今年の7月5日に書いたブログ(左欄のアーカイブ記事から引き出せます)で藤本華蓮師の『尼さんはつらいよ』という本をご紹介しました。藤本師は、天台宗で得度なさって、比叡山で修行なさった方ですが、さまざまな体験をなさった後に、今はお寺には住んでいらっしゃらないようです。
一時は尼寺に跡継ぎとして入られたようですが、そこから出られたということのようです。「ようです・・・」ばっかりなのは、どうも最後のところが明確には書かれていないので、推測するしかないのです。
例えば、私の属する西山浄土宗では、どこかの寺院の住職になっていない僧侶は、必ず誰かの弟子になっていなければなりません。弟子を持てるのは住職だけなので、弟子はその寺院に属することになります。私が弟子を持てば、その人は「慈雲寺資」ということになります。どこのお寺の「資」でもない、フリーの僧侶というのは認められていないので、必ずどこかのお寺に属し、その寺の住職の弟子とならなければなりません。もちろん、名前だけの弟子というのも少なくありません。実際には僧侶としての生活はしていないけれど、僧侶資格を維持しようと思えば、どこかのお寺の「資」として登録されなければなりません。
もし、師僧との関係がうまくいかず、弟子の立場から離されるとしたら、次の師僧が見つからない限り、その人は僧侶であり続けることはできなくなります。
勝本師も、天台の僧侶として、今もどこかのお寺の「資」なのでしょうか?師僧との関係や、住職の代替わりなどで、師弟の縁に変化が出たときの、哀しい(生臭い??9お話しも、『尼さんはつらいよ』に詳しく書かれています。
私は、さまざまな偶然と、良き人間関係に恵まれ、慈雲寺へのご縁ができて、そのまま一切の苦労はないまま住職になりました。苦労しているのは、情けない住職を迎えなければならなかった、慈雲寺を支えてきた人々でしょう。
万事はご縁。勝本師が体験した「尼さんの暮らしのつらさ」は、私は今のところほとんど経験していません。ですか、勝本師が本の中に挙げた、さまざまな「辛い」例もまた尼僧の現実だと言わなければならないでしょう。(つづく)
◎今日の写真はエクアドルの教会で見た聖母子像です。三日月の上に乗っているのが興味深いですね。