慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

5月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」5月26日10時より行います。テーマは「御祈祷、お守り、お札とは何か」です。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

7月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は7月22日(日)です。「業」について御一緒に学んでみましょう。

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 猛暑の一日でしたね。どうぞ、くれぐれもご自愛ください。

 さて、今月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、「業」ということについて御一緒に学んでみましょう。

 「業が深い」とか「自業自得」とかいう言葉は、今でも時々耳にします。いったい「業」とは何なのでしょうか?「業が深い」人は、いったいどうして深くなってしまったのでしょうか?自業自得の本当の意味は何なのでしょう?

 このことは、大乗仏教の縁起の教えや唯識という仏教哲学の要の問題とも深いつながりがあります。なかなか難しい問題なのですが、仏教というものの見方、考え方を知るきっかけにもなると思います。

 慈雲寺には冷房の設備は有りませんが、本堂には心地よい風が吹いてきます。これを「極楽のあまり風」…極楽から漏れてくる(??)ような心地良い風という人もいます。慈雲寺の本堂には、いつも冷たいお茶と塩飴などが用意されております。どうぞ、いつでも本堂に上がって一服なさって下さい。

 7月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は7月22日(日)10時より行います。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加下さい。予約などは不要です。

 慈雲寺で行われる宗教的行事は全て無料です。仏さま、ご先祖さまへの御供養、お寺の維持のために、お気持ちを御喜捨いただければ有難く存じます。

◎慈雲寺への交通アクセス

 申し訳ありませんが、慈雲寺には十分な駐車場がありません。なるべく公共交通を使っておいでくださいませ。近くの有松ジャンボリーSCに大きな駐車場があり、無料で駐車できます。そこからお寺まで、北へ徒歩5分。

★鉄道、バスのアクセス
 名鉄有松駅前から、「有松12番 有松町口無池行き 地蔵池経由」に乗ってください。日曜の9時台は二番乗り場から9時07分と36分に発車します。これらのバスに乗り、郷前(ごうまえ)の停留所でお降りください。そのまま道なりに進むと郷前の交差点に出ます。角に鍼灸院があり、その右手の細い坂道を上がると慈雲寺の屋根が見えてきます。
   また、時間はかかりますが、地下鉄の鳴子北駅から出ている「鳴子13番」のバスも郷前に停まります。日曜は8時45分にバスが出ます。
●地下鉄徳重駅からも郷前に停まるバスがあります。
●栄のバスターミナルからは森の里団地行きのバスが一時間に一本出ています。この場合は、郷前の停留所から道を戻って郷前の交差点に行ってください。日曜は8時50分発があります。所要時間は約40分
●JRの大高駅から緑循環バスの名鉄有松行で郷前に行くことができます。日曜は8時44分と9時44分に出発します。9時台のバスですと10時の開始時間には少し遅れますが、あわてずにおいでください。
●また、同じ緑循環バスの名鉄有松行は南大高駅東にも停車します。9時9分発です。
●JRの共和駅からタクシーで5分。市バスはありません。

◎今日の写真はインドのタージマハルです。

お寺で『聖☆おにいさん』一気読み

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 別に漫画やアニメを嫌っているわけではありませんが、ほとんど読んだことがありません。あ、それは正確ではないですね。私は「ビックコミック」世代なので、高校や大学生のころは、自分で買わないまでも、手近にあれば読んでいました。

 カナダに行ってから、日本の漫画は手に入らないし、マーベルコミックは読みにくいしで疎遠になっていただけです。

 でも、最近、『聖☆おにいさん』という漫画のことを知り、ちょっと読んでみたくなりました。こういう時、悪魔のような誘惑をするのがAmazonです。ちょっと検索したら、「1巻から14巻までまとめ買いで御得!送料無料」なんて、とんでもない誘惑が・・・負けてしまいました。

 届いた箱を開きもしないで、部屋の隅に置いておいたのですが、昨日から桶狭間周辺は猛烈な暑さなので、何もする気がなく・・・・風が通り抜けて、少し涼しい本堂に箱を運び、阿弥陀さまの前では、さすがにちょっと恥ずかしいので、弘法さまの前でのんびり読み始めました。

 『聖☆おにいさん』は、お釈迦様とイエス様が、二人で地上に降りて休暇を過ごしているという設定。場所は東京の立川。なんか絶妙の背景です。

 天使のミカエルやお釈迦様の弟子のアーナンダなども登場。聖書やお釈迦様の伝記に出てくるようなエピソードがあちこちにふりまかれていて、宗教者ならではの「業界あるある」も出てきます。

