慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

10月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、10月25日(日)10時より行います。テーマは「縁起が悪いってどういう意味でしょう?」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加下さい。

25日の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は予定通り行います。暖かな服装でおいでください!

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 上の写真は、先日から続いている西山浄土宗の総本山光明寺の紅葉風景です。光明寺は普段は入山料などはありませんが、紅葉のピーク時だけは入山料が必要です。もし、興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、慈雲寺までお知らせください。招待券を差し上げます。

 さて、今月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、25日(日)の10時より、予定通り行います。テーマは仏教の根本的な考え方・ものの見かたを示す「縁起の理法」についてです。

 「縁起が良い」とか、「縁が深い」とか、「縁」という言葉は現在の私たちの生活にもしばしば出てくる言葉です。この「縁」とは何なのか、あらためてご一緒に考えてみましょう。

 慈雲寺では、毎月、身近な話題を取り上げて、仏教のものの見かた、考え方についてお話をしています。「講座」とタイトルについていますが、どなたにもわかりやすくお話できるように心がけています。

 

 慈雲寺には十分な駐車場がありませんので、できるだけ公共交通を利用しておいでくださいませ。アクセスについたは、慈雲寺のホームページ jiunji.weebly.com をご覧ください。

裏のジャングルと戦う

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 庫裏の裏手に空き地があります。以前はご近所の方が野菜を作っていて、丁寧に草取りをしていてくれました。私が住職になってからは、この空き地に仏花になるような花を植えて花畑にしようという野望(?!)を抱いて、少し頑張ってみました。

 しかし、もともと畑だったせいで地味が豊かなためか、もの凄い勢いで雑草が成長します。花畑の夢が捨てられなくて、除草剤を撒くのを躊躇していたので、とんでもないことになってしまいました。

 このままでは近隣の方々にも迷惑をかけてしまうし・・・と思いながらぐずぐずしていたら、ご近所の方が「決断しなさい!」とアドバイスして下さって、除草剤を撒いて下さいました。一週間もしないうちに、枯れ草に・・・

 先週から、毎朝少しずつ枯れ草の始末を始めました。空き地全体を花畑にする野望は捨てて、現実的な広さを確保してメンテナンスしていくつもりです。

 それにしても、心地よい涼しさな中で、朝日を浴びてほんの少し汗ばむくらいの作業・・・なんだか楽しい。

 朝は勤行が終わったら、晴耕雨読ということにしましょうか。

 

◎今日の写真も慈雲寺の属する西山浄土宗浄土宗西山派)の総本山、光明寺の初秋の風景です。

 

10月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は「縁起」についてご一緒に考えてみましょう

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 昼夜の温度差が大きくなってくると、木々が色づいてきます。上の写真は、慈雲寺の属する西山浄土宗の総本山光明寺の参道です。楓が道の両側から大きく枝を広げていて、11月に入ると紅葉のトンネルになっていきます。

 

 さて、今月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は10月25日の日曜日、10時より行います。

 テーマは、仏教の最も基本的な考え方の一つ、「縁起の法」についてです。「ご縁がある」とか、「縁起が悪い」とか、「縁」という言葉は、今の私たちの生活にも深くかかわっています。

 しかし、「縁」とはいったいなんなのでしょう?「縁起が悪い」とはどういうことを指す言葉なのでしょうか。改めてご一緒に考えてみましょう。

 

 慈雲寺では、毎月、身近な話題を取り上げて仏教の基本的な考え方、ものの見方について考える講座を行っています。「講座」とは言っても、どなたにもわかりやすくお話することを心がけています。

 「こんなこと、今更聞きにくい」というご質問などがありましたら、ぜひ教えて下さい。テーマとして取り上げさせていただきたいと思います。

 

 この講座をはじめ、慈雲寺の行事はどなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加下さい。

 アクセスなどについては、慈雲寺のホームページ jiunji.weebly.com をご覧ください。

◎三密を避けるため、本堂の扉は開けたままにしますので、どうぞ暖かな服装でおいでください。

「行きつけのお寺」がある幸せ Part3

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 子どもの時から、先祖代々の菩提寺に親しんできた人、「行きつけのお寺」のあることの幸せについてお話してきました。今回は慈雲寺の事情についてお話します。

 中部地方には、かつてはたくさんの尼寺がありました。多くの場合、檀家はほとんどない小さなお寺です。住職は、お花やお茶などを教えて生計を立てたり、近隣の大きなお寺の下働きをしたりしていたようです。

 慈雲寺は、ある裕福な方が自分の信仰のために建てたお寺です。そのため伝統的な意味での檀家はゼロ。墓地は少しあるのですが、村の共同墓地が閉鎖されることになって、移動してきた方がほとんど。その家の菩提寺は近隣の別のお寺です。

