慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

7月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は7月22日(日)10時より行います。テーマは「”自業自得”の本当の意味は?」です。どなたでもお気軽にご参加ください。

「機根つたなくとも卑下すべからず」 善慧房証空上人の『鎮勧用心』より Part2

 ねむりて一夜をあかすも報佛修德のうちにあかし、さめて一日をくらすも、弥陀内証のうちに暮らす。機根つたなくとも卑下すべからず。佛に下根を摂する願います。行業とぼしくとも疑(うたご)うべからず、経に乃至十念の文あり。はげむもよろこばし、正行増進の故に。はげまざるもよろこばし、正因円満の故に。徒(いたず)らに機の善悪を論じて、佛の強縁を忘るること勿(なか)れ。不信につけても、いよいよ本願を信じ、懈怠につけても、ますます大悲を仰ぐべし。『鎮勧用心』

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  前回に続き、法然上人の最も円熟した宗教思想を直接受け継いだと言われる証空上人(西山上人)の『鎮勧用心』のお話しをいたします。

 この短い文章には、阿弥陀仏と私たちのご縁の深さ、阿弥陀仏の願いというものが繰り返し語られています。とりわけ「機根つたなくとも卑下すべからず」という文は、私の心に深く残ります。

 私たちは、しばしば自らの能力や環境を過大に評価して「自信過剰」や「うぬぼれ」に陥ったり、反対に過少に評価して「卑屈」になったり、「拗ねて」しまったりして、自分自身を傷つけてしまい、周囲の人にも影響を及ぼしてしまいます。

 自分をありのままに受け入れるのは、なかなかに難しいことです。さらには他人もありのままに受け入れて愛するのはさらに難しい。その上、自信過剰でも、自己評価が不当に低くても、努力を放棄してしまったら、人生はむなしいものになってしまうでしょう。

 阿弥陀仏は、何も条件をつけません。私たちを「この身このまま」で受け入れて下さるのです。ですから、能力や環境が劣っていても、卑下すべきではなく、むしろ「それだからこそ」阿弥陀仏は私たちに慈悲をそそいでくださっているのです。

 「この身このままの救い」を聞かせてもらったとき、嬉しさのあまり口からこぼれでるのが「南無阿弥陀仏」のお念仏です。念仏をするから救われるわけではありません。ここが肝心なところです。

 その喜びを原動力として、「自分のできることをできるだけやらせてもらおう」という努力が始まるのです。自力で努力するから救われるのではないのです。努力する偉さを阿弥陀仏に評価してもらって救ってもらうわけではないのです。

 阿弥陀仏に願われている身の上であるという自覚から、「できることをやらせてもらおう」という働きが生まれてくるのです。

 傲慢も卑下も、どちらも生きていく苦しみのもとですよね。

 力をいったん抜いて、阿弥陀様におまかせしてみましょう。

◎今日の写真は、大阪市東洋磁器美術館で見た古代中国の女人像です。

「機根つたなくとも卑下すべからず」 善慧房証空上人のお言葉 『鎮勧用心』より (Part1)

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 ねむりて一夜をあかすも報佛修德のうちにあかし、さめて一日をくらすも、弥陀内証のうちに暮らす。機根つたなくとも卑下すべからず。佛に下根を摂する願います。行業とぼしくとも疑(うたご)うべからず、経に乃至十念の文あり。はげむもよろこばし、正行増進の故に。はげまざるもよろこばし、正因円満の故に。徒(いたず)らに機の善悪を論じて、佛の強縁を忘るること勿(なか)れ。不信につけても、いよいよ本願を信じ、懈怠につけても、ますます大悲を仰ぐべし。『鎮勧用心』

 

 『鎮勧用心』は、法然源空上人(法然上人)の直弟子で、師のそばに最も長く仕えた善慧房証空上人(西山上人)が、自らの弟子に与えた念仏者として生きる者の日常の心がけについて短くまとめたものです。

 慈雲寺の属する浄土宗西山派西山浄土宗)は、法然上人を宗祖と仰ぎ、西山上人を流祖としています。この『鎮勧用心』は、西山派の僧侶も信徒も、毎朝のお勤めの時に必ず読誦して、日々の生き方の指針としています。