 地上の暮らしで、二人がいろいろ困るところも絶妙ですし、二人のやさしさに癒されます。

 というわけで、笑って暑気払い・・・・と、思ったのですが、やっぱり耐えられなくて、冷房のある部屋に今、避難してきたところです。

 心頭滅却すれば火もまた涼し・・・う~~ん

「いきつけのお寺」を探してみましょう。

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 カナダでは、直接大きな病院に行くことはできず、救急車を呼ぶような事態でない限り、必ず「ホームドクター」を通して専門医にかかることになります。ホームドクターとは、いわゆる「いきつけのお医者様」のこと。患者の状況を長期間にわたって知っている医者のことです。

 「いきつけ」とか「なじみの」というご縁をたくさん持っている人は、幸せな人と言って良いでしょう。いきつけの八百屋さん、いきつけの飲食店、いきつけの洋服屋、いきつけの自動車工場・・・自分の好みや懐具合などもよくわかってくれるお店が多いのは安定した暮らしの証です。

 生活の安定だけでなく、心の安定ももちろん大切。「いきつけのお寺」とご縁を結んではいかがでしょう。自分の家が代々○○寺とご縁があり、今のご住職とも気軽にお話しできる・・・なんていうのが理想ですが、菩提寺のある場所と離れて暮らしている人はどうすれば良いでしょう。

 近くのお寺で、お説教や写経などの行事をしている所はありませんか?檀家でなくとも、歓迎してくれるお寺はありませんか?どんなことでも相談に乗ってくれると評判のお寺はありませんか?

 少しアンテナを伸ばして探してみると、案外身近にそういうお寺があるものです。

 慈雲寺では、宗派に関係なく、さまざまなご相談に応じています。まずは、毎月一度のお話しの会、「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」においでください。

 7月は22日の日曜日。「自業自得の本当の意味は?」というテーマでお話しします。

◎今日の写真は、カナダのブリティッシュコロンビア州とアラスカの国境付近の山並みです。

 

西日本豪雨の犠牲者の方々を悼んで

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 今朝は夜明けから強い日差し。蝉の声で目が覚めたのは、この夏初めてかも・・・と、なんだか不思議な気持ちで目が覚めました。着替えながらテレビをつけると、西日本豪雨の被害で亡くなられた方の人数が、昨日より数十人増えていました。

 朝のお勤めの時に、御供養をさせていただきました。また、弘法大師さまには、まだ行方不明の方々が無事に見つかるようお願いしました。祈ることしかできないのは、もどかしいですが、僧侶として、今できることからと思っています。

 新聞やインターネットの報道を見ると、今回の被害では、政府の対応の遅さが目立つようです。半世紀に一度といわれるほどの豪雨で、被害が次々報告されている夜も、首相やその周辺の人々は宴会をしていたそうですし・・・まあ、毎晩しているので、特別なことではないのかもしれませんが・・・でも、自分の選挙区の山口県でも被害が出ているのに・・・

 議会で絶対多数を取っている政府ならではの傲慢さに思えてなりません。もちろん、この状態を招いたのは選挙民である私たちなのですが。

◎今日の写真は、カナダの西海岸の山岳地帯で見た野草です。

麻原の死刑執行で、オウム真理教の事件が終わったわけではない

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 麻原死刑囚など7人の死刑執行が昨日行われたというニュースを聞きました。昨日の段階では、ワイドショーなどの報道は興味本位過ぎて、じっくり考える材料にならないと感じました。

 今朝、中日新聞を受け取ってから、ゆっくりゆっくり読んでいます。中日新聞には、田中正明という人が、主に政治的なことを題材にした風刺画が掲載されます。この風刺画がなかなか事件の本質をついていることが多いのです。その田中さんの今朝の絵には、「宙ぶらりんのまま闇の中へ」というタイトルがつけられ、闇の中に、麻原を思わせる結跏趺坐姿の男のシルエットが白く浮かんでいます。

 

 このブログにも何回も書きましたが、仏教徒は殺生、特に人間を殺すことを厳しく戒められています。自ら殺すことも、他人に殺させることも不殺生戒をやぶることになります。ですから仏教徒として、死刑制度には反対です。

 冤罪の可能性がゼロでないのも大きな理由です。また、「死刑が犯罪抑止に効果がある」という主張も、1976年に一般刑法から死刑を排除したカナダの例を見ると、統計的に明らかに否定されています。

 さて、今回の死刑執行は、オリンピックや元号が変わることなど、さまざまな政治的な配慮があってのことのように思えますが、これで「終わり」になったわけではないでしょう。

 オウム真理教の影響は、社会一般はもちろんのこと、宗教界にも深く残されています。オウムに出家した人々の動機、なぜ信者は麻原に従ったのか、いったい信者は何を求めていたのか・・・オウムの教団が驚異的なスピードで成長した理由、背景、資金の流れなど、解明されていないことは山ほどあります。

