慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

2月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、2月25日(日)10時より行います。テーマは「お釈迦さまは自らの‟老い”とどう向き合ったか」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

白寿を祝う!矍鑠たる長老は地域の宝

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 慈雲寺は、織田信長今川義元の戦いで知られる桶狭間の一角にあります。私が慈雲寺に赴任して、最初にしたことの一つに、この地域の歴史を研究する人たちのお仲間に入れていただくことでした。

 恥ずかしながら、私は日本の戦国時代のことは全く知識がなかったのですが、「英語でガイドの手助けをしてくれるなら・・・」と、快くお仲間に入れていたけることになりました。

 そこでお目にかかったのが、郷土史研究家のKさんです。私は、このブログにも何度も「矍鑠として生きるシニアは地域の宝物だ」と書いてきましたが、Kさんこそ、まさにこの「矍鑠たるシニア」の代表です。

 先日、このKさんの「白寿を祝う会」に私も参加させていただきました。「百」の字から「一」を取るので「白」、すなわち99歳を祝うのが白寿です。もちろん、このような会に参加させていただくのは初めて。Kさんや、そのお仲間とご縁ができたことを心から嬉しく思う一日でした。

 地域の公民館に集まったのは30名あまり。会場の関係で会のお知らせはごく狭い範囲にしか配らなかったようです。広い範囲にお知らせすれば、もっともっと多くの方が集まったことでしょう。

 しかし、集まった人々の雰囲気がなんとも良い感じ。Kさんを敬愛していることが、一人一人から伝わってきました。

 Kさんは、言葉も力強く、今も畑仕事をしているとかで、体もしっかり。好奇心もいっぱいで、なによりユーモアがあります。

 第二次大戦中は中国で6年以上の戦場におり、銃撃で重傷を負った経験もあるそうです。Kさんの口から発せられる「戦争はしてはいけない」という言葉は、なんとも重みのあるものです。それ以後のKさんの人生もけして楽なものではなかったようですが、知的好奇心とユーモアは枯渇することなく、豊かに湧き上がり続けているようです。

 Kさんの胸には二つの勲章が輝いていましたが、本当の勲章は、白寿を祝ってくれる友人やファンがたくさんいることでしょう。しかも、皆さんからの祝いの言葉に即妙に対応する元気、ランチのお弁当もしっかり食べる健啖さ!

 Kさんのような長老を大切にし、Kさんが培った智慧を楽しく受け継いでいこうとする人々がいる地域に赴任できたことをしみじみ嬉しいと思いました。

二月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」のご案内と慈雲寺へのアクセス

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 旧暦の二月十五日はお釈迦さまが入滅なさった「涅槃会」です。お釈迦様の最晩年の様子は『遊行経』や『涅槃経』に詳しく説かれています。

 お釈迦さまは、当時としてはとても長命の80歳になられていました。自らの老いや近づいている肉体の死に対して、お釈迦さまはどう向き合われていたのでしょうか?

 お釈迦さまが、けして「超人的」な存在ではなく、私たちと同じように老い老いた肉体を持ち、やがて静かに入滅したということは、仏教の教えの非常に大切な要素です。

 お釈迦さまは、ご自分の体が「まるで馬車小屋の隅に打ち捨てられた古い馬車のような」とおっしゃっていますが、それを嘆いたり、愚痴を言ったりするわけではありません。肉体は衰えても、真理を知った心は老いないからです。

 お釈迦さまは、なくなる直前まで、自然の美しさ、人々の心のやさしさに深く感動しています。感性はけして柔軟性を失わなかったのです。

 お釈迦さまが、どのように自らの老いと向き合ったのか、御一緒に考えてみましょう。

「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は2月25日10時より行います。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