 短い文章の中に、阿弥陀仏に願われている私たちという自覚と喜び、そしてその自覚の上での生き方がギュッと凝縮されて示されています。柔らかな口調は、西山上人のお人柄、その温かみが直接伝わってきます。

 この文章の全ての言葉に深い意味がありますが、私が特に魅かれるのは「機根つたなくとも卑下すべからず。佛に下根を摂する願います。」という文です。

 機根とは、その人の性質や能力、そして環境を含む状況のことです。それが劣っているからといって、卑下すべきではない。阿弥陀様の御目当ては、まさにそうした「凡夫」なのだから・・・という教えです。

 阿弥陀仏は何の条件もつけずに私たちの全てを受け入れて下さっています。それを喜ぶのがお念仏です。(つづく)

◎今日の写真は根津美術館の庭園でみたカキツバタです。もう盛りを過ぎていて、ちょっと哀れな風情でした。

 

 

7月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は7月22日に行います。テーマは「‟自業自得”の本当の意味は?」です。

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 今日はとても爽やかな風が一日中吹いていましたね。今日は「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」の日でした。旦那寺と檀家の関係について、御一緒に学んでみました。皆さん、とても熱心に聞いて下さいました。

 「いきつけのお寺」、「顔なじみの和尚さん」というご縁を持つことで、より穏やかで苦しみ少ない生き方ができるようになるのが、仏教の理想です。

 さて、来月の講座のテーマは、「”自業自得”の本当の意味は?」にしてみました。「自業自得」とか、「業が深い」とかいう言葉は時々耳にしますね。いったい「業」とななんなのでしょう?「業」という考え方は、大乗仏教の大事な要素の一つであり、「輪廻」とか「供養」にも深く関連しています。

 「業」について、その基礎的な知識を御一緒に学んでみましょう。

 7月22日(日)10時より行います。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

◎今日の写真は、東京の根津美術館の庭園でみた道祖神です。

6月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」のお知らせと慈雲寺へのアクセス

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 慈雲寺では毎月一回、身近な話題から「仏教的な考え方」「仏教のものの見方」について、皆さんと御一緒に学んでいく講座を行っています。「講座」というほど堅苦しいものではなく、私も皆さんに「教える」ことができるような立派な僧侶ではありません。御一緒に学んでいきましょうという会です。

 どなたでもお気軽にご参加ください。

 今月は「檀家とはいったい何なのか?」ということを改めて考えてみたいと思います。菩提寺と檀家との関係が成立した歴史を少し振り返り、これからの「お寺と檀家・信徒」のありかたを見てみましょう。

 慈雲寺は、「家の宗派」にこだわらず、みなさんの「行きつけのお寺」、「親しいの庵主さん」をめざしています。

◎慈雲寺への交通アクセス

 申し訳ありませんが、慈雲寺には十分な駐車場がありません。なるべく公共交通を使っておいでくださいませ。近くの有松ジャンボリーSCに大きな駐車場があります。
そこから、徒歩5分。
★鉄道、バスのアクセス
 名鉄有松駅前から、「有松12番 有松町口無池行き 地蔵池経由」に乗ってください。日曜の9時台は二番乗り場から9時07分と36分に発車します。これらのバスに乗り、郷前(ごうまえ)の停留所でお降りください。そのまま道なりに進むと郷前の交差点に出ます。角に鍼灸院があり、その右手の細い坂道を上がると慈雲寺の屋根が見えてきます。
   また、時間はかかりますが、地下鉄の鳴子北駅から出ている「鳴子13番」のバスも郷前に停まります。日曜は8時45分にバスが出ます。
●地下鉄徳重駅からも郷前に停まるバスがあります。
●栄のバスターミナルからは森の里団地行きのバスが一時間に一本出ています。この場合は、郷前の停留所から道を戻って郷前の交差点に行ってください。日曜は8時50分発があります。所要時間は約40分
●JRの大高駅から緑循環バスの名鉄有松行で郷前に行くことができます。日曜は8時44分と9時44分に出発します。9時台のバスですと10時の開始時間には少し遅れますが、あわてずにおいでください。
●また、同じ緑循環バスの名鉄有松行は南大高駅東にも停車します。9時9分発です。
●JRの共和駅からタクシーで5分。市バスはありません

 

◎今日の写真は、東京の根津美術館で見た中国の石仏です。やさしいお顔の菩薩さまでしょうか?