 「狂信的なグループに洗脳された殺人者」を死刑にしておしまい・・・というわけにはいかないと思います。

 この事件によって、日本人の宗教離れが劇的に進んだという意見もあります。

 しばらくは、じっくり、オウム真理教の問題について、考え直してみようと思っています。

◎今日の写真はニューデリーにあるインド門です。第一次大戦に英国軍として参戦したインド兵の戦没者慰霊碑です。

尼僧として生きることを目指している方なら必読(?!)書、『尼さんはつらいよ』Part1

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 他の人と比べて、自分は幸せだとか、良い境遇だとか考えるのは、僧侶としてはけしてやってはいけないことです。しかし、藤本華蓮尼の『尼さんはつらいよ』(新潮新書)を読んでいたら、「あらまぁ・・・自分はなんてラッキーなのかしらん!」と、つい何度も思ってしまいました。

 この本は、在家から発心し、天台宗の僧侶となった尼僧さんの経験通して、「尼僧」という存在について考察した本です。華蓮尼は、私の知人の御尊父のお寺で得度なさったようで、天台宗の僧侶です。しかし、今はお寺には入らず、パーリー語を専門とする学僧として生きていらっしゃいます。

 この方は、歴史的な背景から説き起こし、現代の尼僧の置かれている状況についてこう述べています。「では、なぜ尼寺から尼さんが消えたのか。それは尼寺の中に入ってみるをわかる。そこでは心の平安や自由や自己実現は得られない。」

 えええええ????!!私は究極の自由とのほほん暮らしをいただいているけどなぁ。あ、松の木がぼさぼさになってしまい、剪定の費用をどうねん出すべきか・・・と考えると心の平安はちょっと心配だけど。

 華蓮尼の体験は、尼僧として出家を考えていらっしゃる方にとって、さまざまな意味で良いケーススタディになっています。ご縁がうまく巡らなければ、こんなことも起きるだろうなぁ・・・と思わせることが次々と出てきます。付箋を貼りだしたら止まらなくなってしまったほどです。

 しかし、この本を読んでいて、それにつけても、私は恵まれているなぁ・・・と、しみじみ思いました。法然源空上人(法然上人)から善慧房證空に伝えられた、全分他力の教えを受け継ぐ浄土宗西山派の教えは、私にピッタリでした。

 私は比較宗教学を少し齧ったので、浅くではありますが、日本の各宗派の基本的な教えに関する知識は持っていました。しかし、西山派は歴史は長くても、現在はごくマイナーな宗派。證空は「知られざる巨人」という感じです。

 しかし、證空の徹底的に論理的な思考と、真摯さと冷静さが良い具合にバランスをとっている人となりは、最初からすんなりと私の心に響いてきました。華蓮尼は、何人もの師僧に出会ったようですが、私は人間関係にさほど悩むこともなく、のほほんと今にたどり着きました。

 これから、しばらくは華蓮尼の本を読み進めながら、ブログを書いてみます。

◎今日の写真は、近々、移転取り壊しが決まっている宝塚ホテルの廊下です。

私が「誕生」したのは得度した日?!

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 今日、7月3日は私の戸籍上の誕生日です。そのことをすっかり忘れていて、朝、パソコンを立ち上げると友達から「おめでとう」メールが何通も来ていて、ビックリしました。久しぶりに連絡をくださった方もいたので、とても嬉しかったです。

 しかし、僧侶は得度した日(出家した日)が出発点です。先輩、後輩の順も年齢ではなく、得度した日が早い方が先輩です。得度以前の人生については、「無視」が基本です。空海さまも法然さまも、僧侶になる以前の人生の歩みについては、あまり詳しくわかってはいません。高僧伝などを読んでも、作者が出家以前のことには、それほど注意を払っていないことがわかります。

 僧侶にとって大事なのは出家を決意した切っ掛け以降のことなのです・・・というと、「人生リセットしたいので、出家したい。」と思う方もいるかもしれません。確かに、出家するまでの人生は「語る必要のないもの」に変わるのですが、決して消えてしまうわけでも、「リセット」できるわけでもありません。それまで積み重ねた「業」が消えてしまうわけではないからです。

 出家という縁によって積み重なった「業」が、どのような「果」を結んでいくかは、わかりません。、仏さまの御示し下さった道を歩んでいくことで、大きな変化が生まれることでしょうが、過去が消えるわけではありません。

 出家をすることで、それまでの人生やさまざまな経験、さまざまな縁との向き合い方は、必ず変わってきます。その意味では、得度した日に私は新たな命を生き始めたと言っても良いでしょう。

 リセットを求めての出家、過去から逃げるための出家では、喜びに満ちた僧侶の生き方にはならないと思います。まずは、善き僧侶や深い信仰を持った善智識と出会い、仏教徒として歩み始めるのがおすすめです。

 慈雲寺では、いつでもご相談に応じますので、お気軽にお寺にお立ち寄りください。

◎今日の写真は天橋立の郷土博物館で見た「航海の無事を祈る絵馬」です。