慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は4月29日10時より行います。テーマは「煩悩って何?」です。どなたでもお気軽にご参加ください。

ご近所さんのお助け隊のおかげで、境内がすっきり初夏景色!

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 昨日、ご近所の方が5人来て下さって、慈雲寺の境内の枝払いや植木のトリミングをして下さいました。本当にありがとうございます!

 上の写真は、手付かずの状態の写真です。次回はきれいになった所をアップしますね。

 実は、Kさんのお宅が工事をなさるので、「作業員の車などを停めさせてほしい」という依頼を受けました。慈雲寺はご近所のお役に立てることなら喜んで!協力させていただきたいと日ごろから思っていますので、この依頼も嬉しくうかがいました。

 Kさんは「駐車料金はどれほど・・・」と聞いて下さったので、「もちろん無料で結構です。でも、境内のことを何か手助けしてくださると嬉しい。これも布施行の一つで、身施といいます。」なんて、冗談半分に言ってみると、何と!お友達に声をかけて下さって、お助け隊を結成して下さったのです。

 軽トラで集合した隊員は、電気のこぎりから箒まで完備。私の出る幕は全くなく、切り落とした枝や葉の掃除をもそもそしただけでしたが・・・

 境内はみるみるスッキリ!木立の間に風や光がとおって、植物も嬉しそうでした。

 慈雲寺は、住職が怠け者で要領が悪いので、なかなかスッキリした境内にはなりませんが、こんな風にご近所の方々に支えられて、何とか続けていかれます。

 本当にありがとうございます。

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は4月29日です。テーマは「煩悩ってなんでしょう?」

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 慈雲寺では、毎月一回、身近なテーマをとりあげて、仏教というものの見方、考え方の基礎を御一緒に学んでいく会を催しています。

 今月は4月29日の日曜日、10時より行います。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

 今月のテーマは「煩悩」です。煩悩とは、私たちの苦しみの原因になるさまざまな心の動きをいいます。煩悩を滅却するために頑張って修行する・・・というのも一つの考え方ですが、あまりそれに執着すると、頑張ること自体が煩悩になってしまうというやっかいな問題もあります。

 また、煩悩がそのまま悟りなのだ・・という教えもありますが、それも何が何だかわからないですね?

 煩悩との穏やかな付き合い方を御一緒に考えてみませんか?

 慈雲寺で行われる全ての宗教行事は、特別な場合を除いて無料ですが、仏様やご先祖様のご供養、お寺の維持などのため、お気持ちを御喜捨いただければ幸いです。

◎慈雲寺への交通アクセス

申し訳ありませんが、慈雲寺には十分な駐車場がありません。なるべく公共交通を使っておいでくださいませ。
 名鉄有松駅前から、「有松12番 有松町口無池行き 地蔵池経由」に乗ってください。日曜の9時台は二番乗り場から9時07分と36分に発車します。これらのバスに乗り、郷前(ごうまえ)の停留所でお降りください。そのまま道なりに進むと郷前の交差点に出ます。角に鍼灸院があり、その右手の細い坂道を上がると慈雲寺の屋根が見えてきます。
   また、時間はかかりますが、地下鉄の鳴子北駅から出ている「鳴子13番」のバスも郷前に停まります。日曜は8時45分にバスが出ます。
●栄のバスターミナルからは森の里団地行きのバスが一時間に一本出ています。この場合は、郷前の停留所から道を戻って郷前の交差点に行ってください。日曜は8時50分発があります。所要時間は約40分
●JRの大高駅から緑循環バスの名鉄有松行で郷前に行くことができます。日曜は8時44分と9時44分に出発します。9時台のバスですと10時の開始時間には少し遅れますが、あわてずにおいでください。
●また、同じ緑循環バスの名鉄有松行は南大高駅東にも停車します。9時9分発です。
●JRの共和駅からタクシーで5分。市バスはありません。「郷前の交差点近くの慈雲寺」とおっしゃってください。慈雲寺を知らないタクシーの運転手もいますので、その場合は郷前の交差点の鍼灸院で降りてください。鍼灸院からお寺の屋根が見えますので、右手の細い坂道を上がってください。

★慈雲寺から徒歩5分のところに、有松ジャンボリーというショッピングモールがあります。そこの駐車場に駐車して(無料)、歩いておいで下さるかたもいらっしゃいます。

 

◎今日の写真は慈雲寺が属する浄土宗西山派西山浄土宗)の総本山光明寺の新緑です。

花盛りに酔う・・・でもお酒を飲んでるわけではありません。

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 慈雲寺の境内は今、ツツジの花盛りです。私はこのお寺に赴任するまで、ツツジはあまり好きではありませんでした。紫とピンクを混ぜたような、派手な色が苦手だったのです。しかし、慈雲寺の裏庭にある薄い桃色の木は、大のお気に入りになりました。

