慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、3月15日(日)10時より行います。テーマは、「今だけ、金だけ、自分だけ・・・で幸せですか?」です。お彼岸を前に、「生きる幸せ」について、ご一緒にゆっくり考えてみませんか?

慈雲寺は「場所」の提供なら協力できます

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 新型肺炎の件では、カナダの友人から何通もメールをもらっています。日本政府の対策の悲惨さはカナダでも大きく報道されているようです。

 こんな政府を選挙で選び、不正を見逃し、官僚のやり方を無批判に「仕方がない」で見逃してきたのは私たち選挙民です。

 シンガポール政府がサーズの経験から情報を隠蔽せず(100%とは言えないでしょうが)どんどん国民に公開しているのと比べて、まだ利権にこだわり、本当にすべきことをしていない政府に深い不信感をいだきます。

 とりわけ、多くのシニアを信者にかかえる公明党創価学会が、まだ自民党と足並みをそろえようとしているのが不思議です。日蓮さまなら、まさに「仏敵」と叫ばれるのではないでしょうかね。

 

 慈雲寺は3月中の行事を行うかどうか、今日中に検討して決めたいと思います。中止にするのは簡単ですが、こんな風に不安な時だからこそ、お寺に来て欲しいという気持もあるからです。

 

◎慈雲寺として何ができるかが第一の問題ですが、今、思いつくのは「場所」の提供ぐらいです。

 子供を預ける場所が見つからないとか、会社を休めないという方が、場所を探しているのならご相談にのりたいと思います。

 例えば、5組の家族でグループになり、毎日一人の方がベビーシッターをしあえば、仕事を休むのは週一回で済むことになります。

 私は子育ての経験もありませんし、私自身がベビーシッターを引き受けることはできませんが、慈雲寺なら10人ぐらいの子供が集まっても大丈夫です。

 ただし、スペースがあるだけで、テレビもないし、暖房も十分ではありません。体調管理も自己責任でということになります。

◎英会話のおさらいのお手伝いぐらいはできますので、一日何時間か、「お勉強場所」として利用していただくことも可能です。

◎この他、「場所」として有効利用していただけるアイディアがありましたら、ご遠慮なくご提案ください。

叔父の49日で東京へ Part1

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 しばらくブログの更新が途絶えていたので、数人の方からご連絡をいただきました。ご心配をおかけして申し訳ありません。私はおかげ様で心身ともに好調です。

 実は、一月に亡くなった叔父の49日の法要に参列するために東京へ行っていました。この叔父は、スキーが上手でなかなかのハンサム。私は叔母と結婚前から顔見知りで、とてもかわいがってもらいました。おかげで、叔父の子供たちとも仲良し。私にとってはとても大切な親戚です。

 最後の数年間、叔父は体調を崩し、認知症も発症していたので、介護はなかなか難しいものだったようですが、叔母もいとこたちも「果敢に」という言葉を使いたいほど、介護に取り組んでいました。昨年秋には叔父も含めた家族旅行に、私も母も入れてもらい、叔父との楽しい思い出がもう一ページ増えました。

 そして、49日の法要にも、叔母とその子供たちに加え、母と私も参列したのです。叔父の家は浄土真宗本願寺派。慈雲寺の属する浄土宗西山派西山浄土宗)とは、法式も読経もずいぶん違いますので、なかなか興味深いものがありました。

 特に印象的だったのは、法要後のお説教です。真宗では、「聞法」といって、お説教を繰り返し聞いて信仰をいただいていくことが重要とされています。当然、真宗の僧侶にとっては、お説教の内容、技術を深めることが求められているわけです。

 今回の葬儀では、通夜から本葬、初七日、そして今回の49日と、他宗派の僧侶の「現場での説教」をじっくり聞かせていただく特別な機会になりました。

 まさに、叔父からの最後の贈り物と言って良いでしょう。ありがたく受け止めました。

 思えば、私が住職になって初めて、導師として葬儀をしたのは父方の伯母でしたし、未熟な私に親族が機会を与えてくれているのだと、とてもありがたく思っています。

(つづく)

◎今日の写真は、有松の旧東海道沿いの家々に飾られるひな人形の福寄せです。

桶狭間の長老、慈雲寺の恩人を見送る

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 先日、慈雲寺の近隣の最長老のKさんが、102歳で亡くなられました。Kさんは、公務員のお仕事をリタイヤなさってから、本格的に地域の歴史の研究を始め、桶狭間の戦いの歴史について極めて精緻な調査をなさった方です。

 地域住民の誰からも慕われ、数年前の白寿の祝いの時には公民館がいっぱいになるほどの人が集まりました。さまざまな意味で「理想のシニア」の生活を全うなさった方と言って良いでしょう。

 Kさんは、私にとっても特別な方でした。桶狭間では、毎年、今川義元が戦死した日に、今川方、織田方両軍の戦没者のために慰霊祭を行います。私も地域の寺の住職として、その慰霊祭に呼んでいただきました。

 その記念講演をKさんがなさったのですが、質問の時間の時に、私が無遠慮に質問をしてしまいました。当時(今もですが)、私は戦国時代の歴史に全く無知。私の質問は、かなり的外れだったかもしれません。しかし、ちょっと新鮮なアングルの質問だったのかも??