 というわけで、慈雲寺はかなり特殊な状況と言えるでしょう。今までの住職たちは、裁縫やお花、お茶などを教えたり、近隣の大寺の下働きのようなことをして生計をたてていたようです。前回お話したように、私も兼業住職です。

 経済的には厳しいですが、その分「自由自在」の面もあって、私には向いていると思います。「どなたでもおいで下さい。どのような形でもお手伝いできることがあったら嬉しいです。」と言えるもの、こうした事情のおかげです。

 「菩提寺が遠いので、法事をお願いできますか?」とか、「たしか、祖母は『南無阿弥陀仏』と称えていたようだけれど、自分の家が何宗か知らない。」といったご相談にも柔軟に応じることができるのも、慈雲寺の特殊性だと思います。

 

 繰り返しますが、私は「檀家と菩提寺」との関係を大切で良きものだと思っています。しかし、それは「墓を人質にとられた、面倒くさい関係」であってはなりません。

何より、自分の信仰、心の拠り所としての「菩提寺」であるべきでしょう。

 

 慈雲寺に赴任してすぐ、ある方から「最近、近くに越してきました。檀家にはなりたくないのですが、法事をお願いできますか?」という相談をいただきました。「檀家になりたくない」とはどういう意味なので、深くは伺いませんでしたが、以来、お盆、お彼岸、祥月命日と必ず「お参り、お願いします」という連絡をいただきます。仏事をすべて慈雲寺に頼んで下さるのに、「檀家にはなりたくない」とは、どういうことなのでしょう?

 ひょっとしたら、「檀家」というのは、お寺の修理などの時に負担金を割り当てられる家という意味なのでしょうか?う~~ん。

 お寺がボロボロになってつぶれてしまったら、困るなぁ・・・自分も家族も、そして自分の子孫にとっても心の拠り所なのだから、なんとか支えたいなぁ・・・と思っていただける関係が「檀家と菩提寺」ではないのでしょうか?

 

 そんな甘いことを言っていては「寺院経営」はできないのかなぁ?

 と、いうわけで、この問題はまだ結論がでません。

 

◎今日の絵は、前回のものと対になった杉戸に描かれた円山応挙の作品です。

「行きつけのお寺」がある幸せ Part2

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 ご近所の空き地に、小さな、小さな朝顔が咲いていました。秋も深まり、最後の力を振り絞って咲いているという感じ・・・・☝の円山応挙の絵を思い出しました。

 

 さて、前回は「行きつけのお寺」がある人の幸せについてお話しました。先祖代々親しんだ教え、お寺、そして子どもの時から和尚さんや尼僧さんに可愛がってもらった記憶・・・そんな「心の宝」を持っていることの幸せです。

 

 でも、もし故郷を離れたり、何等かのことで菩提寺とのご縁が切れてしまった時のために、新たに「行きつけのお寺」、「仲良しのお坊さん」の縁を紡いでいく方法を探してみましょう。

 まずは、ご近所で法話の会や座禅の会、仏教の勉強会などの布教イベントを積極的に行っているお寺を探してみて下さい。新聞の文化欄や宗教欄にイベントの告知が出ている場合があります。ちなみに、中日新聞の場合は火曜日、東京新聞は土曜日の文化欄を見て下さい。

 ほとんどのイベントは「檀家」でなくても歓迎してくれるはずです。新聞に告知を掲載しているようなお寺ならなおさらです。

 

 しかし、Part1で少しお話したように、ご縁ができたと思っても、法事などを依頼すると、「檀家にならなければお受けできない」と言われることもあるそうです。

 これはけして意地悪で言っているわけではないでしょう。お寺の事情はそれぞれで、一概には言えませんが、いくつかの理由が考えられます。

1)日本中のお寺の大半は「兼業」です。一部の観光寺院などを除いて、お寺の行事や檀家さんからのお布施だけで、お寺を運営し、住職の家族を養うのに十分な収入のあるお寺は少数派です。住職やお庫裏様(住職の妻)が、お寺の外で仕事をして、その収入で家族を支えている寺院が7割ぐらいと言われています。

 平日は仕事に出ているので、法事を受けられるのは週末のみということになると、小さなお寺でも、檀家さんの法事だけで手いっぱいというのも不思議ではありません。

 

2)お寺は檀家さんのもの。檀家の方たちが、先祖代々、金銭的にも労力の面でも、支えてきたお寺です。ですから、「お寺は檀家さんだけに利用権がある」と考える人もすくなくありません。

 