◎慈雲寺への交通アクセス

 申し訳ありませんが、慈雲寺には十分な駐車場がありません。なるべく公共交通を使っておいでくださいませ。
 名鉄有松駅前から、「有松12番 有松町口無池行き 地蔵池経由」に乗ってください。日曜の9時台は二番乗り場から9時07分と36分に発車します。これらのバスに乗り、郷前(ごうまえ)の停留所でお降りください。そのまま道なりに進むと郷前の交差点に出ます。角に鍼灸院があり、その右手の細い坂道を上がると慈雲寺の屋根が見えてきます。
   また、時間はかかりますが、地下鉄の鳴子北駅から出ている「鳴子13番」のバスも郷前に停まります。日曜は8時45分にバスが出ます。
●栄のバスターミナルからは森の里団地行きのバスが一時間に一本出ています。この場合は、郷前の停留所から道を戻って郷前の交差点に行ってください。日曜は8時50分発があります。所要時間は約40分
●JRの大高駅から緑循環バスの名鉄有松行で郷前に行くことができます。日曜は8時44分と9時44分に出発します。9時台のバスですと10時の開始時間には少し遅れますが、あわてずにおいでください。
●また、同じ緑循環バスの名鉄有松行は南大高駅東にも停車します。9時9分発です。
●JRの共和駅からタクシーで5分。市バスはありません。「郷前の交差点近くの慈雲寺」とおっしゃってください。慈雲寺を知らないタクシーの運転手もいますので、その場合は郷前の交差点の鍼灸院で降りてください。鍼灸院からお寺の屋根が見えますので、右手の細い坂道を上がってください。

慈雲寺の宗派について Part3 流祖善慧房証空

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 慈雲寺が属する浄土宗の西山派についてのお話しの三回目です。

 日本に浄土教の教えを確立なさったのは、鎌倉時代の僧侶、法然源空上人(法然上人)です。善慧房証空上人は、法然上人の最も円熟した宗教思想を直接受け継いだ高弟です。法然上人がお亡くなりになった後、京都の西山にある三鈷寺を拠点に活動を続けたので、西山の上人とか西山上人とか呼ばれていました。西山派の名は、そこから来ています。

 証空は治承元年(1177)に、京都の有力貴族の一人、久我内大臣通親の一門に生まれました。実父は久我親季といいますが、詳しいことは伝わっていません。生誕地もまだ特定されていません。

 一般に僧侶は、出家以前の詳しい伝記がないことが多いのです。僧侶になって「生まれ変わった」ので、それ以前のことはあまり関係ないということかもしれませんね。

 しかし、通親は一門の長として、親類に非常に利発な子供がいることに早いうちに気づいていたようで、幼いころに証空を猶子(養子)にしています。優秀な身内を朝廷内に配置するのも、貴族の権力維持の戦略なのでしょう。通親もいろいろと計画があったのかもしれません。

 しかし、証空は14歳の元服直前、出家をしたいと言い出します。しかも、当時の最有力寺院である比叡山延暦寺や奈良の大寺院ではなく、吉水で布教を始めたばかりの隠遁僧である、法然源空の弟子になりたいと言い出したのです。

 法然上人は当時58歳。関白九条兼実に教えを説くなど、少しずつ名を知られるようにはなっていたようですが、まだ「法然教団」のようなものが形になっていたわけではありません。どうして14歳の少年が法然上人のことを知ったのか?証空上人の伝記には、そのことには全く触れていませんが、興味深いことです。

 真宗親鸞聖人も、浄土宗鎮西派の弁長上人も、もともとは比叡山で修行し、後に法然上人を訪ねた方々です。しかし、証空上人は、僧侶になる第一歩から法然上人の教えを受け、最後まで師僧のおそばに仕えていました。法然上人の最も円熟した、最晩年の教えを直接授けられたのです。

