慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

‶ナルちゃん”の長靴 - 今上陛下の即位報道を見て思ったこと

f:id:jiunji:20190503222924j:plain

 改元について、これという思いもなかったのですが、今日になって急に思い出したことがあります。

 私は今上陛下が、まだ皇孫の時代に数年間、ほぼ毎朝お会いしていた・・・いや、お見掛けしていたことがあります。

 父が私と弟を学校の近くまで車で送ってくれるとき、ちょうど徳仁さまが東宮御所から学習院に向かわれる時に、道を走ることになったのです。その当時は「皇孫」ということで警備が甘かった(?)のか、それとも皇太子殿下の御意向だったのか、交通が制限されることもなく、歩道を歩く殿下のすぐ横を私たちの車が通ったというわけです。

 御付きの方がいましたが、SPという感じではありませんでした。今から思えば、あの状況なら誘拐などの事態もありえる感じ・・・日本も世界も今より平和でのんびりしていたということでしょうか?

 もちろん、お見掛けしたのはほんの一瞬ですから、思い出というようなものはほとんどないのですが、一つだけ、なぜか強く印象にのこっていることがあります。

 それは、殿下の長靴です。上の写真はインターネットの無料画像からお借りしたものですが、こんな風にごくシンプルなデザイン。ブランドを示す印もなかったように思います。

 印象に残ったのは、その長靴が明らかにぶかぶかだったからです。ちょっと歩きにくそうに、それでも元気に坂道を歩いていく御兄弟が心に残りました。

 「ナルちゃん、ぶかぶかの長靴履いてるね。」と父に言うと、「小学生はすぐ大きくなるからなぁ。次々買ってもらえるわけじゃないんだね。」と笑っていました。

 天皇家の方々が自分が想像していたより、質素というか堅実にお暮しなことが子供の私にも伝わってきたのです。このことを利用(?)して、妙に説教臭いことを言わなかった父のことも、私にはいろいろ考えさせられるものがありました。

 今上陛下の即位報道を拝見しながら、亡き父の声を思い出して少し寂しくなりました。

 歴史的には、災害などで社会が疲弊したりしたとき、世を改めるきっかけとして改元されることもあったとか。令和の社会が平安で、人々の心が穏やかであることをあらためて祈りたいと思います。