 毎朝、お本堂の扉を開けるときに、ちょうど朝日が花にスポットライトを当てるように輝きます。蕾が開いたばかりのような時が特に美しいですね。

 ツツジのように、派手な花が咲いていると、つい他の花の盛りを見落としていまいます。慈雲寺の境内はそれほど広いわけでもないのに・・・今年はボタンの花盛りを見逃してしまったようです。今朝、裏庭に出てみたら、もうすでに散りかけていました。このボタンは、気まぐれに株分けして、そのまま手入れをせずに放っておいたものです。それでも、懸命に咲いていたのに・・・

 これからしばらくは、次々と花盛りがやってくるので、まさに花に酔う毎日です。もっと小まめにご近所を散歩して、花を楽しむべきでしょうね。

 「酔う」と言っても、お酒を飲むわけではありません。仏教徒は五戒という五つの戒めを守ることが行動規範の基本です。その基本の五戒の中に、不飲酒戒があります。お酒を飲んではいけないという戒めです。酔っぱらってしまうと、正しい行いがしにくくなるからです。

 しかし、この戒めについて法然源空上人(法然上人)は、「飲酒は避けるべきことではありますが、”世の習い”なので」とおっしゃっています。もちろん、これは一般の仏教徒の人たちに向けてのお言葉。僧侶はやはり飲酒はできるだけ避けるべきです。

 私はどうやら、お酒が好き・・・と思われているようですが、実はほとんど下戸。ワイングラス一杯、日本酒二分の一合が限界です。なので、不飲酒戒は私には難しくありません・・・花の美しさに酔うだけで十分です。

◎今日の写真は福岡の街角で見た藤の花です。私は藤が大好きなので、とても楽しみ!

家族だから言わなくてもわかる???

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 自分の思いを人に伝えることは、とても難しいことです。相手に自分の意図を正確に伝えるには、豊かな語彙、柔軟な表現力が必要です。しかし、今は、スマホやインターネットを通じてのやりとりでは、文章は短く、ぶっきらぼうになりがちです。本を読む習慣が薄れれば、語彙はどんどん貧弱になっていくでしょう。

 それでいて、相手に自分の思いを伝えたい、自分の気持ちを分かって欲しいという願いは、どんどん強くなっていきます。ツイッターのように、短時間で大きな反応を期待するメディアでは、「いいね」が付かないと不満はつのり、寂しさも増してしまいます。フォロワーが山ほどいても、結果的には孤独感が強まっていくのです。

 日本には「以心伝心」といったように、口に出して、言葉にして自分の思いを伝えなくても良いという伝統(?)があります。とりわけ、夫婦や親子のような近しい家族は、「身内なんだから言わなくてもわかる」と思いがちです。

 しかし、それは本当でしょうか?

 「以心伝心」は、もともと禅宗の教えから出てきた言葉です。仏教の真髄は言葉で伝えられるものではなく、師から弟子の心に直接伝えられるものだというのです。確かに、人間の限られた語彙で真理を語りつくすのは難しいでしょう。しかし、私たちの心の中の思いは、やはり言葉て伝えていくべきだと思います。

 とりわけ、感謝の言葉、思いやりの言葉は、口に出して、文字にして、行動で、相手に伝えましょう。家族だからこそ、長い間のつきあいのある友人だからこそ、一緒に働く同僚だからこそ・・・近くにいるものだからこそ、「わかって当たり前」ではないのです。

 人に思いやりを込めた優しい言葉をかけることは、「愛語」と言って、布施行の一つでもあります。

 反対に、怒りを込めた言葉を発するのは、相手以上に自分自身を傷つけていることを忘れないでください。怒りは毒蛇の毒よりも、その人自身を害するとお釈迦様は教えてくださっています。

◎今日の写真は宝塚市にある中山寺の仁王様です。

煩悩ってなんでしょう?

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 慈雲寺では、毎月一回、「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」として、身近な話題から仏教というものの見方、考え方の基礎を御一緒に学んでいく会を催しています。

 4月は29日に行うのですが、テーマは「煩悩とはなんでしょう?」です。煩悩とは、私たちの苦しみの元です。仏教はいったい、何を煩悩と考えるのでしょう?そして、その煩悩をどう扱えば、私たちは苦しみ少なく生きていくことができるのでしょう?

 煩悩を消そうとか、完全になくしてしまおう!と決意(?)することを仏教は勧めていません。煩悩を消そうと頑張ること自体が煩悩になってしまうからです。

 煩悩をどう扱うのか、どう取り組むのか、どうコントロールするのか?・・・この問題は仏教を学ぶ時の最初の関門であり、いつまでたってもなかなか越えられない深い問題でもあります。

 講座の準備をするために、改めてさまざまな方が「煩悩」について書いておられるのを改めて読み直していると、難しいけれど、楽しい。「煩悩について、皆さんにうまく説明したい!」と思うのも、もちろん煩悩ですよね。

 「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は4月29日(日)10時より行います。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