 浄土宗西山派は今、三つに分かれています。慈雲寺はその一つである西山浄土宗(せいざんじょうどしゅう)に属しています。総本山は京都府長岡京市にある光明寺です。

 法然上人がお亡くなりになってから15年後、念仏の教えに対する迫害が強まり、上人の御遺骸も東山の吉水から移さなければならなくなりました。そして、光明寺の前身である念仏三昧院へ避難し、そこで荼毘に付されました。

 総本山光明寺の境内の一番高い場所には、法然上人のご遺灰を祀る御本廟があります。嵯峨の二尊院や東山の知恩院にも、法然上人の御廟がありますが、光明寺から分骨されたものです。

 光明寺は、法然上人がお念仏の教えを初めて一般の方々に説き聞かせた場所ともいわれています。光明寺の門の前には、「浄土門根元地」という大きな石碑が立っています。これは、永禄六年(1563)、光明寺正親町天皇から「法然上人ノ遺廟、光明寺浄土門根元之地ト謂イツベシ」という綸旨を賜ったことに基づいて建てられたものです。

 お念仏の教えが多くの優れたお弟子方によって広められたことを本当に喜ばしく、ありがたく思っています。解釈や表現の違いはあっても、皆、阿弥陀仏のお慈悲を説いてのですから・・・しかし、私はこの「浄土門根元地」にご縁を結ぶことができ、慈雲寺に赴任できたことをとりわけ、嬉しく思っているのです。

◎今日もナイアガラの滝の近くにある町で見た庭の写真です。こんな東屋でのんびりしたいですね。

 

 

慈雲寺の宗派について Part2

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 前回に続いて、慈雲寺が属する宗派についてお話しします。

慈雲寺は浄土宗西山派に属しています。この宗派は法然源空上人(法然上人)を宗祖とし、その高弟であった善慧房証空(ぜんねぼうしょうくう)上人を流祖として今に続いています。西山派は明治期に三つに別れ、慈雲寺はその一つである西山浄土宗(せいざんじょうどしゅう)に属しています。

 この宗派が「西山派」と呼ばれるのは、法然上人が亡くなられた後、証空上人は京都の西山にある三鈷寺を拠点として布教活動を展開したので、西山の上人とか西山上人(せいざんしょうにん)と呼ばれることが多かったためです。

 法然上人の教えは、証空上人や浄土真宗親鸞聖人、浄土宗鎮西派の弁長上人を始めとする弟子たちに受け継がれましたが、それぞれの解釈には特徴があります。

 一番典型的な違いは、「往生の正因」の解釈です。正因とは、極楽往生と決定するのは何か?ということです。親鸞聖人は阿弥陀様からいただいた信心が正因と教えています。また弁長上人は阿弥陀仏が私たちのために用意して下さった行であるお念仏が正因と教えています。

 しかし、証空上人は、往生の正因は、全ての衆生を一切の条件をつけずに救い取るとお誓いになった、阿弥陀仏の本願であると教えています。

 私たちは、阿弥陀仏がなぜ、どうのようにして阿弥陀仏となられたのかということを聞かせていただくだけで良いのです。阿弥陀仏に願われている身の上だと知ったとき、「ああ、そうだったのか!」と嬉しさのあまり口からこぼれ落ちるのが、南無阿弥陀仏のお念仏なのです。

 証空上人は全分他力、すなわち100%他力の教えです。いったん、阿弥陀仏のいわれを聞かせてもらったら、あとは何も必要ではありません。「極楽なんてあるのか?」とか「本当に阿弥陀仏はおられるのか?」などという疑問がおきてさえも、けして阿弥陀仏は私たちを見放したりしません。

 証空上人は「疑いの心が起きるのは凡夫の本性だ」とおっしゃっています。信心が揺らいだ時こそ、阿弥陀様の御慈悲が胸にせまってくるのです。

 阿弥陀仏に願われている身の上を喜ぶ暮らしが始まれば、「善いことをする、悪いことを避ける、他人のためになることをできるだけさせてもらう」という、仏教徒本来の穏やかな人生を歩むことができるようになるでしょう。そうなれば、日常生活の全てがお念仏になっていくと証空上人は教えてくださっています。

