他の人と比べて、自分は幸せだとか、良い境遇だとか考えるのは、僧侶としてはけしてやってはいけないことです。しかし、藤本華蓮尼の『尼さんはつらいよ』(新潮新書)を読んでいたら、「あらまぁ・・・自分はなんてラッキーなのかしらん!」と、つい何度も思ってしまいました。
この本は、在家から発心し、天台宗の僧侶となった尼僧さんの経験通して、「尼僧」という存在について考察した本です。華蓮尼は、私の知人の御尊父のお寺で得度なさったようで、天台宗の僧侶です。しかし、今はお寺には入らず、パーリー語を専門とする学僧として生きていらっしゃいます。
この方は、歴史的な背景から説き起こし、現代の尼僧の置かれている状況についてこう述べています。「では、なぜ尼寺から尼さんが消えたのか。それは尼寺の中に入ってみるをわかる。そこでは心の平安や自由や自己実現は得られない。」
えええええ????!!私は究極の自由とのほほん暮らしをいただいているけどなぁ。あ、松の木がぼさぼさになってしまい、剪定の費用をどうねん出すべきか・・・と考えると心の平安はちょっと心配だけど。
華蓮尼の体験は、尼僧として出家を考えていらっしゃる方にとって、さまざまな意味で良いケーススタディになっています。ご縁がうまく巡らなければ、こんなことも起きるだろうなぁ・・・と思わせることが次々と出てきます。付箋を貼りだしたら止まらなくなってしまったほどです。
しかし、この本を読んでいて、それにつけても、私は恵まれているなぁ・・・と、しみじみ思いました。法然房源空上人(法然上人)から善慧房證空に伝えられた、全分他力の教えを受け継ぐ浄土宗西山派の教えは、私にピッタリでした。
私は比較宗教学を少し齧ったので、浅くではありますが、日本の各宗派の基本的な教えに関する知識は持っていました。しかし、西山派は歴史は長くても、現在はごくマイナーな宗派。證空は「知られざる巨人」という感じです。
しかし、證空の徹底的に論理的な思考と、真摯さと冷静さが良い具合にバランスをとっている人となりは、最初からすんなりと私の心に響いてきました。華蓮尼は、何人もの師僧に出会ったようですが、私は人間関係にさほど悩むこともなく、のほほんと今にたどり着きました。
これから、しばらくは華蓮尼の本を読み進めながら、ブログを書いてみます。
◎今日の写真は、近々、移転取り壊しが決まっている宝塚ホテルの廊下です。