下さい。この場合も、仏塔を扱うのと同じ気持ちで心を籠めることが大切です。

 

 

 

2月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、「悟り」についてご一緒に考えてみましょう

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 慈雲寺では、毎月、身近な話題から「仏教というものの見方、考え方」や「仏教徒として生きるとは、どのような生き方なのか」とかといったことをご一緒に考える会を催しています。

 この「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は「講座」というタイトルはついていますが、どなたでもご参加いただける気軽な「お話の会」です。

2月は2月17日(日)の10時より行います。今月のテーマは「悟り」です。

 仏教の修行は「悟り」を得るためのものと言われていますが、いったい何を悟ろうとしているのでしょう?

 奥深い悟りの世界は私たちの限られた言語能力で語れるものなのでしょうか?

 悟りを得るといったいどんなことがおきるのでしょう?

 どなたでも歓迎いたしますので、ご一緒に考えてみませんか?

◎慈雲寺への交通アクセス

 申し訳ありませんが、慈雲寺には十分な駐車場がありません。なるべく公共交通を使っておいでくださいませ。近くの有松ジャンボリーSCに大きな駐車場があり、無料で駐車できます。そこからお寺まで、北へ徒歩5分。
 ★鉄道、バスのアクセス
 名鉄有松駅前から、「有松12番 有松町口無池行き 地蔵池経由」に乗ってください。日曜の9時台は二番乗り場から9時07分と36分に発車します。これらのバスに乗り、郷前(ごうまえ)の停留所でお降りください。そのまま道なりに進むと郷前の交差点に出ます。角に鍼灸院があり、その右手の細い坂道を上がると慈雲寺の屋根が見えてきます。
   また、時間はかかりますが、地下鉄の鳴子北駅から出ている「鳴子13番」のバスも郷前に停まります。日曜は8時45分に鳴子北駅からバスが出ます。
●栄のバスターミナルからは森の里団地行きのバスが一時間に一本出ています。この場合は、郷前の停留所から道を戻って郷前の交差点に行ってください。日曜は8時50分発があります。所要時間は約50分
●JRの大高駅から緑循環バスの名鉄有松行で郷前に行くことができます。日曜は8時44分と9時44分に出発します。9時台のバスですと10時の開始時間には少し遅れますが、あわてずにおいでください。
●また、同じ緑循環バスの名鉄有松行は南大高駅東にも停車します。9時9分発と10時9分発です。
●JRの共和駅からタクシーで5分。市バスはありません

◎今日の写真はインターネットの無料画像からお借りした曼荼羅です。曼荼羅は仏の世界、悟りの世界を象徴的な図で表したものです。

 

お塔婆とは・・・・Part1

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 先日、あるお宅で七回忌の法要をさせていただきました。その時、お塔婆を書かせていただき、塔婆の意味についてお話したところ、「今まで、塔婆の意味についてきちんと教えていただいたことがなかった。」と喜んでいただきました。

 お塔婆は正式には「卒塔婆」といい、仏塔を表すサンスクリット語の「ストゥーバ」の発音を漢字に置き換えたものです。

 お釈迦様の御遺骨(仏舎利)をストゥーバにおさめて礼拝する「仏舎利信仰」は、インドから始まり、日本にも伝えられました。仏塔を建てたり、寺院の建立したりすることは布施行の中でも特に功徳の大きな善行とされているのです。

 卒塔婆は、このストゥーバを板で象徴したもので、仏塔を建立するのと同じ善行を行い、その功徳を故人への追善供養としたことを表しています。つまり、仏塔を建てた功徳を故人へ捧げて廻向することを表しているのです。

 塔婆の上部の縁に切れ込みがあるのは、五輪の塔の形を象徴的に表しています。五輪の石塔を始め、五重の塔、七重の塔なども、みなストゥーバへ信仰の流れをくんで建てられたものなのです。

 廻向というのは、自分の行った善行の功徳を他の人に与えることです。お浄土で修行をしていらっしゃる故人に、感謝と励ましの心を送ることでもあります。

 忘れてならないのは、廻向はけして一方通行ではないことです。私たちがご先祖を供養するとき、必ずご浄土からも私たちへの供養が行われているのです。この「供養」とは、先にお浄土へ行ったご先祖や大切な人たちが、私たちを「励ましてくれる」とか「護ってくれる」と言い換えても良いでしょう。

 次回はお寺からいただいたお塔婆をどう扱えば良いのかということについてお話いたします。

◎今日の写真はインターネットの無料画像からお借りした塔婆の写真です。宗派によって塔婆の形や書かれる内容は少し違います。

 

家族がベストとは限らないのでは?