 さて、次回は、証空上人の生い立ちや人となりなどについて、少しお話ししましょう。

◎今日の写真も、カナダのナイアガラの滝の近くにある、ナイアガラ・オン・ザ・レイクで見た住宅です。

 

慈雲寺の宗派について Part1

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 「慈雲寺は何宗ですか?」というご質問をいただきましたので、少し詳しくお話しいたします。その前に、「宗派」というものに対する私の思いをお話ししておきます。私は「仏教」という大きなくくりの中に含まれるなら、宗派というものにそれほどこだわっても仕方がないと思っています。

 お釈迦様は「対機説法」といって、相手の能力や環境、性格などに合わせて、さまざまな方法で教えを説かれました。8万4000種類もあったと言われています。ですから、自分の心や能力、環境に一番しっくりする道を歩めば良いと思うのです。

 ただし、今、私たちは末法という時代に生きています。仏教の伝わり方も、指導する僧侶たちの能力も、聞き手の性格や能力、社会環境の全てが劣悪な時代なのです。お釈迦さまは、そんな末法に生きる人々のために、阿弥陀様の救いについて説かれたのです。

 もちろん、状況は劣悪でも、お釈迦様が示された別の道を必死に歩もうとしている人々もいます。自力による救いを目標にしている人たちです。もしかしたら、恵まれた能力や環境にいる方は、自力で悟りの世界に入れるかもしれません。

 ですから、他宗派の教えを比較したり、批判したりしても、あまり意味があるとも思えません。もちろん、私は比較宗教学を学びましたから、多宗派の教えに興味は山ほどありますが・・・

 さて、慈雲寺は浄土宗の西山派に属しています。西山派は明治時代に三つに別れ今に続いています。慈雲寺は西山三派の中で、総本山を京都府長岡京市にある光明寺に置いている「西山浄土宗」に属しています。西山三派は、共同で教学の講習会を行ったり、いろいろと親しい交流関係にあります。

 日本で浄土の教えを確立したのは、鎌倉時代の僧侶、法然源空です。今は、一般に法然上人と呼ばれている方ですが、本来は僧侶としての名である源空上人という方が良いのではないかと思っています。

 法然上人にはたくさんの優れた弟子がいましたが、現在まで続いているのは、三つの流れだけです。

 最も有名なのは親鸞聖人の流れである浄土真宗でしょう。また、聖光房弁長上人から始まるのが、浄土宗の鎮西派です。現在、知恩院を総本山として「浄土宗」を名乗っているのは、この鎮西派の流れをくむ人々です。

 最後の一つが、浄土宗西山派です。西山派は善慧房証空上人を流祖としています。

 弁長上人も親鸞聖人も法然上人の直弟子ですが、御一緒に過ごした期間はそれほど長くありません。一方、証空上人は、最初に出家したときから法然上人の弟子であり、法然上人が亡くなるまで、20年以上にわたっておそばにいた方です。

 法然上人の最も円熟した宗教思想に直接学んできたのが証空上人と言ってよいでしょう。

                                (つづく)

◎今日の写真はカナダのナイアガラの滝近くにある、ナイアガラ・オン・ザ・レイクという街の住宅です。この街には英国風の庭の美しい邸宅がたくさんあります。

「慈悲」についてのダライ・ラマ法王のお言葉

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 「慈悲というと、私たちはよく、自分よりも惨めな状況にある人をちょっと見下した気持ちで、『ああかわいそうに』と気の毒に思い、その人に憐憫の情をかけることを意味しているよう思いがちですが、そうではありません。

 心の底から湧き上がってくる、本当に大事な宝物に対するような認識で、相手を誰よりも身近で親密に思う感情こそ、真実の愛であり、慈悲なのです。」

           