 Kさんは、物怖じせずに質問した私のことを面白がってくださったようで、「あの質問した人や、慈雲寺の新しい庵主さんだろ?なかなか良さそうな人だね。」と言って下さったそうです。

 この評価のおかげで、私は桶狭間のコミュニティに受け入れていただくのが、ずっと楽になったと考えています。あの時、Kさんがネガティブな評価をしていたら、私はかなり苦労したのではないでしょうか。Kさんは、まさに私の地域最初の恩人です。

 Kさんは慈雲寺の歴史についても研究して下さっていました。「女性の住職のところにあしげく通うのも・・・と思って遠慮していた。もっと研究したかった」とお話されたこともあります。

 なんだかKさんは永遠にお元気のような気がしていたので、慈雲寺の資料を見ていただく機会をとうとう逃してしまったのが、とても悔やまれます。

 70歳を過ぎてから始めたことでも、人々に深い影響を残すようなことができるのだと思うと、私もまだまだ「年寄だから」を言い訳にはできないなと思っています。

 

本日も大失敗・・・『四誓偈』

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 このところ、ただですら注意散漫な私が、さらにボーとしていることが多くなりました。頓珍漢なことを言って失敗することもしばしば。少しガゼインペプチドでも飲んで、脳を活性化する必要がありそうです。

 で、本日も大失敗。浄土系の僧侶としては恥ずかしくて、当分、自分を幽閉して反省したくなるほどです。

 

 慈雲寺では、毎月、「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」を開いています。「講座」という名前はついていますが、誰でも気軽に参加していただける内容で、仏教の基礎的な知識や仏教的なものの見方、考え方を題材にお話ししています。

 その時に、お話が始まる前に『四誓偈』を参加者の皆さんと一緒に読誦しています。

今日は、その仏教講座の日だったのですが、講座が終わって皆さんとお茶を飲んでお話をしていたとき、「四誓偈って誰が説いた偈ですか?」と質問された方がいました。

 私はその時、他の方と話しをしていたせいか、ちゃんと質問を聞いていなかったようで、「あ、それは善導大師がお経の内容を解説したものです」と答えてしまいました。

 もちろん、大間違い!どうやら、私の脳内では『観経疏』と混同していたようです。

 『四誓偈』は『無量寿経』の一節です。法蔵菩薩がすべての生きとし生けるものを救おうと修行に入られたとき、師の世自在王仏の前で四十八の誓願を立てます。その後に、それらの誓願を立てた目的や要点を繰り返して述べた部分が『四誓偈』と呼ばれているのです。

 慈雲寺が属する浄土宗西山派西山浄土宗)でも、知恩院を本山とする浄土宗鎮西派でも、毎日の勤行の時に読誦する、最も基本的なお経です。

 

 間違いにもほどがある・・・・しばらくは『四誓偈』の写経でもして、反省します。

 

「往生の正因」と法然上人の三人の弟子たちの教え - 今月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」のご案内と慈雲寺へのアクセス

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 仏教は、「対機説法」と言って、相手の能力や思考、環境などに合わせて教えの説き方を変えるというのが、お釈迦様以来の特徴です。

 ですから、インドから中央アジア、東アジア、日本へと教えが伝わるにつれ、さまざまな「説」が生まれてきました。しかし、そのどれもが、お釈迦様がお説きになった、「心穏やかに、豊かに生きていくための智慧」を教えているのです。

 法然源空法然上人)は、末法という厳しい時代に生きる凡夫である私たちのために、お釈迦様がお説きになった、阿弥陀仏誓願、お慈悲についての教えを広められ、日本で初めて「称名念仏」の教えを確立された方です。

 法然には数多くの優れた弟子がいましたが、現在まで続いているのは、弁長上人の浄土宗鎮西派親鸞聖人の浄土真宗、そして證空上人の浄土宗西山派の三つの流れだけです。どの流祖も、法然上人を教えを直接に受け止めた方々ですが、その受け止めを自らの弟子や信者に伝えるときには、表現にさまざまな違いが出てきました。