3)だからこそ、法事などでお寺を利用するなら、まずは檀家になって、お寺を支えていくという意思を表明すべきだ

 上にあげたものの他にもたくさんの理由があるかもしれませんが・・・・観光客を迎えるつもりのないお寺が、いつも山門の柵を閉じて、やたらに人が入ってこられないようにしているのは、防犯だけの意味ではないようです。

 

 慈雲寺は幸い(?)なことに、かなり特殊なお寺で、伝統的な意味での「檀家」はゼロ。経済的には非常に心細い状況ですが、見方を変えば「不思議な自由」があるのです。このことについてはまた次回お話しましょう。(つづく)

「行きつけのお寺」がある幸せ Part1

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 自分の家が先祖代々「旦那」となっている菩提寺があって、その宗派の教えが自分の心に穏やかにしみ込んでいて、今のご住職を尊敬できるし、親しみも感じる・・・・こんな風にお寺とお付き合いすることのできる人は、本当に幸せだと思います。

 先祖代々のお墓を守り、仏壇が暮らしに溶け込んでいて、お寺の行事に参加したり、お手伝いしたりするのも楽しめるのも嬉しいことですね。

 しかし、今はふるさとを離れ、菩提寺とのご縁も途切れがちになっている方もたくさんおられることでしょう。自分の家の「お宗旨」も、「あれ?なんだっけ?」と思う人も少なくないようです。

 でも、近しい人の死などや、人生の悩みや苦しみをきっかけに、自分とお寺との縁に気づいたり、考え直したりする方もまた少なくありません。

 

 先日、慈雲寺にお墓がある(しかし、菩提寺はご近所の別のお寺)Kさんが、お友達を連れて訪ねてきて下さいました。お友達のTさんは、二年前にご主人に先立たれています。亡夫の遺言は、「葬儀はしても良いが、法事は不要。お骨は散骨にして、お墓は不要」とのことだったそうです。Tさんは、その言葉にしたがって一周忌は行わなかったのですが、何だか気持ちがモヤモヤして晴れない・・・・今年は三回忌に当たるのだけれど、何もしないのことが気になって仕方がなかったのだそうです。

 菩提寺は遠い場所だし、コロナ禍のこともあるので行きにくい。近くのお寺に相談に行っても、「檀家さん以外の法事は受けない」と言われたそうです。

 そのことを久しぶりに偶然会った友人のKさんに話してみると、Kさんは「ご近所に慈雲寺という尼寺があるのだけれど、そこの庵主さんだったら、相談に乗ってくれるかもしれない。」と、慈雲寺のことを話して下さったそうです。

 こんな風に新しいご縁ができるのは、とても嬉しいことです。慈雲寺は、さまざまな方の「行きつけのお寺」になりたいと願っていますから・・・(つづく)

◎今日の写真は岡崎城の石垣です。

藤沢周平のおかげ(?)ですっかり寝不足

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 免疫力を上げるためにも、脳の活力を増すためにも、うつ病にすら睡眠は十分に取るべきだと聞いたことがあります。時間的な睡眠量はもちろん、睡眠の質も大切だとか・・・寝室の環境、寝具についても理想を追いたいところです。

 お寺は静かで良質な睡眠の取れる環境は整っているのですが、私の場合、寝室まで本が山盛り。先代さんたちの残して下さった衣なども、まだ未整理のまま・・・・最善の状況とは言えません。そのうえ、このところ藤沢周平の本を読み返しているので、寝不足が続いています。

 藤沢周平の時代小説は、それぞれの場面の描写や人物の描き方が緻密で、美しい言葉や表現がたくさん使われているので、ゆっくりゆっくり読んで彼の描き出す世界を想像しながら味わいたいのです。

 しかし!困ったことに、藤沢周平の小説はストーリーが面白過ぎる!話の展開がどうなっていくのか、ハラハラドキドキで、先へ先へとつい急いで読み進んでしまいます。

空の雲の動きまで、美しく書き込まれているのに、目が滑る滑る・・・ストーリーを追って先にすすみたくて仕方がなくなるのです。

 というわけで、何度も繰り返して読んで、ストーリーが頭に入っていれば、細かい表現をゆっくり味わえるかと思うのですが、読み返すたびに新鮮な驚きがあるので(読み飛ばしてしまいがちなので、忘れるのも早いのか?)、やはり先へ先への急いでしまいます。

 また、いったん読み始めたら結末まで止まれないので、寝るときに読むのは短編だけにしないといけません。それでも、昨日は一冊読み終わるまでやめられず、今朝はお勤めの時間も間に合わなかった・・・・

 今夜はさっさと眠ることにしますね。