◎今日の写真は、宝塚市にある中山寺で見た狛犬です。

セクハラ問題と法然上人の教え

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 今朝の新聞に福田財務次官のセクハラ疑惑についての記事が大きく出ていました。セクハラ問題が起きるたびに、女性の能力をのびのびと生かせない社会は男性にとっても居心地の良い世界ではないのにと思わないではいられません。

 セクハラは、女性蔑視と軽視から生まれるものです。女性を劣った、そして穢れたものとして低く扱うのは、なぜでしょうか?さまざまな理由があるでしょうが、その一つには「血」を「ケガレ」として避けようとする神道的な考え方があるように思います。

 神道やそれに結びついた民俗的慣習では、「死」を最も忌むべきケガレと考えます。その死と直結する「血」も避けるべきケガレです。ですから、毎月、生理によって出血する女性は、その間、穢れたものとして避けられてきたのです。大量の出血を伴う出産も「ケガレ」として、集落から離れたところに産屋を作った歴史もあります。ケガレは伝染すると考えられていたので、集落から離されたのでしょう。ケガレは災いを招くと信じられてきました。

 このケガレに対して、法然源空上人(法然上人)は、画期的な意見を述べています。『百四十五箇条問答』という問答集は、一般の信者からの質問に法然上人が丁寧に答えている素晴らしい本です。法然上人の人となりや思想の基盤が鮮やかに見えてきますので、機会があったらぜひ読んでみてください。

 この本の中で、ある人が「月のもの(生理)の期間中にお念仏を称えても良いか?」という質問をしています。また別の人は「子供を産んだばかりの時はお念仏をひかえるべきでしょうか?」とも聞いています。これらの質問は正に「ケガレ」の問題です。

 身がケガレているとされる間は、お念仏はひかえるべきか?というのが質問です。これに対し、法然上人は、きっぱりと「ケガレている」なという考え方そのものを否定します。私たちは、この身このままで、阿弥陀仏の救いの中にあるからです

 人を愛すること、恋することは素晴らしいことです。しかし、相手を性的な道具としてしか扱えない人に、心豊かな恋愛をすることはできないでしょう。

 セクハラ問題は、被害者が声をあげやすい環境を整えることが大切です。それは、結果的には冤罪を減らす対策にもなると思うのですが・・・

◎今日の写真は、和歌山の海岸で見たヒトデです。

慈雲寺の弘法さまは染谷将太似?!

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 19日で映画「空海」の上映が終わると知って、慌てて名古屋駅前の映画館まで行ってきました。8時55分上映開始というないナイスな時間設定だったので、ラッシュアワーの電車に乗って映画を見に行くという、なんだか変な雰囲気でした。

 原作は夢枕獏のミステリー小説なので、ストーリー自体はファンタジーで、宗教者としての空海さまに迫る内容では全くありません。しかし、つくづく「中国には、映画を作ろうという意欲満々な人がたくさんいて、資金力もたっぷり、技術力もあるんだなぁ」と感心しました。今の日本には、あんな風にお金をかけた映画を作ることはできないでしょう。う~ん・・・

 楽しかったのは、そのたっぷりの資金を投じて作った、1200年前の長安の街並みを見ることがてきたこと。シルクロードで運ばれてきた文化が絢爛たる花を咲かせていた時代の雰囲気がたっぷり伝わってきました。映画は映画館で見なくちゃだめだな。できれば、「大ヒット中」にもっと大きなスクリーンで上映されている間に見れば良かった・・・

 染谷将太さんが演じる空海は、ユーモアがあって、表情もしぐさもお茶目。それによって、かえって空海さまの天才ぶりがスンナリと伝わってきました。とってつけたような威厳なんかないけど、仏道の真髄をつかみかけている落ち着きが感じられるのです。

 一番印象的で感動したのは、空海さまが恵果上人から真言密教を受け継いだ青龍寺の姿です。青龍寺は廃仏や長安の衰退によって、ほぼ廃寺となってしまいました。現在の建物は1980年代に日本などの援助によって、建て直されたものですが、なんだかうら悲しいような状況でした。

 私は90年代に西安へ行き、青龍寺跡にも訪れましたが、空海さまが御修行なさった時はどんなに壮麗な寺院だったろうと想像していました。そのイメージにピッタリな「大青龍寺」の姿がスクリーンに現れたのですから、思わず「おお!」と座席から立ち上がりそうになってしまいました(恥)

 さて、以前にも何回か書きましたが、慈雲寺にも弘法さまがいらっしゃいます。慈雲寺は今は名古屋市内ですが、もともとは知多郡に属していて、知多半島の文化圏の中にあります。知多半島はお大師様信仰の盛んなところで、知多四国の巡礼をする人もたくさんいます。慈雲寺の弘法さまも、そんなご縁で祀られているのでしょう。

 慈雲寺の弘法大師像は、他の知多四国の弘法さまと違い、かなり若いお姿。まさに、映画に出てきた時代のお姿のようです。眼の雰囲気など、染谷将太に少しにているかも?

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