 今月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、2月16日(日)10時より行います。

 これらの三つの流れの基本を「往生の正因」をテーマにして比べてみましょう。

 「講座」というタイトルはついていますが、どなたでもお気軽にご参加いただける内容です。講座の後は茶話会もいたしますので、どなたでも歓迎いたします。

◎今日の写真は、善慧房證空上人の直筆と考えれれている名号です。


◎慈雲寺への交通アクセス

 申し訳ありませんが、慈雲寺には十分な駐車場がありません。なるべく公共交通を使っておいでくださいませ。近くの有松ジャンボリーSCに大きな駐車場があり、無料で駐車できます。そこからお寺まで、北へ徒歩7分。
カーナビでは慈雲寺の電話(052-621-4045)を入力してご利用下さい。
★鉄道、バスのアクセス
 名鉄有松駅前から、「有松12番 有松町口無池行き 地蔵池経由」に乗ってください。日曜の9時台は二番乗り場から9時07分と36分に発車します。これらのバスに乗り、郷前(ごうまえ)の停留所でお降りください。そのまま道なりに進むと郷前の交差点に出ます。角に鍼灸院があり、その右手の細い坂道を上がると慈雲寺の屋根が見えてきます。
   また、時間はかかりますが、地下鉄の鳴子北駅から出ている「鳴子13番・有松町口無池行」のバスも郷前に停まります。日曜は9時26分に鳴子北駅からバスが出ます。
●栄のバスターミナルからは森の里団地行きのバスが一時間に一本出ています。この場合は、郷前の停留所から道を戻って郷前の交差点に行ってください。日曜は8時50分発があります。所要時間は約50分
●JRの大高駅から緑循環バスの名鉄有松行で郷前に行くことができます。日曜は8時44分と9時44分に出発します。9時台のバスですと10時の開始時間には少し遅れますが、あわてずにおいでください。
●また、同じ緑循環バスの名鉄有松行は南大高駅東にも停車します。9時9分発と10時9分発です。
●JRの共和駅からタクシーで5分。市バスはありません”

満月は今夜でしたが、写経の会は11日です。

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 今夜(9日)は、月がとりわけきれいだなぁ~と眺めていたら、今日が満月でした。

慈雲寺では、毎月満月の夜に写経・写仏の会をしています。

 ところが、ブログの予定表では、今月は「11日に写経の会をする」とお知らせしていました。私の勘違いでした。本当にごめんなさい。

 昨日も一昨日も夜空を眺めて月も見ていたのに、満月に気が付かないなんて・・11日と思い込んでいたので、月を眺めていても月齢に気が付かなかったのですね。私は、日にちにこだわって、現実が見えていなかった・・・なんとまぁ愚かなことでした。

 というわけで、本当に申し訳ないことをいたしましたが、お知らせしたとおり、

11日夜7時半より、写経・写仏の会をいたします。少し、お月様は掛けているでしょうが、真冬のお月見もまた一興です。どなたでも、お気軽にご参加下さい。



仏教徒の理想的な臨終とは - 「枕経」について考えてみました。Part2 

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 今、TBS系のテレビで「病室で念仏を唱えないでください」という番組を放送しています。僧侶で救命救急医の主人公が活躍し、「僧医」とか「終末医療」、そして「命とは何か」という根源的な問いも出てくる、なかなか興味深いドラマ・・・ですと言いたいところですが、残念ながら脚本が下手すぎるし、主演の伊藤英明が大根。原作が「ビックコミック」に連載されていたコミックなせいでしょうか、伊藤の演技が無駄に大げさで、彼がお釈迦様や弘法大師のお言葉を台詞の中で引用しても、少しも心に響かない。

 伊藤英明・・・好きな俳優なんだけどなぁ・・・

 あ、そんなことが言いたいのではなく、このドラマのせいで、「病院で念仏する」という行為がさらに遠のくのかなぁ・・・残念な感じ。

 

 仏教徒、とりわけ浄土系の仏教徒にとって理想的な臨終は、「善知識」に囲まれ、一緒にお念仏を唱えながら、阿弥陀仏の来迎を待つことです。

 「知識」とは、仏の教えを実践している友や導き手のこと。信仰を共にする善き友に囲まれるということです。その善き友が家族であれば、さらに喜びは増すでしょうし、日頃から親しく教えを受けている僧侶もいるなら、さらに安らかに旅立つことができるでしょう。

 自宅でも、病院でも、静かにお念仏を称えれれる環境があるといいなぁ。「枕経」というのは、本来心肺停止した後ではなく、臨終を迎えた人の、命の最後のひと時に、阿弥陀仏の来迎を説くお釈迦様のお言葉を聞き、善知識たちと一緒にお念仏することだから。

 仏教徒にとっての「善」とは、他の人も自らにとっても、心身共に安らぎ、穏やかになれるような状況をもたらしてくれる行為や考え方、ものの見方のことです。まさに「菩薩」のありようですね。

 人生の中で、そのような善知識に出会えることこそ喜びです。死は信仰深い人にとっても不安だし、別れは悲しいことです。しかし、やがて極楽でまた会える=「俱会一処」という思いを同じくする人に囲まれて逝きたいですね。

 でも、たとえ一人ぽっちで臨終を迎えても大丈夫!阿弥陀様はたくさんの菩薩たちと一緒に必ず私たちを迎えに来てくれますから。