 

 

今朝の占いは「独立独歩で大吉」・・・どうして占いが気になるの?

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 慈雲寺で定期購読している新聞は、最後のページにテレビの番組表と占いが掲載されています。テレビはめったにみないので、占いのページも同じなのですが、今日は偶然目に入ってきました。今日の私へのご宣託は「百星の明かりは一月の光に如ず。独立独歩して大吉」だそうです。う~~~ん

 そういえば、先日、ある方が「庵主さんは占いを信じますか?この前、すごく良く当たる占い師さんに会って・・・」と言い始めました。その方が感心している「よく当たる」という内容を聞いてみると、性格であったり、実家の家の周辺の様子を言い当てられたというのです。う~ん・・・それって、コールドリーディングと呼ばれるテクニックじゃないのかなぁ?

 少し話せば、その人の性格は見えてくるものだし、「勝気に見えるけれど、本当は繊細な性格ですね。」とか、また反対に「優しい性格のようですが、決断するときは大胆ですよね」とか、見た目と反対なことを言うと「まあ!誰も知らない私の本質を見抜いた!」と思ってしまう人も多いでしょう。これも一つの心理作戦です。

 実家の様子・・・なども、少し話しているうちに、古い日本家屋の多い地域の出身だということがわかれば「ああ・・・なんか松の木が見えますね。ちょっと変わった枝ぶりの」なんて言うと、「当たり!」の確率はかなり高い。自分の実家になくても、「ご近所にあったでしょう?」と言えば、たいてい当たります。

 

 とはいえ、私は占いを全面的に否定するつもりはありません。「独立独歩で大吉」という言葉が頭に残れば、今日は多数派の意見に流されず、自分の考えをのべようと思うし、「今日は怪我に注意」という占いが出れば、いつも以上に道路を渡る時に気を付けます。でも、その程度。占いに拘ってがんじがらめになってしまっては意味がありません。ましてや、金の壺や、魔除けの腕輪などを勧められて買ってしまうのは愚かです。

 こだわりや執着から離れようとすれば、道はおのずと見えてくるものです。

 ところで、占いの話でもなんでも、「庵主さんに聞いてみよう」、「慈雲寺の庵主さんはどう思うかなぁ?」なんて、気軽に声をかけて下さる方、大歓迎ですよ。慈雲寺にはいつでも冷たいお茶を用意しています。

六月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」のテーマは「寺院と檀家の関係 - 歴史と未来」です。

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 あなたは、ご自分の家の「旦那寺」のことをどのくらい御存じですか?何宗のお寺か、それはどんな教えを中心にしている宗派ですか?ご住職とは顔見知りですか?葬儀や法事以外のことで、そのお寺の僧侶に会ったことはありますか?

 あなたには、胸の内の哀しみや苦しみ、そして喜びを語れる「顔見知りのお坊さん」、いつでもでかけて仏様と向き合える「いきつけのお寺」がありますか?

 今月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、檀家と旦那寺、住職と檀家さんたちとの関係など、その歴史を振り返り、将来、どういう風に変化していくのかについてお話ししたいと思います。

 どこかのお寺の檀家になると、いろいろ面倒らしい・・・お金もかかるらしい・・・でも、葬儀や法事の時に、見も知らない派遣坊主では哀しい・・・そう思うかたも多いでしょう。皆さんの疑問やご希望をぜひ聞かせてください。

