慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

勝本華蓮著『尼さんはつらいよ』のご紹介 Part2

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 今年の7月5日に書いたブログ(左欄のアーカイブ記事から引き出せます)で藤本華蓮師の『尼さんはつらいよ』という本をご紹介しました。藤本師は、天台宗で得度なさって、比叡山で修行なさった方ですが、さまざまな体験をなさった後に、今はお寺には住んでいらっしゃらないようです。

 一時は尼寺に跡継ぎとして入られたようですが、そこから出られたということのようです。「ようです・・・」ばっかりなのは、どうも最後のところが明確には書かれていないので、推測するしかないのです。

 例えば、私の属する西山浄土宗では、どこかの寺院の住職になっていない僧侶は、必ず誰かの弟子になっていなければなりません。弟子を持てるのは住職だけなので、弟子はその寺院に属することになります。私が弟子を持てば、その人は「慈雲寺資」ということになります。どこのお寺の「資」でもない、フリーの僧侶というのは認められていないので、必ずどこかのお寺に属し、その寺の住職の弟子とならなければなりません。もちろん、名前だけの弟子というのも少なくありません。実際には僧侶としての生活はしていないけれど、僧侶資格を維持しようと思えば、どこかのお寺の「資」として登録されなければなりません。

 もし、師僧との関係がうまくいかず、弟子の立場から離されるとしたら、次の師僧が見つからない限り、その人は僧侶であり続けることはできなくなります。

 勝本師も、天台の僧侶として、今もどこかのお寺の「資」なのでしょうか?師僧との関係や、住職の代替わりなどで、師弟の縁に変化が出たときの、哀しい(生臭い??9お話しも、『尼さんはつらいよ』に詳しく書かれています。

 私は、さまざまな偶然と、良き人間関係に恵まれ、慈雲寺へのご縁ができて、そのまま一切の苦労はないまま住職になりました。苦労しているのは、情けない住職を迎えなければならなかった、慈雲寺を支えてきた人々でしょう。

 万事はご縁。勝本師が体験した「尼さんの暮らしのつらさ」は、私は今のところほとんど経験していません。ですか、勝本師が本の中に挙げた、さまざまな「辛い」例もまた尼僧の現実だと言わなければならないでしょう。(つづく)

◎今日の写真はエクアドルの教会で見た聖母子像です。三日月の上に乗っているのが興味深いですね。