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 先日から、子供の虐待死のニュースが心に重く響いています。新聞の記事によると、昨年、警察から児童相談所へ報告された児童虐待は8万件を超えたそうです。その数は年々上昇していると書かれていました。

 これは一概に虐待件数が増えたというのではなく、今までも家庭の中で隠されていたことが、明るみに出やすくなったということでもあると思います。

 私はカナダに数十年暮らしていましたが、カナダでも児童虐待は少なからず発生しています。しかし、日本と大きく違うのは、いったん虐待が起こっていると警察や児相のような公的機関が認識したら、子供はただちに公的機関に保護され、家族に戻されるのはけして簡単ではありません。

 今回の栗原心愛さんの場合でも、新聞などの報道を見る限りでは、カナダなら家族に戻される可能性はかなり低かったのではと思います。

 日本に戻ってきて、カナダとの違いに考えさせられることが多いのですが、その一つに「家族」への認識の違いがあります。

 日本でもカナダでも、家族の絆、家族の愛情を大切にすることに変わりはありません。しかし、カナダでは「家族が絶対的にベスト」とは考えられていないと言ってよいでしょう。

 日本では、「子供を愛せない親は存在するし、親を愛せない子供もいる」いうことを認めたくない人が多いのではないでしょうか?

 多少の暴力はあっても、やはり家族が一緒にいた方が良い・・・・こんな風に考える人が少なくないのに驚きます。

 親子だから、言葉や行動で示さなくても分かり合えるはず・・・と思っている人が多いのにも驚いています。

 家族であっても思いは、行動や言葉で示すべきだし、理解しあうためには双方の意思を示し、尊重しあい、歩み寄る必要があります。

 家族がベストであることは理想ではありますが、そうでない場合もあるということから目をそらすべきではないでしょう。

 心愛さんの事件では、学校や児相の対応のまずさが浮き彫りになっていますが、彼らを批判するだけでは事態は良くならないでしょう。公的機関の整備、人材の育成も重要です。児童虐待が増えているのなら、児相や学校の予算を増やし、職員の増員、労働時間の見直しを始めることが、子供を救う第一歩になると思います。

 阿弥陀仏は一切の条件をつけずに、私たちのすべてを「この身、このまま」で掬い取って下さっています。家族の中で孤独を感じるときでも、阿弥陀仏はあなたのそばを離れることはありません。

 家庭に居場所がない、逃げ場がないと感じる時、お寺のことを思いだしてほしいと思います。慈雲寺はいつでもご相談に応じます。

◎今日の写真はエクアドルで見た教会の鐘です。

 

来年は「恵方巻」やめませんか?

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 立春です。今朝はポカポカ暖かくて、庭の梅のつぼみもふっくら・・・私は太陽暦の一月一日よりも、やはり立春を一年の始まりとして「新春」を祝う方が良いような気がします。

 本堂や地蔵堂の仏花を入れ替えて、新春を仏さま、菩薩さまたちと共に喜びたいと思います。

 昨夜遅く、インターネットのニュースを見ていたら、すでに恵方巻の廃棄物が処理場にたくさん運び込まれ始めたという記事が出ていました。

 私はこの「節分に恵方巻を食べる」ということをとても胡散臭いものだと思っています。

 恵方巻はまるで伝統的な慣習のように宣伝され、「恵方巻を食べなければ縁起が悪い」というような気分になるほど、強烈なキャンペーンが行われます。でも、その起源は極めてあいまいです。 1980年代の終わりごろにコンビニチェーンの一つが初めて「恵方巻」という言葉を使ったと言われていますが・・・・

 コンビニが作った「トレンド」の一つに乗せられているだけだとしたら、情けない話です。まあ、そういったマーケティングはほかにもたくさんありますね。バレンタインデーのチョコを職場の男性全員に配る"義務”とか、ホワイトデーにマシュマロとか・・・もう逆らうのはかえって面倒というところまでくれば、キャンペーンも成功というところでしょう。

 「今日の夕食はコンビニで買ってきた恵方巻にするね。」と言って、一食簡単に済ませられるなら、まあいいか・・・でも、「恵方巻を食べないと縁起が悪い」なんて思う人がいたら問題です。

 平安貴族をはじめとして、日本人は「方位の吉凶」というものに長い間縛られてきました。日が悪い、方角が悪い・・・と、わざわざ遠回りして出かけたり、方違えの神社のお参りしたり・・・

 法然源空上人(法然上人)は、そうした慣習に苦しんでいる私たちの心に、「本当に大事なことはそんなことではない」と言い切った方です。阿弥陀仏の慈悲の力は、恵方がどうしたというようなことに左右されないからです。

 来年は恵方巻をわざわざ食べるのはやめませんか?おいしい海苔巻きを楽しんで食べるなら良いのですが、恵方を探して、その方向をに向かって一気に丸かじり・・・って、よく考えたら相当不気味というかみっともない姿ですよね。ましてはコンビニ業界のマーケティング戦略に乗せられているのだとしたら・・・・

◎今日の写真はネットの無料画像からお借りしました。ちょっとおいしそうですね。今夜は海苔巻きでも作りたくなりました。一気に頬張ったりしませんが・・・