 6月17日(日)10時より行います。どなたでもお気軽にご参加ください。どの宗派の方、仏教徒以外の方も歓迎いたします。無料

◎慈雲寺への交通アクセス

 申し訳ありませんが、慈雲寺には十分な駐車場がありません。なるべく公共交通を使っておいでくださいませ。近くの有松ジャンボリーSCに大きな駐車場があります。

そこから、徒歩5分。

★鉄道、バスのアクセス
 名鉄有松駅前から、「有松12番 有松町口無池行き 地蔵池経由」に乗ってください。日曜の9時台は二番乗り場から9時07分と36分に発車します。これらのバスに乗り、郷前(ごうまえ)の停留所でお降りください。そのまま道なりに進むと郷前の交差点に出ます。角に鍼灸院があり、その右手の細い坂道を上がると慈雲寺の屋根が見えてきます。
   また、時間はかかりますが、地下鉄の鳴子北駅から出ている「鳴子13番」のバスも郷前に停まります。日曜は8時45分にバスが出ます。
●地下鉄徳重駅からも郷前に停まるバスがあります。
●栄のバスターミナルからは森の里団地行きのバスが一時間に一本出ています。この場合は、郷前の停留所から道を戻って郷前の交差点に行ってください。日曜は8時50分発があります。所要時間は約40分
●JRの大高駅から緑循環バスの名鉄有松行で郷前に行くことができます。日曜は8時44分と9時44分に出発します。9時台のバスですと10時の開始時間には少し遅れますが、あわてずにおいでください。
●また、同じ緑循環バスの名鉄有松行は南大高駅東にも停車します。9時9分発です。
●JRの共和駅からタクシーで5分。市バスはありません。

◎今日の写真は、慈雲寺が属する浄土宗西山派西山浄土宗)の総本山光明寺の風景です。この小さな庭は「大奥」などのロケ地として、ときどきテレビに登場します。

仏壇を「お気に入りの場所」にする・・・月参りのお勧め

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 先日、Kさんが慈雲寺を訪ねてくださり、「今月からお月参りを再開して下さいませんか?」との相談でした。

 慈雲寺は少々特殊な立場のお寺で、江戸時代からの意味での「檀家」はありません。しかし、先代までは、近くの大寺のお手伝いとして、周辺のお宅に月参りの「代参」をしていました。先代が老齢となり、月参りができなくなると、代わりの僧侶も来ることがなくなり、月参りの習慣もそのままになっていました。

 しかし、私が慈雲寺に赴任してから、少しずつ月参りを頼んで下さるお家が増えてきました。

「お隣から庵主さんのお経の声が聞こえてきたら、うちの仏壇でもう長い間どなたにもお経をあげていただいていないのに気が付いて、寂しくなった。」と言ってくださるかたもいます。

 毎月、僧侶という「他人」を家の奥(仏間はだいたい家の奥にあるので)まで入れるのは、いろいろ気を遣うことです。月参りを止めても、別に罰が当たった様子もないし・・・ということでしょうか?

 しかし、月参りにはさまざまな功徳があります。部屋を片付け、仏壇の掃除をし、お花を替えて、お供えを整える・・・僧侶を迎えて読経をしてもらうだけではなく、その時に胸につかえていること、嬉しかったこと、悲しかったことを少し話してみてはいかがでしょう?

 僧侶にとっても、月参りは檀信徒と直接出会える大切な場です。

 毎月のお参りが時間的その他で負担が大きいなら、祥月命日やお彼岸の日などにお参りしていただくというのはどうでしょう?お盆の棚経もおすすめですが、多くの僧侶は「棚経に走り回る」という状態になりますので、できれば日にちを少しずらす(7月盆や8月初頭)と良いでしょう。

 仏壇を貴方の心が安らぐ空間に変えてみませんか?いや、「変えて」というのはおかしいですね。もともと仏壇は、仏様と貴方が向き合う祈りの場なのですから・・・

 でも、仏間のしつらえ、花や床の間の軸などなど、自分の「お気に入りの場」になるように変えてみてはどうでしょう?仏間のない家、仏壇の無い家なら、どこか、あなたにとって安らぐ場所を作って、小さな仏像をお祀りしてはどうでしょう?今は、小さくて、モダンなデザインの仏壇もたくさんあります。

 慈雲寺は、こうしたご相談にいつでも応じさせていただきます。お気軽にお訪ねください。

◎今日の写真も東京の根津美術館で見た、中国の石仏です。