 前回のブログで書いたダライラマ法王の『ダライ・ラマ 希望の言葉』という本の一節です。

 今朝、このお言葉に再び出会ったので、今日は一日中「慈悲」とは何かということを考えていました。猊下がお書きになっておられるように、私たちはしばしば、いわゆる「上から目線」で憐れむことを慈悲と混同しがちです。

 この「憐れみ」は、本当の憐れみではなく、優越感だったり、「他人の不幸は蜜の味」というような不純な動機に曇らされた憐れみです。このような偽物の憐憫は仏様の御慈悲とは全く異質なものです。

 阿弥陀仏は、苦しみの輪廻を繰り返す私たち凡夫を純粋に憐れんで下さり、とても大切に慈しんでくださっています。それだからこそ、阿弥陀仏のお慈悲には一切の条件がないのです。

 何か小さな条件でもつけたら、私たち凡夫のほとんどは救われないでしょう。そんな凡夫を救うために、私たちに代って全ての必要な修行と懺悔をして下さったのが阿弥陀仏です。阿弥陀仏のお慈悲は限りなく広く深い。

 私たちは安心して良いのです。

 そして、いったん「安心」(あんじんと読みます)をいただいたら、自分のできる範囲で他の人を助け、慈しんでいく暮らしを目指すのです。それが仏教徒の穏やかで喜びの多い暮らしの基本です。

 ★蛇足ですが、私は「目線」という言葉にとても違和感を覚えます。私は子供のころ、テレビの仕事にほんの少しかかわったことがあるのですが、そのころにテレビ業界の人たちが、こちらを向いて欲しいという意味で「目線はこちら」などという表現を使っていたように思います。芸能界の業界用語が広がった??

 視線という言葉は死語になったのでしょうかね?でも、言語学者の友達に言わせると、どのような表現も20年使われていれば、それは「正しい」言葉だとか。そろそろ目線も受け入れなければいけないのかもしれません。特に「上から目線」という言い方は、他に表現方法が思いつきませんね。

◎今日の写真は円空仏の観音様です。

今日はダライ・ラマ猊下のお言葉に癒していただきました

ダライ・ラマ猊下のお言葉

「笑顔というのは、私たち人間だけがもっているユニークな特徴の一つだと私は思っています。・・・・ですから、人間だけに与えられたこの特権を十分に活かしていくことが大切なのではないかと思います。」 

 

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 朝日はとても綺麗だったのに、どんどん雲が広がってきて、とうとう雨が降り始めました。お天気のせいばかりではないでしょうが、今日は少々気持ちが重い。集中して本を読む気持ちになれなかったので、かつて三蔵法師が中国からインドへ旅したルートを豊富な写真で紹介した『三蔵法師の道』という本をパラパラ眺めたりしてグダグダと一日を過ごしてきました。

 本堂を閉めてから、ふと手にしたのが『ダライ・ラマ希望の言葉』という本です。これも世界各地を巡る猊下のお姿の写真がたくさん入っている本です。

 猊下には、一度だけお近くでお姿を拝んだことがあります。「ああ、このお方は本当に観音様の化身なのだ。」と素直に思えたほど、気高く、穏やかな笑顔の方でした。

 仏教では「和顔愛語」・・・穏やかで優しい表情と慈愛の心がこもった思いやりのある言葉を他の人に与えることは、そのまま布施という大切な修行の一つだと考えています。

 自分の大切な時間を使って稼いだお金を仏様やお寺に御供養する「財施」も大切な布施ですが、「人間に与えられた特権」である笑顔を他の人に向けて、人々の心に安らぎを贈るのも布施なのです。この布施なら、誰にでも、どこででも、寝たきりになってもできる修行ですね。

 今日は、あまり笑顔がでるような気持ちではなかったのですが、本の中でやさしく微笑むダライ・ラマ猊下の写真を見ながら、お言葉を読み返していると、すこしザラザラしていた心が柔らかくなったような気がしました。